遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

旅の日

2023-05-16 16:46:51 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年5月16日(火)

旅の日

旅を愛する作家や芸術家等に依って結成された「日本旅ペンクラブ」
(旅ペン)が1988年(昭和63年)に制定した)旅の日」。

1689年(元禄2年)の5月16日(旧暦3月27日)に俳人の
松尾芭蕉が江戸を立ち、「奥の細道」へ旅立った日に因んだもの。

芭蕉は日光街道を北へ進み、陸奥・出羽・越後・加賀・越後などを
彼(芭蕉)にとって未知の国を巡る旅であった。
全行程約600里(≒2400km)に及ぶ旅であった。

記念日は、忙しい現代社会に於いて忘れがちな「旅心」を大切にし
「旅人」とは何かと、あらためて問いなおす事を目的とされる。
日本旅のペンクラブは、全国あらゆるジャンルから「旅の大賞」と、
「川柳」の入選作品を表彰している。
日本旅のペンクラブは昭和37年(1962年)に設立し、作家や
ジャーナリスト、歌人、弁護士、大学教授等の旅好きが集まり、
当初から会長は「西行法師」、副会長は「松尾芭蕉」とのこと。

因みに、私の母の故郷、静岡県にある「遠州横須賀倶楽部」が第
39回の大賞を受賞している。(何故か驚きの事実となった)

芭蕉の生家(滋賀県・伊賀上野)

1644年、伊賀の国(現滋賀県)に生れる。

1672年(29歳)に江戸へ赴し、3年後に桃青(俳号)となる。

1686年(37歳)に深川の庵(のち芭蕉庵)に移り、翌年(3
 8歳)の時、門弟より俳号「芭蕉」をおくられる。

 古池や蛙飛びこむ水の音(東京都江東区、清澄庭園に句碑)

1684年(41歳)野ざらし紀行の旅に出る。

 辛崎の松は花より朧にて(滋賀県・大津市)

1887年(44歳)の時、「鹿島詣の旅」「笈の小文の旅」
 鷹一つ見付けてうれしいらご崎(愛知県・伊良湖崎)
1689年(46歳)になり、「奥の細道」の旅に出る。

 夏草や兵どもが夢の跡(岩手県・平泉)


 五月雨を集めて早し最上川(山形県・尾花沢)


 荒海や佐渡によこたふ天河(新潟県・糸魚川)
 
 その後、伊勢神宮参拝をし、伊賀へ帰還した。
1694年(51歳)の9月に大阪へ赴き10月12日に、この
大阪の地で亡くなった。
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(死の4日前最後の句)
芭蕉記念館(伊賀上野公園)



潮路句会

2023-05-15 16:07:54 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年5月15日(月)

潮路句会5月例会

日 時 : 令和5年5月13日(土) 13時 ~
場 所 : 大手コミュニテイセンター
参加者 : 7名(うち1名、不在投句)
兼 題 : 1)聖五月、2)五月富士、3)当季雑詠、

聖五月は、晴天の日が多く芍薬が開き、河鹿が鳴き、行楽や
ピクニック等の好季節となる。薫風に泳ぐ鯉幟も見られ、蠅
や蚊でくるようになると、いよいよ夏らしい季節、、、。

五月富士は、この頃になると富士山の雪も遠目には見えなく
なり、夏めいてくる。然し現在では残雪と岩肌とが対照的で
ある富士山を指す場合もある。

知ってはいても、普段は中々使い慣れない季語に戸惑う。

さざ波の光りの先に皐月富士   玲 子


潮路抄

ひとひらも白を濁さず牡丹散る    玲 子

牧牛の黒光りせる聖五月       魚 青

雲一朶日の出に染まる五月富士    魚 青

紅を引きはにかむ少女聖五月     美保子

ほったらかしの庭に紫蘭の咲き乱れ  美保子

オルガンの音色明るし聖五月     輝 子

なんじゃもんじゃ白華やぎし並木道  輝 子

ぎしぎしの丈伸ばしきて赤らみし   美智子

尺取りの風にあほられ糸を引く    美智子

風に舞ひ蒲公英の絮姿消ゆ      政 子

岩間より出でし滴り葉を揺らす    政 子 

旅疲れ庭も卯の花腐しかな      ヤギ爺

聖五月やはらき風水鏡        ヤギ爺


ぎしぎし

2023-05-13 16:20:52 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年5月13日(土)

羊蹄の花 : ぎしぎしのはな

タデ科の多年草で、野原や畔等の湿地や道端などにも群生。

茎の高さは、50~100cm程になり、上方で分岐する。
葉は20cm前後の長楕円形で幅5~10cmの大型。

5~6月頃に節々から淡緑色の小花が多数輪生し、全体で
細い円錐状の花穂を出す。


花が終わる頃に三綾の瘦果(果実)を結ぶ。

茎や葉は蓚酸(しゅうさん)を含み、この強い酸味を除き
食用とする。若い芽は水草の「じゅんさい」のように粘り
を持ち「丘じゅんさい」とと呼ばれ食用となす。
お浸し、和え物や漬物として利用される。

根の部分は「しのね」といい、「大黄」に代用品となり、
緩下剤として便秘に効能があるといわれる。
また生の根を擂り潰して塗ると、皮膚病、オデキ、腫物に
効能があるといわれている。



公園の雑草が伸び放題ととなり、そろそろ2度目の草取り
せねばと、、、公園の見回すと、隅に一際背の高い雑草が
ある。 名前が判らず、部屋に戻り図鑑を眺める。

子供達が喜びそうな、、「羊蹄」(ぎしぎし)という名。
昔は、子供達の恰好の遊び道具(草)?だったようだ。

今日の1句

ぎしぎしや餓鬼大将の出番なり   ヤギ爺

蚕 豆

2023-05-12 16:32:09 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年5月12日(金)

そら豆 : 蚕豆、はじき豆


マメ科の二年生蔓性の作物。 原産地は不詳とされるが、
古来より西アジアで栽培、今では世界各地で栽培されている。
2~3月頃、直径3cm程の紫色の蝶型の花を咲かせる。


その後、長さ」10~30cmもある大きな莢を付け、中に
3cm程の平たく親指の先くらい、薄緑色の実が3~4個の
豆(種子)が含まれる。


莢が空を向くので「天豆」と言い、莢の中にあるソラマメの
実が、蚕(カイコ)の繭に似ていることから「蚕豆」という
字が充てられた。(酒処では「天豆」表示する所もある。)
近年、ハウス栽培など技術が発展して秋の一時期を除いて、
一年中食べられるようになった。


生のそら豆は「野菜」として扱われるが、豆が莢から出て空
気に触れると直ぐに固くなり、「そら豆が美味しいのは3日
間だけ」といわれるように、鮮度落ちが早い。
食べる前に莢から豆を取り出すのがよいとされる。豆の鮮度
は豆の先端の筋(爪と言われる部分)は、俗に「お歯黒」と
呼ばれ、若い豆は瑞々しく緑色であるが熟れ過ぎると「お歯
黒」状態になってくる。

蚕豆をミキサーで、、ミルクを加え温める。


食感が固くなるが、実がよく熟れているのでスープにすると
濃厚な味わいになる。

旬」の若い蚕豆はやはり、塩茹でにして頂くのが良い。


ビールのお伴には最高、、そろそろビールの美味しい季節。



今日の1句

そら豆のぽんぽんと爆ぜ皴の手に  ヤギ爺

アマリリス

2023-05-11 15:45:39 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年5月11日(木)

アマリリス : ジャガタラ水仙



ヒガンバナ科の多年生球根植物で、地中に鱗茎を形成する。
原産は中南米・西インド諸島とされ、18世紀初頭にヨーロッパ
にもたらされた。
日本へは江戸の嘉永年間(1848~1854年)に渡来して、
「ジャガタラ水仙」と呼ばれた。
長大な線形の葉を叢生し、60~70cmの太い花径の頂部に
散形花序をつける。 百合に似た大型6弁の花を数個付ける。
交配した品種は多く、花の色は赤、白、橙、紅白の絞りなどの
様々に在る。
温室栽培で冬場にも、鉢植えなどを楽しむことができる。


ベランダのアマリリスが、今年も大輪の花を咲かせた。
早や10年、当初は冬場になると球根を土に戻して鉢を室内へ
移していた。

ここ数年は、殆ど手入れもせず冬の間もベランダに放置した儘。
それでも毎年、綺麗な大輪の花を咲かせ、我々(老夫婦)の眼
を楽しませてくれる。

今年は暖かくなるのも早く、3月末頃には葉の根元から新芽が
顔を出した。



日に日に成長して二つ三つと顔を出し、最初の茎はぐんぐんと
伸びて、頂部二つに分かれ花茎が赤みを帯びて来た。


やがて大輪の赤い花が二つ開き、重たそうである。


確り開いた花は、私達を笑顔にさせる。カミさんは我が子の様
に何か話かけている、、、、、。
この花が終わる頃には、次の花芽が出番を待っている。


今日の1句

アマリリス終の住処を照らしをり  ヤギ爺