平成27年11月30日(月)
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昭和の大女優の死
原節子(秋日和より)
11月26日付の新聞で、「伝説の大女優、原節子さん死去」
が報道され、マスコミ各社、NET上にも様々に挙って
このニュースを取り上げていました。
原節子死去(中日新聞依り)
8月に体調を崩され、肺炎で入院、9月5日に亡くなった
とのご家族の談話、、、、。
世間を騒がせたくないとの本人の意向により、今日まで
伏せていたとの由、、、、。(中日新聞紙上より)
42歳で引退、、、マスコミ嫌いで、殆ど世間にその姿を
見せる事無く、、その生涯を静かに閉じられた。
原節子さん、大正9年(1920年)6月17日 横浜保土ヶ谷生
私立横浜高等女学校(現横浜学園2年中退)
15歳の時、義兄の映画監督、熊谷久虎氏の紹介で日活へ、
「ためらふ勿(なか)れ若人よ」で映画デヴュー
この時の役名「原節子」を、芸名とした様です。
青い山脈、杉葉子と
晩春、父(笠智衆)へ挨拶を、、
その後東宝に移籍、黒沢明監督の「我が青春に悔いなし」
出演、、、、。
1947年、東宝の争議の際に新東宝に参加、、、、、、、
同年、フリーとなる。
1949年封切られた、「青い山脈」が大ヒット、人気爆発
国民的大女優となった、、、、。
お嬢さん乾杯、佐野周二と
同年、松竹映画「晩春」で小津安二郎監督と出会ひ、、
「麦秋」「東京物語」「東京暮色」「秋日和」を、
「小早川家の秋」は小津安二郎監督の東宝での唯一の
作品に出演した。
東京物語、東京に出て来た義父母と義兄、義姉
1962年、東宝創立30周年記念映画「忠臣蔵」稲垣浩監督
の作品に大石りく役で出演したのが最後となった。
1963年、小津安二郎監督の死去後、突然引退をする。
通夜(12月13日)の席で周りを憚らず、同席した
杉村春子と伴に号泣をしたのは有名な話、、、、。
小津安二郎を生涯尊敬し、結婚することも無く、、、
その後、鎌倉の地でひっそりと暮らしていた様です。
東京暮色、有馬稲子と
秋日和、司葉子(中央)と
映画雑誌「キネマ旬報」に依る、20世紀映画ランキング
日本女優、1位 原節子、2位 吉永小百合、3位 京マチ子
とありました。
めし、上原謙(夫)と
原節子さんの主な出演作品 ( )内は監督
1935年 ためらふ勿れ若人よ(熊谷久虎)日活
1946年 我が青春に悔いなし(黒沢明)東宝
1947年 安城家の舞踏会(吉村公三郎)松竹
1949年 お嬢さん乾杯(木下恵介)松竹
1949年 青い山脈(今井正)東宝、島崎先生役
1949年 晩春(小津安二郎)松竹
1951年 白痴(黒沢明)東宝、ドストエフスキー原作より
1951年 麦秋(小津安二郎)松竹
1951年 めし(成瀬巳喜男)東宝、林芙美子の遺作(結末映画用に)
1953年 東京物語(小津安二郎)松竹
1954年 山の音(成瀬巳喜男)東宝、川端康成原作
1955年 ノンちゃん雲に乗る(倉田文人)新東宝、鰐淵晴子の母役
1957年 東京暮色(小津安二郎)松竹
1957年 千恵子抄(熊谷久虎)東宝、夫役、高村光太郎(山村聡)
1960年 秋日和(小津安二郎)松竹
1960年 路傍の石(久松静児)東宝
1961年 小早川家の秋(小津安二郎)東宝
1962年 忠臣蔵(稲垣浩)東宝創立30周年記念映画
1963年 引退
全107本に出演(内戦前、戦中は52本)
※ 次回から、原節子さんを偲び、私の収集作品の
中から数本ご紹介記事を掲載したいと思います。
今日の1句
聖女逝く北は吹雪となりにけり
今朝の春未だ遠き儘聖女逝く
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昭和の大女優の死
原節子(秋日和より)
11月26日付の新聞で、「伝説の大女優、原節子さん死去」
が報道され、マスコミ各社、NET上にも様々に挙って
このニュースを取り上げていました。
原節子死去(中日新聞依り)
8月に体調を崩され、肺炎で入院、9月5日に亡くなった
とのご家族の談話、、、、。
世間を騒がせたくないとの本人の意向により、今日まで
伏せていたとの由、、、、。(中日新聞紙上より)
42歳で引退、、、マスコミ嫌いで、殆ど世間にその姿を
見せる事無く、、その生涯を静かに閉じられた。
原節子さん、大正9年(1920年)6月17日 横浜保土ヶ谷生
私立横浜高等女学校(現横浜学園2年中退)
15歳の時、義兄の映画監督、熊谷久虎氏の紹介で日活へ、
「ためらふ勿(なか)れ若人よ」で映画デヴュー
この時の役名「原節子」を、芸名とした様です。
青い山脈、杉葉子と
晩春、父(笠智衆)へ挨拶を、、
その後東宝に移籍、黒沢明監督の「我が青春に悔いなし」
出演、、、、。
1947年、東宝の争議の際に新東宝に参加、、、、、、、
同年、フリーとなる。
1949年封切られた、「青い山脈」が大ヒット、人気爆発
国民的大女優となった、、、、。
お嬢さん乾杯、佐野周二と
同年、松竹映画「晩春」で小津安二郎監督と出会ひ、、
「麦秋」「東京物語」「東京暮色」「秋日和」を、
「小早川家の秋」は小津安二郎監督の東宝での唯一の
作品に出演した。
東京物語、東京に出て来た義父母と義兄、義姉
1962年、東宝創立30周年記念映画「忠臣蔵」稲垣浩監督
の作品に大石りく役で出演したのが最後となった。
1963年、小津安二郎監督の死去後、突然引退をする。
通夜(12月13日)の席で周りを憚らず、同席した
杉村春子と伴に号泣をしたのは有名な話、、、、。
小津安二郎を生涯尊敬し、結婚することも無く、、、
その後、鎌倉の地でひっそりと暮らしていた様です。
東京暮色、有馬稲子と
秋日和、司葉子(中央)と
映画雑誌「キネマ旬報」に依る、20世紀映画ランキング
日本女優、1位 原節子、2位 吉永小百合、3位 京マチ子
とありました。
めし、上原謙(夫)と
原節子さんの主な出演作品 ( )内は監督
1935年 ためらふ勿れ若人よ(熊谷久虎)日活
1946年 我が青春に悔いなし(黒沢明)東宝
1947年 安城家の舞踏会(吉村公三郎)松竹
1949年 お嬢さん乾杯(木下恵介)松竹
1949年 青い山脈(今井正)東宝、島崎先生役
1949年 晩春(小津安二郎)松竹
1951年 白痴(黒沢明)東宝、ドストエフスキー原作より
1951年 麦秋(小津安二郎)松竹
1951年 めし(成瀬巳喜男)東宝、林芙美子の遺作(結末映画用に)
1953年 東京物語(小津安二郎)松竹
1954年 山の音(成瀬巳喜男)東宝、川端康成原作
1955年 ノンちゃん雲に乗る(倉田文人)新東宝、鰐淵晴子の母役
1957年 東京暮色(小津安二郎)松竹
1957年 千恵子抄(熊谷久虎)東宝、夫役、高村光太郎(山村聡)
1960年 秋日和(小津安二郎)松竹
1960年 路傍の石(久松静児)東宝
1961年 小早川家の秋(小津安二郎)東宝
1962年 忠臣蔵(稲垣浩)東宝創立30周年記念映画
1963年 引退
全107本に出演(内戦前、戦中は52本)
※ 次回から、原節子さんを偲び、私の収集作品の
中から数本ご紹介記事を掲載したいと思います。
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聖女逝く北は吹雪となりにけり
今朝の春未だ遠き儘聖女逝く
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