遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

湯豆腐

2019-01-31 14:08:23 | 日記
平成31年1月31日(木)

湯豆腐

豆腐を四角に切り、鍋に昆布を敷いた湯に入れ
醤油、かつお節、薬味を混ぜた出し汁で頂く。


豆腐は水に浸した大豆を引き砕きその絞り汁を
煮てカス(おから)を取り苦汁(ニガリ)を
加えて凝固させた食品。
安価で蛋白質が多いので庶民的な食材である。
今では健康食品として海外にも人気が在る。

夏場には喉越しの良い冷奴、冬の寒い時には
湯豆腐として賞味される。
手軽に食べられ、アッサリした味の日本的な
食品である。
他にこれと似た安直な食物は見当たらない。


京都、西山艸堂


京都の嵯峨豆腐は有名で、
京都に観光で訪れた際に、南禅寺や嵐山等
の寺院、料理屋等で見かけ、一度は食べられ
た事が在るのでは、、、、、。


南禅寺の順正


私も嵐山に在る「西山艸堂」で昼食を、、
また「南禅寺の豆腐」を食べるツアーがあり
「順正」に立ち寄った事が在りました、、。

今晩も湯豆腐で、家では簡単に醤油に薬味の
葱、削りカツオを入れ、、熱々を頂く、
冬の夜にはこれが一番、、、、、


今日の1句

湯豆腐の胃の腑に落ちる刹那かな    ヤギ爺

みその日

2019-01-30 16:36:43 | 日記
平成31年1月30日(水)

今日は味噌の日


八丁味噌、カクキュー

毎月30日は「みその日」、三十をみそと
語呂合わせで読み、全国味噌工業協同組合
により、1982年(昭和57年)9月に
制定された。

味噌には様々な栄養素含まれ「医者いらず」
という言い伝えがあるとか、、、、。
日本の長寿大国は、一つには日本人の食文化
に味噌が在る事も要因と考えられる。



仕込み風景(人形)

赤味噌と白味噌の違いは、
味噌は大豆を原料とするが、その使用工程
により、大豆を茹でる際に大豆に含まれる
アミノ酸がお湯に溶け出すため味噌が白く
なる。
一方で赤味噌は蒸して作られ、アミノ酸が
加熱された時に、褐色物質のメイラード
反応を起こし、味噌が褐色(赤色)となる。

味噌は1200年頃中国より伝わり、
豆、麦、酒、塩等を発酵させた「ひしお」
という食材が伝来したと在る。
鎌倉時代には武家社会で食べられ、室町
時代には一般庶民に広まったとの事。

私の住む尾張(名古屋)地方では赤味噌
八丁味噌が食べられる。
八丁味噌は、愛知県岡崎の八丁という村
で創られたとの記述がある。
(岡崎城から八丁西へ行った所)


宮内省ご用達の看板


味噌樽(木製)

2年前、俳句の吟行で岡崎市を訪ねた際
「カクキュウー」という八丁味噌の蔵元
を見学した。
1645年(正保2年)岡崎在住の
早川久右衛門家が当地で味噌の製造を
したのが始めとされる。

名古屋地方の赤味噌文化は、何にでも
赤味噌を付けて食べる様で、、、

味噌汁(赤だし)


味噌おでん


味噌煮込みうどん


味噌カツ(矢場とん)

味噌汁は基より、味噌煮込みうどん、
おでん、味噌カツ、味噌漬け等々、
独特の甘辛い風味が堪らない、、、


今日の1句

味噌蔵の寒さ厳しき仕込み樽   ヤギ爺
    

寒 鴉

2019-01-29 16:22:21 | 日記
平成31年1月29日(火)

寒 鴉 : 冬 鴉

寒さ極まる頃の鴉は人里に近づいて、
最も目に付く鳥である。

都会のゴミ置き場を荒らして人を困らせるが
木立や林の中等で鳴いたり、、、
荒海や冬枯れた河原等で鳴く鴉には、何処か
淋し気で、我々の心を惹く、、、、。
雀とともに、人に最も身近な鳥では在る。


早朝、公園に鴉が2,3羽舞い降りる、
よく見ると、電柱の上にも鴉がいて、
辺りを見回す様に止まっている。
冬の時期、先月(12月)より公園の草取り
を2月一杯まで止めて居り、その所為なのか
早朝鴉たちが、生ゴミを目当てにやって来た
様だ、、、。

冬場は鴉も餌を求めて、だんだんと人家の近く
へ現れる様になる。

我町では、その対策として防護ネットを掛ける
所が多くなった。

特に、マンションやアパート等の集合住宅では
ゴミも大量に出るので、ネットは不可欠。
ネットの無い所では、鴉などがゴミを喰い散ら
かして、周囲に生ごみゴミが散乱しその悪臭と
後の掃除が大変である。

ゴミは前日には決して出さず、当日の朝出す
事も心がけている、、、。


今日の1句

睨めつける木立の上の寒鴉     ヤギ爺

大相撲初場所

2019-01-28 16:33:34 | 日記
平成31年1月21日(月)

初場所


大相撲興行の一月場所の事で、初場所は
東京両国の国技館で開催される。
昭和33年(1958年)より、年6場所制
となり、1月東京初場所)、3月大阪(春場所)
5月東京、7月名古屋(夏場所)、9月東京、
11月福岡で催される。

玉鷲初優勝、家族と後援会


この3年間、初場所では初優勝する力士が占める。
平成16年1月は、大関の琴奨菊が日本人力士で
10年ぶりの快挙で沸いた、、、。
翌年17年1月は、大関稀勢の里が悲願の初優勝、
日本人待望の横綱誕生、、続く春場所(3月)に
連続優勝を遂げるが、その時の怪我で翌場所から
連続休場を続け、、、一度10勝を揚げ、復活も
兆しも見えたが、、、、、

そして今場所初日から3連敗をし、遂に引退を。
横綱鶴竜、大関栃ノ心も途中休場をする、、、
独り横綱の白鳳は孤軍奮闘、初日から10連勝、
途中休場後再出場した御嶽海に敗れ、 その後
3連敗、、、止む無く途中休場した。

残る大関高安、豪栄道は低堕落で相変わらずで
互いに庇いあい、クンロク(9勝6敗)大関、




そんな中、先場所初優勝した貴景勝と玉鷲の
両関脇が奮闘し、千秋楽を盛上げた、、
星一つで追う貴景勝が負け、遠藤との対戦で
勝利した玉鷲が13勝2敗で初優勝した。



立派である、


19歳の初土俵

モンゴルから、19歳の初土俵、、、、以来
今日まで15年間、一度も休むことなく土俵
に上り、押し相撲を徹底し今日の優勝となる。

場所前、誰も(私も)が予想しなかった人、

昨夜のNHKテレビ「サンデースポーツ」で
紹介され、その人柄(実に優しい)に私も
一目惚れを、、、。
日本へ来て初めて相撲を覚え、生真面目に
コツコツと15年、34歳での初優勝です。

玉鷲のご両親

昨日優勝と同時に男の子が誕生したとの事、
重ね重ねのおめでたの様で、、、



三賞、殊勲:御嶽海、玉鷲:殊勲,貴景勝:技能

優勝を逃した貴景勝と共に両関脇は、来場所
大関昇進がかかります。
相撲の世界もそろそろ若手との世代後退の時期
が見えて来た様です、、、。
(画像はNHKテレビより)

今日の1句(俳人の名句)

初場所や花と咲かせて清め塩    鷹羽 狩行










杜を行く

2019-01-27 15:20:45 | 日記
平成31年1月27日(日)

冴えわたる


暖冬とは言え、ここ数日の寒さは「冬真っ盛り」
早朝、未だ薄暗い中目を凝らし、朝刊を取出し、、
一通り紙面を眺め、何時もの様に「ラジオ体操」
身体が何となく目覚めた頃、、、、
東の空から朝陽が昇る頃の気温はとても低く、
氷点下を指す、
早速、ストーブを点ける、、、、、
カミさんが、ヤット起き出して来る、、、
何時もの一日が始まる、、、、、。


白鳥古墳


所要で熱田に出掛ける事となり、
昼少し前に用を済ませて、神宮の方へ足が向く
「白鳥古墳」の辺りから、神宮の森へ、、、
新年の喧噪も止み、、詣でる人はなく、
森閑とした杜の小径へ入って行く、、、

冬の神宮の杜は、寒さが極まり、空気も透明に
澄んだ澱みのない冷たさを感じる、、、。
杜を進むと、鋭利的な刃物で大気が切られる
様に肌を刺す様な冷たさ、、、
身震いする様な悍ましさは無い、、、。
音も光も色も、何もかもが澄んでをり、
身も心も洗われる様で、とても居心地が良い。
頭の中迄スッキリした様に思える。



一時して我に帰り、、空腹を覚え、、、、
これも悲しき人の性か、、、、、、、、


今日の1句

樹々の冴え凝然として神の杜     ヤギ爺