遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

四月尽

2023-04-30 16:27:40 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年4月30日(日)

四月尽 : 春惜しむ



四月の最後の日、および四月の終わること。
陽暦では四月が春の最終月なので、自ずと「春行く」の
感慨を伴う。
陰暦では三月尽に「春行く」の思いが深かったが、今で
は「四月尽」の方に惜春の思いは込められている。

「春惜しむ」は仲春から晩春へ、華やかなたけなわの春
が続くなかで「ああ、もう春も過ぎ去ろうとしている」
と、行く春への愛惜の心がこめられる。過行く春を惜し
む一種の哀愁のただよう季語である。惜春とも使われる。

今年の大型連休(9連休)が早くも始まった。

天候は、?

4年ぶりにマスクの着用や出入国手続き等の制限が緩和
され、国内・海外への旅行者が大幅の増加が見込まれる。

また、国外から日本を訪れる旅行者も大幅に増加が予定
されているようだ。
中部国際空港のターミナルでは、国際線の出発・到着の
手続きをされる方が列をなしている。


前年比で、約10倍の4万8300人が予定される。
高速道路では各地で早くも渋滞が始まって居り、ピーク
は5月3日頃となっている。


今日(4月30日)は早くも4月尽の日。
生憎、朝から雨模様だが昼前には雨が上がる。
迷っていた、衣替えを午前中に済ませる。(カミさん)
今年は本当に何もかもが速く、季節は目まぐるしく進む。


ぺんぺん草(薺なずな)、
タンポポの絮、
ネジバナ、
シロツメクサ

草木は休む間もなく新緑の季節を迎え、雨上がりの公園
では子連れのお母さんが、、手をピシャリ、、、、、、
早くも蚊が現れたようである。

(蚊はボーフラから成虫に為る迄、僅か12日程とか)
爽やかな緑の、一年で一番過ごし易い季節(ヤギ爺)、
もう少しゆっくりと、穏やかに過ごしたいものだ、、。


今日の1句

目まぐるし何もかも早や四月尽  ヤギ爺

昭和の日

2023-04-29 16:32:00 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年4月29日(日)

昭和の日

昭和の日は2007年、従来の「みどりの日」を改称して、
昭和天皇の「天皇誕生日」を懐かしみ、昭和の時代を顧みる
日とした国民の休日の一つである。
昭和天皇の即位、

今年は本日(4月29日)から、中2日(5月1日、2日)
を含めると9連休の「ゴールデン・ウイーク」となる。

広島、原子爆弾投下、

玉音放送に泪する、

マッカーサー元帥と昭和天皇、

昭和は「激動の日々を経て、戦後復興を遂げた昭和の時代を
顧み、国の将来への思いをいたす」ことを趣旨として、制定
された。これにより、「みどりの日」は5月4日となった。

昭和生まれの私にとって、昭和はまさに私の人生そのもので
その半分を過ごして来た時代である。
戦時中のことはよく判らないが、戦後復興の最中に小学校へ
入学し、物のあまりない時代に学校給食は米軍の援助により
小麦と脱脂粉乳が支給され、粗末な物であったが完全給食が
始まった時代である。固いコッペパン、脱脂粉乳、、、、

コッペパン、脱脂粉乳、、、

あの頃は鯨肉が多かった。私は今でも鯨肉は苦手である。
その頃には「S L」が走り、母の実家へはこれに乗った。
S L、


名古屋市内の主要な交通機関は路面電車(市電)であった。
名古屋駅前、

子供の頃はなんでも手つくりで遊び、何の不自由もない。
毎日、「紙芝居」が来て、5円玉を握り皆が集まった。
紙芝居、


偶に親に連れられ映画館へ行く。テレビの未だない時代、
唯一の娯楽である。

テレビは未だあまり普及せず、プロレスの力動山が出ると
街頭テレビには黒山の人だかり、外人レスラー達を得意の
空手チョップで叩きのめすと、大歓声が起きた、、、、。
昭和34年4月、皇太子(平成天皇)妃「美智子様」との
ご成婚パレードが在った頃、我が家にもテレビが来た。

折しも、世は「ミッチー・ブーム」が巻き起こる、、、、。


昭和34年9月26日、未曾有の伊勢湾台風」がこの地を
襲った。学校は12月迄休校となる。(避難所となった)


昭和39年、東京オリンピックが開催され日本中がテレビ
に齧りついていた。
その頃に上京し、4年程「寮生活」をすることになる。

新宿ともしび(歌声喫茶)

休日は寮の仲間らと山に登ったり、当時ブームであった
「歌声喫茶」へ通い詰める、、、、。


(当時、「金の卵」と言われた中学卒業生達の集団就職列車
 が、上野駅に到着し、連日ニュースとなっていた。)

大阪万博、

札幌オリンピック、

その後も、大きなイベントの」「大阪万博」(「昭和45年)
「札幌オリンピック」(昭和47年)と続き、日本の戦後の
復興は目覚ましいものがあった。

私にとって、昭和の時代は正に「佳き時代」であった。

昭和天皇崩御(昭和63年)、

今日の1句

春驟雨昭和は遠くなりにけり  ヤギ爺

山 吹

2023-04-27 16:33:17 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年4月27日(木)

山 吹 : 面影草

バラ科の落葉低木、茎は緑色で根本から分かれる。
茎は束生し1m以上にもなり、その髄は白く灯心になる。
花は一重と八重がある。



晩春に五弁の黄色というより黄金色と言いたい花を、木陰
等に咲かせる。小判のことを「山吹」という所以である。
八重の花の時期は遅く、濃山吹と呼ばれるほどぽってりと
美しく、観賞用として庭園等に植えられる。

江戸城を築いた武将の太田道灌が鷹狩の途中で雨に遇い、
農家で蓑を借りようとしたが、「七重八重花は咲けども
山吹のみの(実のと、蓑の掛け詞)一つだになきぞ悲しき」
の古歌(後拾遣集・巻十九)の「ななへやへ花は咲けども
山吹のみのひとつだになきぞあやしき」をふまえて、娘が
山吹を差し出した故事が知られているが、八重山吹、白花
山吹以外は実を結ぶ。
近年品種改良により、切花に適する茎の長い花もある。
また、別属の四弁花の白山吹もあるようだ。

名古屋の東山植物園の万葉の径に、山吹の咲き乱れる場所
が在る。




小高い丘の中ほどに、和歌を詠み伝える木札が
建てられていた。


奈良時代の歌人、厚見王(あつみのおおきみ)の作

蛙鳴く神奈備川に影見えて今が咲くらむ山吹の花

河鹿が鳴く神奈備川に影を映して、今頃咲いているだろうか
あの山吹の花が。
※神奈備とは神の鎮座する山をいい、その裾野を流れる川を
 神奈備川」という。その後、龍田川のことと見なされた。
東山植物園にこの古歌の木札が建てられたのかは判らぬが、
山吹の花が咲く小高い丘を、古歌に想い巡らせたのであろう
か、、、、。


今日の1句(俳人の名句)

ほろほろと山吹ちるか滝の音   松尾 芭蕉

春 霖

2023-04-26 16:18:55 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年4月26日(水)

春 霖 : 春の長雨

霖雨は長雨のこと。従って春の長雨を「春霖」という。
冬から初夏へと季節が移り変わる時の、春の季節には天候が
ぐずつき雨の日が続くことが多い。

梅雨時の前触れと間違われるが、雨季(梅雨)の頃の長雨は
暗い感じが在るので区別する。



今年の春は例年に比べ何もかもが速く、桜は早々と咲き散り
急いだ。 

4月になると気温が急上昇し、連日各地で夏日(気温25度
以上)が報告された。いち早く夏の服装に着替え
颯爽と街を歩く人を多く見かけた、、、。

それを戒めるようにここ数日雨天が続き、一変して真冬の様な
寒さとなった。


慌てふためき、仕舞いかけた冬服を引っ張り出して羽織る、、
北国などでは暖房器具を使うというニュースまで流れた、、。

それにしても凄まじい天候異変に、年寄りのヤギ爺は付いて行
けず、鼻水を啜る。

外出を控え、出かける場合は再びマスクが必要となった。


今日の1句



春霖や句どちだらだら女坂   ヤギ爺

※ 句どち : 句の仲間、
  女坂  : 参道などの緩やかな坂道、(反するは男坂)