遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

切干大根

2019-11-30 16:48:08 | 日記
令和元年11月30日(土)

切 干 : 切干大根

大根やさつま芋の保存法の一つで、
季語としては「大根」を指す。
亦、さつま芋の切干もあるが「芋切り干し」
と呼ばれている。

沢庵用の丸干しに対して、切って一週間程
寒風に干したもの。

切り方によって、輪切り干し、千切り干し
等と言う。
煮物、酢の物、汁の具、はりはり漬け等に
使用される。

一般に大根を細かく切って乾燥させたもので
愛知県宮重大根が最も適しているとされる。
千切り、角切り、花丸切り等に刻み天日干し
をする。

三杯酢や木の芽味噌に和えたり、油揚げ等と
煮たりして食する。

我が家では、オフクロの味として、母の生前
から千切干大根に里芋、油揚げを加えて甘辛
く煮た物が出るが、今ではカミさんがこれを
引き継いでくれ、甘辛く煮て出してくれる。
亦、花丸切りの切干は味噌汁の具として、
朝餉に、日替わりで里芋、豆腐、油揚げ等と
食卓へ、、、、、。


今日の1句

切干や言わずもがなの母の味     ヤギ爺

葱 ねぎ

2019-11-29 16:16:35 | 日記
令和元年11月29日(金)

葱 : 根深、葉葱

ユリ科の多年生植物
中国又はシベリア・アルタイ地方原産といわれる
東洋では広く栽培されているが、西洋では殆ど栽
培されていない。

日本では古くから栽培されて居り、独特な香りと
辛味が在り、日本料理には欠かせない存在。

中空で細長い緑の葉の部分と、多数の葉鞘が重な
った白い部分を食べる。
関東地方では根深と称して葉鞘の部分を深く掘り、
根の白い部分を育てて食べる。
これに対し関西地方では、緑色の葉の部分を長く
育て、葉葱を食べる様である。
関東の「根深」の代表は、群馬県の「下仁田葱」
で在り、太く育った白ネギは有名である。
関西の「葉葱」の代表は、京都の「九条ネギ」が
それで在ろう。


葱は年間を通して市場に出回っているが、葱の旬
は冬であり「冬の季語」
古名は「葱」(き)といい日本書紀では「秋葱」
(あきき)の名で呼ばれた。
女房詞と言うのに「ひともじ」があるが、これは
葱を「き」と一文字で言う事からと言われる。

古代王朝時代の色の名前に「萌黄」がある。
これは葱」の萌え出る色をいい、黄色を帯びた
明るい青色のことを表す。

葱は日本料理に欠かせない野菜」で用途は広い。

先ずは「薬味」、きざみ葱を蕎麦や饂飩、豆腐
(やっこ、湯豆腐)等に添えて食す。

また鍋料理に欠かせぬ野菜で、すき焼き、水炊き
寄せ鍋等。

亦、焼いて食べるネギ焼き、ねぎま等々、、、
お好み焼きや、ラーメン等にたっぷり乗せて、

「葱焼き」「葱ラーメン」等若者に人気がある。
ぬた和え(味噌と魚介等を和えた物)中華料理
にも食材として利用されている、、、、。
そうそう、味噌汁の大事な食材だ、、、、。


今日の1句

厨から葱きざむ音朝の音     ヤギ爺


かいつぶり

2019-11-28 16:35:28 | 日記
令和元年11月28日(木)

鸊 鷉 : カイツブリ、鳰(にお


カイツブリ科の鳩よりやや小さい水鳥。
茶色で、全長は26cm程。

泳ぎ、潜水が得意で時に25秒以上潜る
事から、「息長鳥」の異称がある。
湖沼、川等で普通に見られるが、辺りが枯
果てる中で目立って見える。
留鳥で厳密には冬鳥ではないが、冬の湖沼
や池、川等で目に付く事から冬の季語。

身体を少し沈め、反動で浮き上がる力を利用
して、頭から水の中へ突っ込む。
跡(くるぶしから下の足)には膜が付いて
居り、これが水掻きの用をなす。
泳ぎが巧みで、水中に潜り漁をする。
小魚、小エビ、ザリガニ、大き目な水生昆虫
等を獲る。

繁殖期は夏で、水草を積み重ねて浮巣を作る。
初夏に羽毛の様な可愛いヒナを連れて泳ぐ
姿は、カルガモの様で、癒される。

滋賀県に在る琵琶湖は、古名を「鳰(にお)
の海」といい、鳰は滋賀県の県鳥となる。

由 来
古名の「鳰」は、水に入る鳥が転じた。
奈良時代には「にほどり」と称された。
「カイツブリ」は、繰り返し潜る「掻き頭潜
(かいつぶり)」からという説や、
「カイ」は忽ち、潜るときの音が「ツブリ」
と転じたとの説等、様々な説がある様だ。


この地(名古屋)では、荒子川公園や、
白鳥庭園、鶴舞公園等で多く見られ、、
日向ぼこをするように、、、、
亦、時に瞬時に水の中に消え、暫くすると
違った方向から浮き上がる、、、
これを繰り返し、飽きないで見る当方も
暇人では在る、、、、。


今日の1句

鳰の消ゆ思はぬ所鳰浮かぶ    ヤギ爺


日本丸入港

2019-11-27 16:09:29 | 日記

令和元年11月27日(水)

練習船日本丸の入港


11月27日(水)、名古屋港ガーデン埠頭へ
練習帆船「日本丸」が入港した。
午前10時過ぎ、曇天、冬凪で比較的穏やかな
名古屋港の沖合に、帆を下した日本丸が姿を
表した。
タグボートに曳航された帆船がゆっくり入港、
デッキには、練習生全員が並ぶ、、、、



今回の寄港には、新聞などの報道案内は無く、
入港時に執り行われる「入港歓迎式典」は無く
入港を出迎える人は疎らである、、、、、。
今回の入港期間は、
11月27日(水)入港~12月2日(月)出航
通常、土、日に行われる船内一般公開はなし。
また、出港時に行う「登檣礼(とうしょうれい)」
も行われない。

11月7日(木)に入港した練習船「海王丸」は
入港時に入港歓迎式典を行なった。
11月9日(土)、10日(日)に船内一般公開
を行い、大勢の人で賑わった。
同じ帆船での練習生にとり、何らかの事情が在る
とは言え、出迎えは疎ら、、、甚だ残念である。

タグボートに誘導された日本丸は、ガーデン埠頭
で接岸作業が行われた。

上司(指導教官)の指導の下、練習生全員が各々
の持ち場で、黙々と、、きびきび作業をする。

11時前、予定通り無事接岸された、、、。


12月2日(月)午後出航の予定とか、、
練習生の皆さん、ゆっくり骨休み?して下さい。

練習船 日本丸


進水日 : 昭和59年2月15日
竣工日 : 昭和59年9月10日
総トン数 : 2、570 トン
全 長 : 111.09 M
全 幅 : 13.80 M
満載喫水量 : 6.57 M
出 力 : デイ-ゼル機関1,500馬力×2基
      2,206Kw
航海速力 : 13.20 ノット
最大積載人員 : 190名(実習生120名)

今日の1句

冬凪や閑散の中帆を下す     ヤギ爺


ローマ教皇IN広島

2019-11-26 16:14:41 | 日記
令和元年11月26日(火)

ローマ教皇広島の地へ


長崎訪問を終へたローマ教皇は、午後広島
へ移動され、「平和記念公園での集い」に
参加された。

午後6時30分過ぎ、平和祈念公園に到着。
出迎えた県知事、広島市長等と被爆者代表
の方達と一人一人握手、言葉を交わされた。

この後、被爆死亡者名簿が収められた原爆
慰霊碑前で、献花、キャンドル灯火、黙祷
を捧げられ、教皇の記帳が行われた。

この後、被爆者代表の被爆体験に耳を傾け
られた。



被爆者代表、各宗教団体代表者等を前に、
スピーチを行った。

「この地で大勢の人が、その夢と希望を
一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、
影と沈黙だけが残りました。、、、、、
その瞬間は、この国の歴史だけではなく、
人類の顔に永遠に刻まれました。

私は平和の巡礼者としてこの地を訪れなけ
ればならないと感じました。
激しい暴力の犠牲となった、罪のない人々
を思い出し、現代社会の人々の願いと望み
を胸に、静かに祈るために、、、、。

真の平和は非武装の平和以外にあり得ない。
戦争のために原子力を使用することは犯罪
以外の何物でもない。原子力の戦争目的の
利用は倫理に反します。
核兵器を含む大量破壊兵器の保有や核抑止
を否定する。
核武装の脅威で威嚇する事でどうして平和
を提案出来るのでしょう。

私達は歴史から学び、記憶し、共に歩み、
守る事は倫理的使命です。
現代社会ではグローバル化で結ばれている
だけでなく、共通の大地により、何時も
相互理解により結ばれています。
特定のグループや集団が排他的利益を求め
無い事が必要とされます。

神に向かい、全ての善意の人に向かい、、
一つの願いとして、原爆と核実験と、あら
ゆる紛争の全犠牲者の名に依って、声を合
わせ、心から叫びましょう、、、
戦争はもういらない、兵器の轟音はもうい
らない、こんな苦しみはもういらない、、
私達の時代に、私達の居るこの世界に、平和
が来ます様に、、、、、、、、、、。

長崎でのメッセージに対し、田上長崎市長は
「長崎の平和宣言に通ずるところがある、
被爆者と市民に勇気を与える」とコメント。
亦、松井広島市長は「教皇のメッセージは
被爆の実相を十分に汲み、核兵器廃絶を進め
る追い風となる。今後は被爆者の思いを次世
代へ伝えて行きたい」と述べられた。

核兵器禁止条約、国連代表サーロセツ子さん


広島被爆者教会理事長代行

次の日、教皇は東京へ移動され、天皇陛下と
閲見され、安倍総理と会談、東京ドームミサ
と、ご高齢に関わらずハードなスケジュール
をこなされた。

(写真は、NHK TV報道ニュースより引用した)

今日の1句(俳人の名句)

冬がれや世は一色に風の音    松尾 芭蕉