平成28年8月28日(日)
歌声ひろば 10
日時 : 平成28年8月24日(水)10:30
場所 : 守山文化小劇場(名鉄瀬戸線、小幡駅)
アクロス小幡
アクロス小幡 3F
座席数 : 400(車椅子席 3)
名古屋栄町駅からは、急行で12分程の場所で、
家(港)から35分位、かなり近い距離でした。
実際、前回(緑文化小劇場)は家(港)から1時間
以上かかりました。
受 付
少し空席が目立ち、250人位(7割弱)の参加です。
何時もの司会(歌)、栗田さかゑさん、ピアノ伴奏は
ささはらなおみさんで、前半の始まりです。
高原列車は行く、岡本敦郎
空港、テレサ・テン
①高原列車は行く、②浜辺の歌、③手のひらを太陽に、
④りんごの歌、⑤里の秋、⑥サントワマミー、⑦空港
⑧蘇州夜曲、⑨アザミの歌、⑩エーデルワイス、
サウンドオブミュージックより、
エーデルワイス
映画「サウンドオブミュージック」の中で、オーストリア
在住、海軍のトラップ大佐はドイツ軍より出頭命令が下り
反ナチの大佐は、家族で合唱コンクールへの出場を機に、
国外脱出を企てます。
舞台で、一家で歌う「エーデルワイス」が終わり、、
表彰式の最中に、近くの修道院(以前、妻マリアが居た)
に逃げ込み、、、やがて山を越えてスイスへと向かう。
クリストファー・プラマー(トラップ大佐)と、
ジュリー・アンドリュース(妻、マリア)と子供達の
美しいハーモニーが、、、、、
前半の最後に ⑪見上げてごらん夜の星を、歌い
15分間の休憩です、、
朝から風邪気味か、鼻水が止まらず調子が出ません。
早速トイレで鼻を、、、、。
後半は、
①夏の思い出、②二人は若い、③ビリーブ、④桜貝の唄
⑤待ちぼうけ、⑥夜明の歌、⑦花(全ての人の心に花)
夜明けの歌、岸洋子
ビリーブ、卒業の歌いろいろ、
アメイジンググレイス
、
⑧象列車よ走れ⑨ひまわり⑩アメージンググレイス、
「象列車」は、
太平洋戦争中、日本各地の動物園で多くの動物(猛獣)が、
檻から抜け出さぬ様に処分されました。
そんな中、名古屋の東山動物園の象だけは、脚を鎖で繋ぐ
事を条件に処分を延期されました。然し戦時中の食糧難
から、4頭の内2頭が死亡。
まもなく1945年(昭和20年)戦争が終わり2頭の象
が残り、、、1949年(昭和24年)東京の子供達から
象が見たいので、東京に象の貸出しを要望が、、、
全国からも同じ要望が名古屋に届きますが、、、
象の高齢化と食糧難から衰弱して居り、とても象の輸送は
無理との事。 その後、国が国鉄(今のJR)と名古屋に
働き掛け、、、、全国の子供達を順番に名古屋へ行ける様
「象列車」(臨時)を走らせる様になりました。
その時の模様を、絵本と合唱にしたのがこの曲です。
⑪あの素晴らしい愛をもう一度、、、
⑫最後に、定番の「故郷」の大合唱でお開きです、、、。
今日の1句
歌声の千差万別百日草 ヤギ爺
歌声ひろば 10
日時 : 平成28年8月24日(水)10:30
場所 : 守山文化小劇場(名鉄瀬戸線、小幡駅)
アクロス小幡
アクロス小幡 3F
座席数 : 400(車椅子席 3)
名古屋栄町駅からは、急行で12分程の場所で、
家(港)から35分位、かなり近い距離でした。
実際、前回(緑文化小劇場)は家(港)から1時間
以上かかりました。
受 付
少し空席が目立ち、250人位(7割弱)の参加です。
何時もの司会(歌)、栗田さかゑさん、ピアノ伴奏は
ささはらなおみさんで、前半の始まりです。
高原列車は行く、岡本敦郎
空港、テレサ・テン
①高原列車は行く、②浜辺の歌、③手のひらを太陽に、
④りんごの歌、⑤里の秋、⑥サントワマミー、⑦空港
⑧蘇州夜曲、⑨アザミの歌、⑩エーデルワイス、
サウンドオブミュージックより、
エーデルワイス
映画「サウンドオブミュージック」の中で、オーストリア
在住、海軍のトラップ大佐はドイツ軍より出頭命令が下り
反ナチの大佐は、家族で合唱コンクールへの出場を機に、
国外脱出を企てます。
舞台で、一家で歌う「エーデルワイス」が終わり、、
表彰式の最中に、近くの修道院(以前、妻マリアが居た)
に逃げ込み、、、やがて山を越えてスイスへと向かう。
クリストファー・プラマー(トラップ大佐)と、
ジュリー・アンドリュース(妻、マリア)と子供達の
美しいハーモニーが、、、、、
前半の最後に ⑪見上げてごらん夜の星を、歌い
15分間の休憩です、、
朝から風邪気味か、鼻水が止まらず調子が出ません。
早速トイレで鼻を、、、、。
後半は、
①夏の思い出、②二人は若い、③ビリーブ、④桜貝の唄
⑤待ちぼうけ、⑥夜明の歌、⑦花(全ての人の心に花)
夜明けの歌、岸洋子
ビリーブ、卒業の歌いろいろ、
アメイジンググレイス
、
⑧象列車よ走れ⑨ひまわり⑩アメージンググレイス、
「象列車」は、
太平洋戦争中、日本各地の動物園で多くの動物(猛獣)が、
檻から抜け出さぬ様に処分されました。
そんな中、名古屋の東山動物園の象だけは、脚を鎖で繋ぐ
事を条件に処分を延期されました。然し戦時中の食糧難
から、4頭の内2頭が死亡。
まもなく1945年(昭和20年)戦争が終わり2頭の象
が残り、、、1949年(昭和24年)東京の子供達から
象が見たいので、東京に象の貸出しを要望が、、、
全国からも同じ要望が名古屋に届きますが、、、
象の高齢化と食糧難から衰弱して居り、とても象の輸送は
無理との事。 その後、国が国鉄(今のJR)と名古屋に
働き掛け、、、、全国の子供達を順番に名古屋へ行ける様
「象列車」(臨時)を走らせる様になりました。
その時の模様を、絵本と合唱にしたのがこの曲です。
⑪あの素晴らしい愛をもう一度、、、
⑫最後に、定番の「故郷」の大合唱でお開きです、、、。
今日の1句
歌声の千差万別百日草 ヤギ爺