遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

冬日向

2021-01-31 16:31:14 | 日記

令和3年1月31日(日)

冬日向 : 冬日和

冬の太陽、冬の一日をいう場合もある。

日差しも鈍く弱く、陰鬱な気分がする。

然し、冬の日は何か懐かしさを誘うものである。

先年、白鳥庭園の吟行に出掛けた折りに「白鳥山法持寺」

へ立ち寄った事が在った。 丁度今頃の時節、、、

この寺は、天長年間に弘法大師が熱田神宮の「日本武尊」

を慕い、この地に「地蔵菩薩」を彫り建立し、鎮守したの

が始まりとされる。熱田御陵の宝物を護持した事から当初

「宝物寺」と称された。何度も消失、再建を繰り返し、、、

昭和20年5月17日、第二次世界大戦の空襲で焼失した。

昭和30年5月に戦後復興、現在地へ移転した。

昭和63年3月には大伽藍の復興工事が竣工した。

由緒在るこの寺は、東海道を往還する文人、墨客が立ち寄る。

芭蕉の句碑

山岡荘八の句碑

 

境内には、松尾芭蕉、若山牧水、山岡荘八等の句碑、歌碑が

残されている。

 

昭和32年より30年間、大相撲の三保ヶ関部屋の宿舎となり

大横綱の北の湖がこの部屋から誕生した。その後北の湖は一代

年寄りとなり、相撲協会の理事長にも推挙された。

境内には、稽古の道具等も保存されて居り、北の湖の功績を称

える石碑が在る。

境内の手水場辺りに、「竜の玉」が植えられて居り、丁度今頃

葉の間から、真っ青な玉が見え隠れしていよう、、、、

竜の玉 : 蛇の髭

海辺の林等に生息する、ユリ科の常緑多年草「蛇の髭の実」

庭の隅や垣根等に植えられる。寺社の境内に多く見られる。

葉は線形で叢生し、夏の時期に淡紫色の小花が開く。

晩秋から冬になると、青色の7mm程の球形の果実がなる。

冬に鮮やかな青色が目立ち、硬くよく弾むので子供達がこれ

で遊んで居た。(今では、余り見かけることはない様だ)

 

今日の1句

冬日向芭蕉の句碑を撫でて居り    ヤギ爺

竜の玉深く沈まる草の海    ヤギ爺


寒い日は、

2021-01-30 16:57:38 | 日記

令和3年1月30日(土)

寒い日は、シチューを

昨日は、雪が舞い降り、時折薄日が差し、、、

日暮になると牡丹雪が、夜間に風吹となり明日は積もる?

今朝、寒さ厳しく目覚める、、窓の外、屋根に薄っすら、、

朝5時、

新聞を手に、玄関を開けてみる、、通路腰高壁に≒1cm

の積雪、? (少し期待外れ、雪国の方にはすまぬ気が)

ベランダ側のカーテンを開け、眼下の公園の樹木の枯れ枝に

雪が纏い付き、集会場の屋根は薄化粧、地面の積雪は無し、

ご近所の家並は屋根を白くするが、通りに積雪は無く、、、

車は時折、雪を薄く乗せ、、フルスピードで、、、、、

暫くして、わが身の寒さに気付き、部屋に戻る。

北国や、北陸ではまた豪雪の、ホワイトアウトに注意せよ

とのニュース、、、、、

寒い一日となりそうだ、

今夜は、「クリームシチュー」を所望しよう、、、、

野菜、肉等を炒め煮込み、、ルー(市販)を加えて煮込み

牛乳を加え、弱火でとろとろ、、煮込む、、、、

(偉そうに講釈をタレルが、料理は全てカミさんだ、、、)

※亦、パソコンの調子が悪く、リモートサービスを頼む、、

 買い換えて、未だ1年余、、使い方(年寄りの)が悪い

 様である。覚えも悪く、聞いた事は右から左、、、、 

 何とも切ない齢かな、、、、、、

 

今日の1句

妻と居てパンとシチューの冬の夜   ヤギ爺


多羅葉

2021-01-29 16:15:07 | 日記

令和3年1月29日(金)

多羅葉 : たらよう

モチノキ科の常緑高木、暖地の山地に自生する。

高さ8m程、葉は長楕円形で厚く革質、光沢がある。

夏の4~5月頃、葉に薄緑黄色の花を密生し、秋になると

暗紅色の玉形の果実を付ける。

庭園に植栽し,材は細工物に用い、樹皮からは鳥黐(とり

もち)を製する。モンツキシバ、ノコギリシバともいう。

葉を乾かすか、熱すると黒褐色となり、傷つけると

黒変した字が書けるので、こういった性質のある多羅樹

というヤシ科の植物の様だと、この名が付いた。

このインドの「多羅樹」というヤシ科の植物は、インドの

経文を書いたり、葉を焙って占いに使用したりする。

多羅葉は葉の裏面を傷つけ文字が書ける事から「郵便屋の木」

として定められ、東京郵便局の前にはこの木が在るそうだ。

東京、武蔵府中郵便局の多羅葉の木

 

私が俳句を始めた頃、吟行に初めて参加しこの木に出逢った。

樹木や草花の名は殆ど知らず、花や樹木を見つけてはその名

を尋ねていた。句仲間に、植物にとても詳しい年配の女性が

見えて都度、花の名前や由来等を伝授して頂いた。

徳川園での銀行の折り、多羅葉を見せ「裏側に文字が書ける

のヨ、その昔、男女がこの葉裏にコッソリ伝言を書いて、、」

と、、、今の様に携帯電話等が無い時代、他人(親など)に

知られずに二人で伝え合う、何ともロマンチックな、、、、

 

今日の1句

多羅葉の隠し文字在る冬の朝    ヤギ爺


冬の名古屋城

2021-01-28 16:11:20 | 日記

令和3年1月28日(木)

名古屋城

16世紀、三河・尾張を支配する今川氏から、尾張の

織田信秀(信長の父)が奪取し、那古野城と改名した。

嫡男の信長が城主となるが、後に清州に移り廃城となる。

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで勝利した、徳川

家康は、1609年(慶長14年)に名古屋に築城を命じ

加藤清正等の諸大名が石垣工事を負担、大久保長安他の

以上10の諸大名が建築を担い、1612年に完成した。

近年、明治維新以降の1870年(明治3年)時の城主

徳川慶喜は新政府に返上を申し出た。

この後、姫路城と共に保存が決定された。

1872年(明治5年)城内に、東京鎮台第三分営が置か

れ名古屋鎮台となる。此処に「乃木倉庫」が設置される。

(第二次世界大戦の頃、倉庫内に名古屋城の襖絵、絵画等

を移し保管し、名古屋空襲の折りの火災から免れた)

消失前の天守閣と本丸御殿

 

1945年(昭和20年)5月14日の空襲により、大小

の天守閣、本丸御殿、東北隅櫓、金鯱等が消失した。

僅かに西北隅櫓のみが消失を免れた。

1959年(昭和34年)、地元商店主や全国からの寄付

を募り再建された。

2018年(平成30年)本丸御殿が完成し、一般公開さ

れた。

2013年に河村名古屋市長が、名古屋城の木造化を宣言、

鉄筋コンクリート、エレベーターを無くす事を発表したが、

文化庁の許可が下りず、未定となって居る。

現在、名古屋城天守閣は耐震性が低いとして、天守閣への

登城は禁止されている。 名古屋城への入場は可能である。

久しぶりに名古屋城へ出かける。

地下鉄名城線の名古屋市役所駅で下車、北へ進み直ぐに、

「金シャチ横丁」(伊勢のおかげ横丁を模した)の前を

通り左折、名古屋城東門へ出る。

入場料(高齢者100円、65歳以上)を払い、検温と

消毒を済ませ入場、

二の丸庭園を散策、加藤清正像(築城に貢献した)を眺め

二の丸東門を入ると直ぐに一際大きな石垣を目にする。

「清正石」とある。こんな大きな石をどうやって切り出し

運んで来たのだろうか、、、

西北隅櫓

左手奥に進むと「西北隅櫓」が現れる。小学生の頃の遠足

で名古屋綬に来た頃はこの建物しか無く、うす暗い階段を

恐々上った記憶が在る。ステップが高く昇り辛かった。

直ぐ傍に、真新しい「本丸御殿」、ここへは再建当時から

二度程拝観(一度は、地元出身の落語家の独演会)した。

天守閣の仰ぎながら、「不明門」を抜け、御深井丸へ、、

不明門

此処には、何故か「乃木倉庫」(乃木大将所縁の倉庫)が

在る。先の大戦中に、城内に在った。襖絵、絵画等をこの

倉庫に写し、空襲による火災消失を免れた様だ、、、

コロナ過の中、冬の名古屋城は閑散として人も疎ら、、

ゆっくりと史跡を巡ることが出来た。

 

今日の1句

外濠の水涸れ居たり黙(もだ)の中   ヤギ爺


水 仙

2021-01-27 16:19:44 | 日記

令和3年1月27日(水)

水 仙 : 雪中花

ヒガンバナ科の多年草

八重咲きもあるが、いずれも実を付けない

剣状の厚く柔らかな葉の中に、20~30cm程の

真直ぐな花茎を立て、その先端に数輪の花を横向きに付ける

白色六弁の花冠の中央に、黄色い盃形の副花冠が在る。

その花の形から「金盞」(きんせん)、「銀台」の名がある

年末から早春にかけて咲き、花は清楚で香りが高い。

地中海沿岸が原産で、古くに中国経由で渡来したとされる。

日本の水仙の群生地は、越前岬(福井県)、淡路島、伊豆爪

木崎などがよく知られる。

岬の斜面を埋める水仙の群落に、海光の広がり及ぶさまは、

冬の大自然の清々しい景観である。

水仙は花壇に植えたり、鉢植えにして楽しんだりするが、多

くは切花用に栽培され市場に出回る。花材を始め花の少ない

季節を彩る花として広く愛されている。

「雪中花」の別称が在る様に寒気の中に凛として咲き、然も

可憐な花の風情は日本人の心情に敵うものがあるようだ。

 

図書館の帰り、中学校の校庭裏の花壇に水仙が植えてあった。

日溜まりに風に揺れて、、、暫くして民家の前の街路にも、

普段は何気なく通っていて気付かぬのに、、、、

今日は、少し風が強く、それに抗う様に揺れていた。

 

今日の1句

水仙の震へ止まざる風の道    ヤギ爺