独り住まいの夜の寂しさを、愚かな映像を観て、アルコールを過剰にとって麻痺させ、眠りに堕ちるのだ。朝まで眠れれれば良いのだが、未明に目が覚めてしまう。漠然とした不安と恐怖を誤魔化すためにラジオをつけ、有り難い本を読むのだ。
ふと、魔がさして、天井を眺めていると、なんともいえず空しいのである。そのときに、そうすけは今年四十六であるが、今まで生きてきたこととか、死とか思うのである。
今まで生きてきたこと。<過去>の呵責、後悔、罪に苛まれる。
死ぬということ。未だに来ないが必ず来る終末に恐怖をおぼえる。
すると、<いま、ここ、じぶん>が揺らぎはじめる。どこともなく不安が湧いてくる。
♪ アカシヤの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
と、西田佐知子は唄った。
死んだら、どうなるか?などと考えてしまう。
ある人は、「死んだら仏の大きな計らいによって、宇宙にかえる」と考える。
ある人は、「死んだら、ゴミになる」と考える。
♪ 夜が明ける 日がのぼる
朝の光の その中で
あなたから呼びかけられている声に耳をかたむけられるほど、今日を切実に生きられたら・・・・・・
♪ 冷たくなった わたしを見つけて
あの人は涙を流して くれるでしょうか
永遠のいのちが現れるのでしょうか。
死んだら、どうなるか、という問題よりも、いのちを燃やしている者が何を、どう感じて生きねばならないのか、という方が大切なのではないでしょうか。
後ろを振り向いても仕方がない。
先を見たら限がない。
分を知ると、一歩でも大変だ。
右足半歩。左足半歩。最初はゆるりといこう。
うまく速く回れば、宙に浮く。
そうなれば、いいんだなぁ。
まずは、靴紐を締めなおして、右足を上げよ。