田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

法起寺近くでの逢瀬

2021-02-21 | 日々の暮し
暖かかったので自転車で法起寺近辺を廻った。
この寺は高浜虚子の「斑鳩物語」に登場する。
これを加味すると見方も変わってくるというものだ。


▲今日の法起寺。この横でお道さんと坊さんが・・・

「斑鳩物語」によると「小生」は法隆寺横の大黒屋という宿に泊まる。
(大黒屋は夢殿の南側にあった旅館で既に解体されたが跡地に大黒屋の表示がある)
その宿でお手伝いの「お道さん」という女性に世話をしてもらう。
(大黒屋は女中に松竹梅の名をつけているのでお道さんはアルバイトだろう)
そのお道さんはある寺の僧侶との許されない恋に苦悩していた。

この「斑鳩物語」が「ホトトギス」に掲載されたのは明治40年(1907)。
それを読んだ里見弴、志賀直哉一行が翌年この大黒屋に宿泊している。

お道さんと僧侶が法起寺近くで会っている場面を以下に掲載しておきます。
この恋の結末はどうなったのでしょうかね。
長文なので時間の許す方はどうぞ。
(全文は著作権が消滅しているので「青空文庫」を検索すれば掲載されています)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「小生」が法起寺に行って小僧さんの案内で三重塔に登った時のこと。
(以下抜粋 改行等は編集)

「又来くさつたな。又二人で泣いてるな」
と小僧サンは独り言をいふ。
見ると其塔の影の中に一人の僧と一人の娘とが倚り添ふやうにして立話しをして居る。
女は僧の肩に凭れて泣いて居る。
二人の半身は菜の花にかくれて居る。

「あの坊さん君知つてるのですか」
「あれなあ、私の兄弟子の了然や。学問も出来るし、和尚サンにもよく仕へるし、おとなしい男やけれど、思ひきりがわるい男でナー。あのお道といふ女の方がよつぽど男まさりだつせ。あのお道はナア、親にも孝行で、機もよう織つて、気立もしつかりした女でナア、何でも了然が岡寺に居つた時分にナア、下市とか上市とかで茶屋酒を飲んだ事のある時分惚れ合つてナア、それから了然はこちらに移る、お道はうちへ帰るしゝてナア、今でもあんなことして泣いたり笑つたりしてますのや。ハヽヽヽ」
と小僧サンは無頓着に笑ふ。

お道は今朝から宿に居なかつたが今こゝでお道を見やうとは意外であつた。
殊に其情夫が坊主であらうとは意外であつた。
我等は塔の上からだまつて見下ろして居る。

何か二人は話してゐるらしいが言葉はすこしも聞こえぬ。
二人は塔の上に人があつて見下ろして居やうとは気がつくわけも無く、了然はお道をひきよせるやうにして坊主頭を動かして話して居る。
菜の花を摘み取つて髪に挿みながら聞いてゐたお道は急に頭を振つて包みに顔を推しあてゝ泣く。

「了然は馬鹿やナア。あの阿呆面見んかいナ。お道はいつやら途中で私に遇ひましてナー、こんなこというてました。了然はんがえらい坊(ぼ)んさんにならはるのには自分が退くのが一番やといふ事は知てるけど、こちらからは思ひ切ることは出来ん。了然はんの方から棄てなはるのは勝手や。こちらは焦がれ死にゝ死ぬまでも片思ひに思うて思ひ抜いて見せる。と斯んなこというてました。私お道好きや。私が了然やつたら坊主やめてしもてお道の亭主になつてやるのに。了然は思ひきりのわるい男や。ハヽヽヽヽ」
と小僧サンは重たい口で洒落たことをいふ。

塔の影が見るうちに移る。
お道はいつの間にか塔の影の外に在つて菜の花の蒸すやうな中に春の日を正面に受けて居る。
涙にぬれて居る顔が菜種の花の露よりも光つて美くしい。
我等が塔を下りやうと彼の大仏の穴くゞりを再びもとへくゞり始めた時分には了然も纔(わづか)に半身に塔の影を止めて、半身にはお道の浴びて居る春光を同じく共に浴びてゐた。
了然といふ坊主も美くしい坊主であつた。
(抜粋終り)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうだ、そうだ、ボクでも坊主やめて結婚するぞ!!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。