田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

日本もオミクロン確認

2021-11-30 | 日々の暮し
今日(30日)ナミビアから成田空港に到着した30代男性がコロナの新変異株「オミクロン株」に感染していたことが分かった。
国内で確認されたのは初めて。
WHOは、オミクロンを「懸念される変異株」に指定している。
従来よりも感染力が増している可能性があるという。
奴等は次々に新手を作り出す。


▲ネットによる交流がもはや日常になる?       (写真=WEBから)

感染減少が奇跡の国といわれる日本も改めて警戒が必要になった。
政府は「鎖国」を始めたが以前の状態に戻らないという保証はない。

小生も再び引きこもりの生活に戻らねばならぬかも。
これまでの経験で慣れたけど。
ただ、少し熱があっただけでもドキッとするのは嫌だな。

ワクチン接種が一時の気休めのように思えてくる。
どうすれば完全終息になるのか・・・。
防ぐだけの生活は面白くない。

どうなっている労働運動

2021-11-29 | 日々の暮し

(WEBから借用)

先日、岸田首相が業績が回復した企業に「3%を超える賃上げを期待する」と表明した。
芳野連合会長は「組合員や国民全体の幸せを考えて政権とも交流を持っていくことが必要かなと思う」としたうえで「定期昇給を含め4%という目標へ労使で協議をしていく」と発言。

早々と仲の良いことだ。
首相の発言は労働者の生活水準より景気回復に主眼があろう。
労働者側がそれと同じような賃上げ水準を考えているのは如何なものか。
現実の生活実態からいくら必要かを要求するのが組合だろう。
個々の加盟組合の要求額が出揃った上での発言なのだろうか。

そもそも日本の賃金は世界的にも低レベルにある。
不安定労働者も増加し劣悪な条件でも働かねばならぬ状況だ。
これらを全体の力で改善していくのが労働組合の役割だろう。

また、連合会長は立憲民主党に国民民主党との合流を求め、共産との選挙協力はしないよう求めるとしている。
これでは与党を利するだけではないか。
自民、維新、公明、立民+国民の協議ですんなり事が運ぶとなればどうなる。

今、労働運動に何が期待できるだろうか。
そもそも実質を伴った「運動」が存在するものなのか。
もはや春闘も形骸化し死語となりつつある。

時代は変わったんだなあ。
昔、一時、労働運動に関わった年寄りの感慨であります。

ダリアの花 や ノビル塚など

2021-11-28 | 日々の暮し

▲鮮やかな色

孫娘が親に連れられてダリア園に行って沢山の花をもらって帰ったようだ。
その写真が送られてきた。
さすがに我が畑にあるダリアと違う。
色がいいと感心しきり。
世話の仕方が違うわなあ。


▲部屋がダリアだらけと書いてあった

我が畑では相変わらず時間の合間にノビル殲滅作戦を展開中だ。
あちこちにあるから長期戦である。
新兵器がないので短い時間であってもコツコツと積み上げるしか手がない。

今日も午後から1時間程度出動。
一か所に捨てるので「ノビル塚」ができているがだいぶ大きくなった。
これが成果を示している。
残るノビルが見た目、だいぶ減った。

千里の道も一歩から。
途中で寿命がきたら終わりだけどね(笑)。
「塚」の変化はこれ ↓


▲11月19日時点のノビル塚。後ろにあるのはダリア


▲今日(11月28日)時点の塚。大きくなった

日本はコロナから逃げ切ったか

2021-11-27 | 日々の暮し

▲今朝の月。写りこんでいる枝はその後直ぐの剪定でなくなった

来年3月に演芸大会を開催する予定で会場は確保済だが、コロナの動向に左右される。
規模が大きいのでそろそろ出場者募集に入らねば順番決定、プログラム作成などが間に合わない。
とりあえず今度はカラオケ、踊りだけに限定する方向だ。
中止もあり得るわけであまり気乗りしないがやらねばならぬ。

で、コロナの動き。
南アフリカで感染力のより強い新変異株が発見され既に数か国に入り込んでいるようだ。
抗体をすり抜ける能力を身にまとったこれはオミクロンと命名された。
これへの対応が急務になっている。

これまでのコロナでもヨーロッパでは感染拡大に伴う当局の規制に反発するデモ騒ぎが起きている。
近くでは中国も韓国も治まっていない。
これに再び日本が巻き込まれる可能性はゼロではない。
60パーセント以上の人がブレイクスルー感染というからワクチン接種済みであっても安心できない。
だから、まだまだ警戒が必要だ。
コロナは小さな油断から入り込む。

話題を変えて歌関連で一つ。

同じ歌でも歌い手によって受けるイメージが変わる。
例えば「ちあきなみ」の歌う「かもめの街」。
これは島津亜矢も歌っている。
どちらもプロなので上手い。
違いは「語る」と「歌う」にある。

歌の「味」は歌詞によるが「語る」方に生まれやすいのではないか。
藤あや子が猪俣公章に「ちあき」の歌を聴いてこいと言われたと言っていた。
歌の「味付け」を身体で感じてこいということだろう。

我ら素人集団はカラオケでも感情が入り過ぎ「味過剰」でグチャグチャになり沈没する場合が多い。
(過ぎたるは猶及ばざるが如し)
数時間後、自己満足の積み上がった荒野を後に帰宅するのである。
遊びだからそれでよい。

花は頭の上

2021-11-26 | 日々の暮し

▲3メートル程に育った

畑の隅に皇帝ダリアを植えている人がいる。
背丈が3メートル程になり先端に花が咲いているが、近くからでは足元しか見えないと言っていた。
高みから人を見下ろしているとはさすがに「皇帝」ダリアだ。

目線を少し上にあげれば違うものが見えることもあろう。
日々の生活も時にそうしたら新たな発見があるやも知れない。


▲風は西から顔は東へ

やたら火事のニュースが多い。
寒くなり暖房器具を使う機会が増えた。
おのおの方、油断めされるな。

主役交代

2021-11-25 | 家庭菜園

▲スギナが生えネギもまばら

自称「自然農法」の分葱(わけぎ)が見るも無残な姿になっている。
カミサンの言では吸い物の浮かしにもできな~い。
「ほったらかし農法」はそれなりやねと嫌味も言う。

ところが元気な分葱を見つけた。
以前、間引いて捨てた球根が草の中で芽を出して育っている。
これを植替えようとしたがこのままの方が安全と止められた。
(信用がない)


▲捨てたネギが育っている。周りの草を引くと立派に見える

それではと周りの草を除去してやると見栄えがよくなった。
当分、これが主役になる。
「自然農法」もそれなりに手入れが要るということですわい。

会議に出席やら

2021-11-24 | 日々の暮し

▲田園が広がる。ここは標高の低い場所で常に水害の心配がある

風も強く寒い。
午後の会議に行く車に暖房を入れた。
途中、渋滞に巻き込まれたが何かあるのかいな。

会議場の裏側駐車場の向こうには田圃が広がる。
来るまでの渋滞が嘘のようだ。

先日の大イヴェントの収支報告をして出番終了。
絶妙の黒字決算だから気楽だ。
会議そのものは短時間で終了。
こうでなければいけない。


▲道路が混んでなかなか進めない。時間は大丈夫かイライラ

これで一つが終わり明日から医者通いの再開で鬱陶しい。
メインの治療以外にも片方の目が白内障の疑いがあるし上顎もおかしい。
気忙しく動いている間は忘れているが歳相応にいろいろやって来る。
なるようになるでしょう(してくれるでしょう)と投げやりになる。

寒いから今夜は「おでん」となったが酒は不許可。
単なる「おでん」は食べ終わるのが早い。
無念、残念、一人泣きは大袈裟かな。

もう鏡餅かい

2021-11-23 | 日々の暮し


食料の買出しにスーパーへ。
店の一画に小さな鏡餅が並べてあった。
今は11月、クリスマスも未だというのにもう鏡餅か。
急がさんでくれ。
もっとゆっくり生きさせてくれ。

正月といって特段大きな準備があるわけでない。
去年から年賀状も超大幅に減らしたし。

正月で変わるものもない・・・はず。
(手帳が新しくなるが)
だが気忙しく感じる。
割り切りが足らん。

グースは記憶の世界へ

2021-11-22 | 日々の暮し

▲グースが行く。最後尾グースが全体の監視役?

PC内の孫娘の写真の整理の続き。
数年分溜まっているのでなかなか進まない。

山ほどある写真の中にこういうのもあった。
家近くをグースが歩いているもの。
場所はミシガン州ノヴァイ。
これらの写真は2019年夏頃に掲載したがまとめてもう一度。


▲別の日の朝。これも最後尾のグースが動き監視の感じ

家の背後に森と池があり、リスが棲み時に鹿が家の前にいることもあるという。
カナダに近いしグースがいても不思議はない。
これが熊や狼だったら大騒ぎだ。
日本に戻った今はもはやグースは記憶の世界のものとなった。

小生は子どもの頃、数羽のアヒルを川に連れて行って運動させたことを思い出す。
先頭のアヒルさへ誘導すれば後はついてくるから楽な手伝いだった。
グースも先頭の動きが大事なんだろうな。

茫洋とした

2021-11-21 | 日々の暮し

▲茫洋とつかみどころがない。以前に掲載したかも知れないが忘れた

生まれてから今日まで送られてきている孫娘の写真や動画を整理していたら出てきた一枚。
これはアメリカ時代のもの。
ソルトレイクで写したものだ。
孫は未だ日本に来たことのない頃である。

思うに掴みどころもない茫洋とした風景である。
ボクなど掴み棒ぐらいないと眩暈を起してよろけてしまうのではないか。
何か拠り所がないと人生に不安を感ずるのと同じようなもの。

ここに立つと人間はちっぽけな動物の一つであることが分かる。
大宇宙からみれば地球という名の小瓶に入った超微生物だろう。
その中で毎日、国同士、人間同士が揉めている。
(心はその宇宙を想像する能力があるというのに)
誰もが限られた時間を生きているのに勿体ないことこの上ない。

時々、広大な、茫洋とした風景を見るのは精神の清涼剤だろう。
水平線を見つめる人の気持ちが分かる。
旅行したくなるやないか。

周囲を明るくしてくれるサルスベリ

2021-11-20 | 日々の暮し

▲秋風情のサルスベリ。夕方で明るい色に写らないのが残念

庭の百日紅の葉がはらりはらりと落ちる。
秋を満喫させてくれる。
周囲も明るくしてくれる。
やがて葉が無くなれば直ぐに冬となる。

縁起を担いでか常緑樹を好む人は多い。
だが季節感に欠ける。
一年中同じ姿は飽きるだろう。

落葉集めは主にカミサンがしているが文句がでない。
秋の宿命と諦めているのかも。
何にでも一長一短がある。


▲葉が無くなると冬になる

昼から時間ができたので昨日に引き続き畑で黙々とノビルの撤去をする。
考え事もよくできる。
(下手な考え休むに似たり?)
かなり減った。
継続は力なり。

部分月食 & ノビル退治

2021-11-19 | 日々の暮し

▲本日18時10分頃の部分月食

今日、部分月食が起っていることを思いだしカメラを持って外へ。
始まりは16時19分頃というから既に2時間経過した今はどんな状態か。
東の空に見つけ損なうほど暗くなった月があった。
写真にすると明暗が薄れた状態だが「月食」と思って見れば大丈夫(笑)。
地球が存在している証でもある。


▲厄介なノビル

さて、話は変わって畑のこと。

畑にノビルが増殖している。
刈っても刈っても球根が残るので直ぐに元に戻り増殖を続ける。
背丈が低く柔らかいので邪魔にはならないが何しろ目障りだ。
球根ごと除去することにした。

鍬で掘り返しノビルをバケツに放り込む。
畑に長くうずくまっていると体調が悪いのかと誰かが様子を見に来そうだ。
今日はバケツ5杯分で終わる。
腰がもたん。


▲ノビル塚ができた

集めたノビルを一か所に集めると「ノビル塚」ができた。
この作業も続ければいつかノビルは無くなるはず。
継続は力・・・のはず。

いいカメラが欲しいなあ

2021-11-18 | 日々の暮し

▲これが限界

月の写真は手ブレで納得できるものが撮れない。
昨日も掲載したが今一つだ。
日が暮れて月が出ていたので再チャレンジ。
今回は三脚を持ち出した。
で、撮れたのが上の写真。
我がカメラではこれが限界ですわ。
思うに昨日の月は十三夜月とかのはず。
この写真は「遅れ十三夜月」ということです。

それにしても、いいカメラとレンズが欲しい!
(技術、腕だよと言われそう)
カメラを肩に彷徨うのは楽しかろう。


▲これ、な~んだ

未だに庭に残る「ひき臼」の下の部分。
上の部分は別の飾りになっている。
だが、この下部分は飾りにするには大き過ぎてもてあます。
重くて動かすのも大変なのだ。
昔の人は使わなくなっても「勿体ない」と捨てないから今まで残ったのだろう。
小生もわざわざ処分するのは面倒なのでこれからも居続ける可能性が大。
偉そうに先代、先々代のことはいえない。
よし、生存競争だ!


▲ひき臼の全体の姿(アマゾンから)

ひき臼といっても今では知らない人も多いだろう。
アマゾンの商品写真に全体が分かる画像があったので拝借。
(今でも売っているのか!)
写真は下のパーツ。
昔は各家でこんなのを使って穀物類を粉にしていたのです。

今何してる?

2021-11-17 | 日々の暮し

▲百日紅の葉が落ち続ける

秋深き 隣は何を する人ぞ   松尾芭蕉

既に稲刈りも終わり通り過ぎるコンバインの音もなく静かだ。
時折、静寂の中に子ども声が聞こえてくるだけで世間から人が消えたよう。
皆は何をしてるんでしょうかね。
小生は畑の増え続けるノビルの撤去をしただけ。
それだけでも立ち上がると腰、痛え~。



叔母の49日の案内が入った。
母方の兄弟姉妹は全て亡くなった。
容赦なく時は流れる。
秋も終わりに近づいた。

祠の未来

2021-11-16 | 日々の暮し


ボクは信仰心というものが無いに等しい。
家に仏壇はあるが「在るだけ」「念仏を唱えてもらうだけ」状態だ。
稀に「苦しい時の神頼み」はあるが。
そもそも神仏は存在するのかいな。
心の中に存在するといえばそれも存在だが何でも「存在」するようにできてしまう。
(だが実在ではない)

ある地域の辻に祠がある。
地域の人たちが護っているはずだ。
世代が替わっても維持されていくだろうか。
ボクのような信仰心の薄い者が増えれば危機に陥るかも。
信仰と切り離し地域の古い文化・伝統として引き継がれればいいのだが。