トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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10年前の今日の写真から

2016-09-15 21:33:00 | 回顧記事
10年前の今日は、北九州からウラジオストク航空直行便でロシア・ウラジオストクへ。ウラジオストク滞在3日目であった。


ウラジオストク駅で。日本とは全く異なるデザインの車両群に興味は尽きなかった。


国産車。ちょっと懐かしいデザインの車が多数現役だった。


トロリーバス。未だ日本国内では乗ったことがない。


市電。現在は殆どが廃止されてしまったようだ。2006年の時点でも本数は少なく、活気無く精彩を欠いていた。


バスは韓国の中古車が殆ど。


地理的にはアジアだが、文化は完全にヨーロッパ。日本から一番近いヨーロッパとも言ってよさそう。

10年前の今日の写真から ~ジェイアール九州バス瀬高線

2016-02-21 21:11:00 | 回顧記事
10年前の回顧記事から。2006年2月28日限りで撤退したジェイアール九州バス山鹿線





JR瀬高駅から分岐していた路線で、1941年までは九州肥筑鉄道が瀬高-南関間を運行、ほぼそのルートを辿る路線であった。


旧国鉄バスらしい旧国名を冠したバス停。


沿線には時が止まったかのようなこんな看板も。


途中の野町宮前に到着したバス。


瀬高駅では堀川バスと並ぶ。堀川の58MCも姿を消して久しい。


その後柳川駅を経由して帰宅したが、この頃はこんな車両も現役だった。

3月1日からは産交バスが瀬高駅-肥後大津間を、熊本電鉄が山鹿温泉-肥後大津間を引き継いだが、2009年10月1日に瀬高駅-南関上町間が廃止、2011年には熊本電鉄が撤退、現在は産交バスが一部区間を運行している。

10年前の今日の写真から 西鉄621-622

2016-02-18 21:39:00 | 回顧記事
2016年2月18日撮影。西鉄600形は621-622-672の編成を組んでいたが、622は運転台の使用が停止されており、事実上の中間車となっていた。



左が622、右が621.乗務員扉が残っているのがわかる。


622の先頭部。標識灯、白熱1灯の前照灯が残っていた。


車内は他の600形と変わりはない。この頃3連はエメラルドグリーンのシートモケットを採用していた。



貫通扉には手動式の方向幕を撤去した跡がそのまま残っている。


運転台。一部機器が撤去され、運転機能は喪失している。


621編成を含む一部の600形に残っていた「網」棚。貝塚線に転属した600形の網棚は全て金属製になっているので、「網」の網棚は過去のものとなった。