駅と駅前風景シリーズを始める前に撮影したので、殆ど「駅そのもの」ばかりでシリーズに入れられないため、今回は臨時にタイトルを改めることにしたが、番号は続いている。
今回は石勝線新夕張駅を紹介する。
最盛期の1960年には人口12万弱を抱えた夕張市であるが、本年、ついに1万人を割るなど、衰退の一途を辿っている。私が1987年に小学校の社会科見学で「石炭の歴史村」を訪れた頃、既に3万人程度までに減少していて、周囲には空き家が目立ち、活気も無かったのをよく覚えている。それから四半世紀、さらに人口は3分の1に減少している。
駅舎は鉄筋コンクリート造りの立派なもの。1981年石勝線が開業した際に移転した。
隣駅の「占冠」は1981年に石勝線が開通した際に新設された駅。石勝線開業以前は「紅葉山駅」と名乗り、夕張線の本線と登川支線の分岐駅であった。登川支線は石勝線とほぼ並行しており、石勝線開業の3か月前に廃止された。石勝線開業後は新夕張~占冠間に「楓駅」が新設されたが、2004年3月に信号場になった。
構内は2面5線と広い。夕張行き普通列車が到着。ちなみに石勝線占冠・新得方面への普通列車の設定はなく、特急のみである。
駅前にあった年季ものの案内図。
駅裏を見る。典型的な北海道の農村風景。
○基礎データ
所在地 北海道夕張市紅葉山
路線 北海道旅客鉄道石勝線
開業 1892年11月
乗り入れバス路線 夕張鉄道
乗客数 107人(2007年)
有人駅 みどりの窓口設置
訪問日 2011年9月13日
今回は石勝線新夕張駅を紹介する。
最盛期の1960年には人口12万弱を抱えた夕張市であるが、本年、ついに1万人を割るなど、衰退の一途を辿っている。私が1987年に小学校の社会科見学で「石炭の歴史村」を訪れた頃、既に3万人程度までに減少していて、周囲には空き家が目立ち、活気も無かったのをよく覚えている。それから四半世紀、さらに人口は3分の1に減少している。
駅舎は鉄筋コンクリート造りの立派なもの。1981年石勝線が開業した際に移転した。
隣駅の「占冠」は1981年に石勝線が開通した際に新設された駅。石勝線開業以前は「紅葉山駅」と名乗り、夕張線の本線と登川支線の分岐駅であった。登川支線は石勝線とほぼ並行しており、石勝線開業の3か月前に廃止された。石勝線開業後は新夕張~占冠間に「楓駅」が新設されたが、2004年3月に信号場になった。
構内は2面5線と広い。夕張行き普通列車が到着。ちなみに石勝線占冠・新得方面への普通列車の設定はなく、特急のみである。
駅前にあった年季ものの案内図。
駅裏を見る。典型的な北海道の農村風景。
○基礎データ
所在地 北海道夕張市紅葉山
路線 北海道旅客鉄道石勝線
開業 1892年11月
乗り入れバス路線 夕張鉄道
乗客数 107人(2007年)
有人駅 みどりの窓口設置
訪問日 2011年9月13日