偶数車号の202形は日本車輌製。
201形。200番台の車両は201,202,211の3形式に分けられる。
このうち201形は201・203・205・207・209と奇数の5両が在籍する。
1950年、長崎初のボギー車として登場。日立製の車両が奇数番号の201形となった。西鉄福岡市内線500形をモデルにした車両で、車体幅が少し狭い。
当初は前照灯が、屋根上にあった。
現在200番台の車両は、原則として広告電車にはならないようである。
このうち201形は201・203・205・207・209と奇数の5両が在籍する。
1950年、長崎初のボギー車として登場。日立製の車両が奇数番号の201形となった。西鉄福岡市内線500形をモデルにした車両で、車体幅が少し狭い。
当初は前照灯が、屋根上にあった。
現在200番台の車両は、原則として広告電車にはならないようである。
160形。1911年、後の西鉄北九州線となる九州電気軌道が開業時に製造した1系が前身である。後に西鉄が成立し、福岡市内線に転じて101系となった後、1959年に長崎へ転じた。
1両を除いて全て廃車となった後の1985年に原形に近い形に復元され、現在はイベント用に活躍する。
運転台
車内
1両を除いて全て廃車となった後の1985年に原形に近い形に復元され、現在はイベント用に活躍する。
運転台
車内
今回から長崎編に入る。残す所は私自身の定義では路面電車にあらず、路面電車に準じる路線として位置づける東急世田谷線と筑豊電鉄だけであり、「路面」電車としては長崎で完結することになる。
長崎電気軌道は、全長僅か10キロ強ながら、輸送人員は営業キロが類似する熊本、鹿児島のおよそ2倍、都電とほぼ同じであり、活気ある路線である。
また、開業以来事実上廃線となった区間も無く、全国で最も路面電車が存在感を持つ都市と行っても過言ではないであろう。
それでは車両の紹介。
150形。箱根登山鉄道小田原市内線の200形5両を1957年に購入したもので、さらに遡ると151~152は1924年服部車輌製の旧王子電気軌道(現、都電荒川線)、153~155は1924年蒲田車輌製、玉川電気軌道(後の東急玉川・世田谷線)の車両であった。
長崎入りにあたり車長を短縮する大掛かりな工事が行われ、その後台車も変更しかつての面影は無い。
1982年から廃車が始まり、現在は箱根登山色に復元した151のみが残る。通常の運行はおろか貸切運転でも走る機会は殆ど無く、乗車は極めて困難である。
※参考 箱根登山鉄道に在籍する旧塗装復元車。
塗装の違いを見比べてください。
長崎電気軌道は、全長僅か10キロ強ながら、輸送人員は営業キロが類似する熊本、鹿児島のおよそ2倍、都電とほぼ同じであり、活気ある路線である。
また、開業以来事実上廃線となった区間も無く、全国で最も路面電車が存在感を持つ都市と行っても過言ではないであろう。
それでは車両の紹介。
150形。箱根登山鉄道小田原市内線の200形5両を1957年に購入したもので、さらに遡ると151~152は1924年服部車輌製の旧王子電気軌道(現、都電荒川線)、153~155は1924年蒲田車輌製、玉川電気軌道(後の東急玉川・世田谷線)の車両であった。
長崎入りにあたり車長を短縮する大掛かりな工事が行われ、その後台車も変更しかつての面影は無い。
1982年から廃車が始まり、現在は箱根登山色に復元した151のみが残る。通常の運行はおろか貸切運転でも走る機会は殆ど無く、乗車は極めて困難である。
※参考 箱根登山鉄道に在籍する旧塗装復元車。
塗装の違いを見比べてください。