http://blog.livedoor.jp/hjmcp604/archives/51524623.html
で紹介した「ひかり」だが、鉄道ピクトリアル最新号(2010年6月号)に当時の運行に関する詳細な記事が出ていた。(53~55ページ)。
詳細は当該記事を参照頂くとして、「急行」として存在した昭和33年4月25日~7月31日、37年10月1日~39年9月30日までの間、列車名はやはり「ひかり」であり、「急行」としての第1ひかり、第2ひかりはやはり存在していなかった。
また、第1・第2それぞれのひかりは運行区間も異なっており、現在の「有明1号」「有明2号」のような存在ではなく、全く別個の愛称列車としての存在であったと言えよう。
「第2ひかり」は昭和35年3月10日から36年9月30日までの僅か1年半強の運行であり、同時に「第1ひかり」も「ひかり」に戻された。
ひかりの運行区間は改正時によって異なるが、基本は分かり易く現在の列車にあてはめて考えると、熊本から九州横断特急で別府へ。ここで西鹿児島から来たにちりんを併結、そして小倉でにちりんのうち2両が門司港へ、残りが博多へと向かう、といえば分かり易いだろうか。
前述の通り昭和39年10月1日、新幹線の愛称名となる。同時に博多・門司港ー西鹿児島間(日豊線経由)は「にちりん」、別府ー熊本ー三角間は「くさせんり」となる。
昭和50年3月10日、新幹線博多延長により、「ひかり」は再び九州の地に復活することとなる。
リバイバル「第2ひかり」のヘッドマーク。本当に当時「第2」と記されたヘッドマークがあったかは私の知る限り不明である。
その後の「ひかり」。0系ほどこの愛称の似合う車両はあるまい(・○・)
現在の485系「にちりん」。来年春の九州新幹線全線開業で485系の運用は終了する予定である。
で紹介した「ひかり」だが、鉄道ピクトリアル最新号(2010年6月号)に当時の運行に関する詳細な記事が出ていた。(53~55ページ)。
詳細は当該記事を参照頂くとして、「急行」として存在した昭和33年4月25日~7月31日、37年10月1日~39年9月30日までの間、列車名はやはり「ひかり」であり、「急行」としての第1ひかり、第2ひかりはやはり存在していなかった。
また、第1・第2それぞれのひかりは運行区間も異なっており、現在の「有明1号」「有明2号」のような存在ではなく、全く別個の愛称列車としての存在であったと言えよう。
「第2ひかり」は昭和35年3月10日から36年9月30日までの僅か1年半強の運行であり、同時に「第1ひかり」も「ひかり」に戻された。
ひかりの運行区間は改正時によって異なるが、基本は分かり易く現在の列車にあてはめて考えると、熊本から九州横断特急で別府へ。ここで西鹿児島から来たにちりんを併結、そして小倉でにちりんのうち2両が門司港へ、残りが博多へと向かう、といえば分かり易いだろうか。
前述の通り昭和39年10月1日、新幹線の愛称名となる。同時に博多・門司港ー西鹿児島間(日豊線経由)は「にちりん」、別府ー熊本ー三角間は「くさせんり」となる。
昭和50年3月10日、新幹線博多延長により、「ひかり」は再び九州の地に復活することとなる。
リバイバル「第2ひかり」のヘッドマーク。本当に当時「第2」と記されたヘッドマークがあったかは私の知る限り不明である。
その後の「ひかり」。0系ほどこの愛称の似合う車両はあるまい(・○・)
現在の485系「にちりん」。来年春の九州新幹線全線開業で485系の運用は終了する予定である。