1300形。1987年から89年にかけて5両製造。車体は1200形とほぼ同じである。機器は西鉄北九州線300形のものを流用した。
1200形。2000形に類似した車体に、西鉄から購入したK-10台車を組み合わせて1982年に登場した。2000形との類似点は、中央扉が4枚折戸から2枚折戸に変更されたぐらいである。5両が製造され、後に1201を除いて西鉄北九州線発生品のFS-51台車と電動機に交換した。
広告車
こちらは2000形から導入された標準色。
広告車
こちらは2000形から導入された標準色。
2000形。2001・2002が在籍する。本ブログでは原則として形式の数字の若い順で記述しているが、今回は車体デザインの都合上、先に2000形を紹介したほうがわかりやすいと思われるので、2000形を先に紹介する。
2000形は広島電鉄3500形とともに1980年に登場した「軽快電車」で、チョッパ制御に斬新な車体と、路面電車新時代の幕開けを飾る車両である。塗装も一新され、一部の在来車も2000形同様の塗装に変更されたが、定着せずに元の塗装に戻された。
車内も一部にクロスシートを採用し、冷房も設置した。そうした数々の先進性が評価され、1981年にローレル賞を受賞した。
製造コストの高さからその後の増備は無く、以後はほぼ同様の車体に他社や自社の旧型車両の機器を流用した新造車を続々と製造していくこととなる。
2007年11月の2001.
2008年11月の2001.
2000形は広島電鉄3500形とともに1980年に登場した「軽快電車」で、チョッパ制御に斬新な車体と、路面電車新時代の幕開けを飾る車両である。塗装も一新され、一部の在来車も2000形同様の塗装に変更されたが、定着せずに元の塗装に戻された。
車内も一部にクロスシートを採用し、冷房も設置した。そうした数々の先進性が評価され、1981年にローレル賞を受賞した。
製造コストの高さからその後の増備は無く、以後はほぼ同様の車体に他社や自社の旧型車両の機器を流用した新造車を続々と製造していくこととなる。
2007年11月の2001.
2008年11月の2001.
肥薩線瀬戸石駅は、駅前に民家が1軒あるだけで、その先は球磨川、反対側は山に囲まれた、1日平均乗客が6人という小駅である。
駅舎は無いが、かつて2度も水害で駅舎が流されたという歴史がある。
対岸の集落へ向かうために、現在も手漕ぎの渡し舟が運行されている。運賃は地元の人は無料で、その他は150円、駅の対岸にお爺さんがいるので、大声で呼んだら来てくれるそうである。
さすがに用事もないのに悪いので乗船はしなかったが、日本の原風景とも言えるような手漕ぎの渡し舟が観光用ではなく一般の生活用として残っている事が驚きである。
駅舎は無いが、かつて2度も水害で駅舎が流されたという歴史がある。
対岸の集落へ向かうために、現在も手漕ぎの渡し舟が運行されている。運賃は地元の人は無料で、その他は150円、駅の対岸にお爺さんがいるので、大声で呼んだら来てくれるそうである。
さすがに用事もないのに悪いので乗船はしなかったが、日本の原風景とも言えるような手漕ぎの渡し舟が観光用ではなく一般の生活用として残っている事が驚きである。
1050形。元仙台市電の100形で、1952年の製造。せんだい(1000代)から長崎入りした昭和51年にちなんで1051~とした。5両が在籍していたが、1990年から2000年にかけて4両が廃車となり、現在は動態保存的に1051の1両が残るのみである。