トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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平成筑豊鉄道金田駅で動態保存されているひたちなか海浜鉄道 キハ2004

2020-01-31 21:42:00 | 保存車両
ひたちなか海浜鉄道のキハ2004.留萠鉄道から当時の茨城交通に移籍、ひたちなか海浜鉄道に経営主体が変わった後2015年まで運用された。廃車後の2016年にクラウドファンティングで平成筑豊鉄道入り。金田駅構内で動態保存中。






西日本鉄道(北九州線) 1024AB

2019-01-26 17:58:00 | 保存車両
福岡市東区の民間福祉施設で保存中の西日本鉄道北九州線の1024AB.1958年近畿車両製で、2000年の北九州線廃止まで在籍した2編成の内の1編成である。なお、北九州線1000形は64編成が製造されたが、現在も運行中なのは筑豊電鉄2003Cとなった元1044Aのみである。

保存開始は2002年。保存から17年が経過。再塗装され外観は比較的良好。しかしながら経年劣化による痛みがやや見られる。








2019,1,24撮影


西日本鉄道(大川線) 4

2019-01-26 17:39:00 | 保存車両
久留米市三潴町の三潴小学校前に保存されている大川鉄道西日本鉄道大川線4但し車体表記は5).
1911年ドイツ・コッペル製。自重6.58トン(車体後部の表記による)、全長は僅かに4.7メートル。
大川線は1951年に営業休止。その後、北九州製の到津遊園で保存されていたが、1995年より三潴町へ移り、現在に至る。
製造から108年、保存から68年が経過するが状態は良好である。






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2019.1.26撮影。



蘇った29612

2015-06-26 00:01:00 | 保存車両
福岡県志免町で解体が決定していながら一転して大分県玖珠町に引き取られた29612であるが、6月10日旧豊後森機関区に搬入された。現在の所SL周辺は整備中であるが一般見学が可能な状態になっている。





直方市の愛好団体「汽車倶楽部」の手により細部まで徹底的に整備修復され美しく蘇った。費用の一部は「SL引越しプロジェクト」として一般からの寄付による。汽車倶楽部によって復元整備されたSLは他にも福岡県芦屋町のD60、中間市のC11,直方市石炭記念館のコッペルなどがある。





志免町メインパークに保存されていたころの同車。解体に当たって急に保存運動が持ち上がったそうだが、1975年に設置されたと思われる説明板には「C-96形」と表記され、そのまま解体まで半ば放置状態でなんとも哀れであった。志免町には旧勝田線志免駅跡を活用した「志免鉄道公園」もあり、勝田線廃止時に移設できれば少しは違ったのだが。

車両データ
1918年(大正8年)汽車製造,鳥栖、直方、浦上、西唐津を経て最終配置は行橋。長崎本線や日豊本線を中心に運用された。
志免町、玖珠町ともにゆかりはない機関車である。
なお、旧豊後森機関区には玖珠町内三島公園に保存されているC11 270も移設予定である。

遠賀川沿いの保存SL 3題

2014-05-14 20:32:00 | 保存車両
遠賀川といえば明治初期、筑豊の石炭を運ぶ船で賑わったが、鉄道の開通とともにまた普通の一河川へと戻っていった。この遠賀川流域には水運から主役の座を奪ったSLが多数保存されている。今回はこのうち下流に保存されている3両を紹介する。

【D60 61】(遠賀郡芦屋町・高浜公園)
1928年汽車会社製。当初はD50 282.1954年に浜松工場で軸重を軽減しローカル線での運用に対応する改造を行い、D60 61となった。この61は1974年8月廃車で最後のD60であった。なお、芦屋町には国鉄芦屋線が走っていたが1961年に廃止された。D60 61はこの芦屋線で運行されていたわけではない。一時期は悲惨な状況であったが、2012年に汽車倶楽部により美しく整備された。D61の保存車は4両で、うち3両が福岡県に保存されている。



汽車倶楽部の整備により美しい姿を取り戻した。柵で覆われたのは残念だが今後のコンディショニング維持を考えるとやむを得ない。


銘板類も復元され、素晴らしい出来栄えである。


【78626】(遠賀郡遠賀町・総合運動公園)
1924年川崎造船兵庫工場製。一貫して九州で活躍し、1974年5月細島線での運用を最後に廃車。



状況は悪い。プレートは欠損し、ガラスもほとんど失われており将来は明るくない。「解体」の話が持ち上がると志免町のSLの例を見るように急に産業的価値を持ち出し保存運動を行う人たちが出てくるが、この状況に追い込むまで何もしなかったのであるから急に言い出すのには困ったものである。日頃から大切にして頂きたいものである。

【C11 260】(中間市・垣生公園)
1944年日本車輛製。1974年行橋機関区在籍時に廃車。ここも汽車倶楽部の力で見事に蘇った。




腕木式信号機とともに保存されている。ここも柵が設置されたが、横に小高い丘があるので、そこから見下ろすことができる。