福岡県志免町で解体が決定していながら一転して大分県玖珠町に引き取られた29612であるが、6月10日旧豊後森機関区に搬入された。現在の所SL周辺は整備中であるが一般見学が可能な状態になっている。
直方市の愛好団体「汽車倶楽部」の手により細部まで徹底的に整備修復され美しく蘇った。費用の一部は「SL引越しプロジェクト」として一般からの寄付による。汽車倶楽部によって復元整備されたSLは他にも福岡県芦屋町のD60、中間市のC11,直方市石炭記念館のコッペルなどがある。
志免町メインパークに保存されていたころの同車。解体に当たって急に保存運動が持ち上がったそうだが、1975年に設置されたと思われる説明板には「C-96形」と表記され、そのまま解体まで半ば放置状態でなんとも哀れであった。志免町には旧勝田線志免駅跡を活用した「志免鉄道公園」もあり、勝田線廃止時に移設できれば少しは違ったのだが。
車両データ
1918年(大正8年)汽車製造,鳥栖、直方、浦上、西唐津を経て最終配置は行橋。長崎本線や日豊本線を中心に運用された。
志免町、玖珠町ともにゆかりはない機関車である。
なお、旧豊後森機関区には玖珠町内三島公園に保存されているC11 270も移設予定である。
直方市の愛好団体「汽車倶楽部」の手により細部まで徹底的に整備修復され美しく蘇った。費用の一部は「SL引越しプロジェクト」として一般からの寄付による。汽車倶楽部によって復元整備されたSLは他にも福岡県芦屋町のD60、中間市のC11,直方市石炭記念館のコッペルなどがある。
志免町メインパークに保存されていたころの同車。解体に当たって急に保存運動が持ち上がったそうだが、1975年に設置されたと思われる説明板には「C-96形」と表記され、そのまま解体まで半ば放置状態でなんとも哀れであった。志免町には旧勝田線志免駅跡を活用した「志免鉄道公園」もあり、勝田線廃止時に移設できれば少しは違ったのだが。
車両データ
1918年(大正8年)汽車製造,鳥栖、直方、浦上、西唐津を経て最終配置は行橋。長崎本線や日豊本線を中心に運用された。
志免町、玖珠町ともにゆかりはない機関車である。
なお、旧豊後森機関区には玖珠町内三島公園に保存されているC11 270も移設予定である。