由布に引き続き、30日は「ひこさん」が運行された。
急行ひこさんは、昭和35年由布院~小倉~博多間を久大本線、日田彦山線、日豊本線、鹿児島本線経由で結ぶ上り1本のみの準急として誕生、41年に急行に格上げされる。終始運行区間は変わらず、上り由布院から博多までの列車であったようだ。基本編成は3両、最大でも4両、他列車との併結もなく、当時としては珍しい地味且つ単純な列車であったようだ。複雑怪奇な当時の準急、急行群の中にあってその歴史は至って単純明快である。廃止は昭和55年10月1日。
それゆえに筆者は「ひこさん」の写真を殆ど見た記憶がない。例の如く39年以降九州の急行は広鉄局受け持ち列車以外はヘッドマークの取り付けを順次止めたから、「急行ひこさん」のヘッドマークも存在したか微妙である。
しかしながら「準急」時代にはヘッドマークが存在していた。
参考サイト
http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/h/hikosan5.html
香椎にて
ヘッドマーク
サボ。
実際には存在しなかった運行区間である。
ちなみに筆者が一連の「リバイバル急行」群に対し「リバイバル」の名詞を使用しないのは、当時と運行区間が異なる列車が多く、「リバイバル」では無いと解釈しているからである。しかしながらこの解釈は決して否定的に捉えて居る訳ではなく、一種の「お遊び」として、撮影する側、乗車する側それぞれが楽しむことが出来ればそれでよいと考えている。
完全なリバイバルなど、不可能なのだから。
急行ひこさんは、昭和35年由布院~小倉~博多間を久大本線、日田彦山線、日豊本線、鹿児島本線経由で結ぶ上り1本のみの準急として誕生、41年に急行に格上げされる。終始運行区間は変わらず、上り由布院から博多までの列車であったようだ。基本編成は3両、最大でも4両、他列車との併結もなく、当時としては珍しい地味且つ単純な列車であったようだ。複雑怪奇な当時の準急、急行群の中にあってその歴史は至って単純明快である。廃止は昭和55年10月1日。
それゆえに筆者は「ひこさん」の写真を殆ど見た記憶がない。例の如く39年以降九州の急行は広鉄局受け持ち列車以外はヘッドマークの取り付けを順次止めたから、「急行ひこさん」のヘッドマークも存在したか微妙である。
しかしながら「準急」時代にはヘッドマークが存在していた。
参考サイト
http://tokyo.cool.ne.jp/beppu/h/hikosan5.html
香椎にて
ヘッドマーク
サボ。
実際には存在しなかった運行区間である。
ちなみに筆者が一連の「リバイバル急行」群に対し「リバイバル」の名詞を使用しないのは、当時と運行区間が異なる列車が多く、「リバイバル」では無いと解釈しているからである。しかしながらこの解釈は決して否定的に捉えて居る訳ではなく、一種の「お遊び」として、撮影する側、乗車する側それぞれが楽しむことが出来ればそれでよいと考えている。
完全なリバイバルなど、不可能なのだから。