3/12(火)物語を残す道筋を辿る旅人になって
矢部の中央公民館前から熊本バスで
7:58 発の交通センター行に乗車
バス停前の『山都ころっけ本舗』が気にかかる
「山都ころっけ街道」に並ぶ14店舗のメニュー
“地産地消B級グルメ”がすべてここに集結
残念ながら本日は定休日でござる
約30分のバス旅で御船町の『七滝』下車 8:30
『鼎春園』目指してここからスタート
2.5kmの緩やかな上り坂
ここは茶屋ノ本「鼎春園」
幕藩体制末期、倒幕運動の先駆として活躍した勤皇の志士
宮部鼎蔵と弟春蔵を顕彰した公園
恒例の『日向往還歴史ウォーク in 山都町』山都町観光協会
山都町の通潤橋まで歩くロングコース(約20km)の出発点
鼎蔵は通潤橋を建設した布田保之助と仲が良くて
『通潤橋』の字を書き残している
近くにある「宮部鼎蔵生家跡」から右へ
「八勢眼鏡橋」「金目の大桜」の案内板
段々畑の里山風景が広がるなか
川のせせらぎに誘われると
八勢眼鏡橋
昔は日向往還最大の難所
木橋のため何度も洪水で流され
豪農林田能寛が私財を投げ打って造った石橋
石工は 種山村の卯助・甚平兄弟
通潤橋の翌年に完成した
石橋を渡ると八勢石畳へ続く
150段、約500m
苔むした風情が残る
西南戦争時には薩軍も敗走したという
いにしえの道に思いを馳せながら歩こう...
日向街道六里木から
釜出に向かう一本道には
八勢池がある
「長谷旅籠跡」の標石
きれいに刈り込まれて整然と美しい茶畑の中に
記念碑が目立つ
「薩軍兵士の墓」の標木には
西南の役で傷ついた兵士を土地の人が看病したが
手当もむなしく亡くなり
この上の歌野屋の墓地に眠っている
この先の美しい竹林に人の気配が....
はて、かぐや姫か?
『若者でなくてすみませんが?と声をかけると
こっちも老女になり申した・・・』
筍の季節を語るリアルなお話でしたね
山鳩の鳴く声が赤子の声に似ていることから
その名がついたと伝わる
「赤子谷石畳」を進む
大晦日、鬼が来てこの石を廻すという
鬼の「巡り石」では小石を載せると恋が叶うというので、、、
いよいよ矢部ゴルフ場内へ入る
プレーを邪魔しないよう
美しいグリーンを見ながら
「妙法千人乃霊魂碑」の刻銘がある千人塚に出会う
11:30 ここで、エネルギー補給で復活
『ナイスショット!』に気を取られていたら
コースミスして国道に出てしまった
間違ったら元に戻るのがベスト
ほぼゴルフコースの中央を通るルートだ
ゴルフ場を出たら水の田尾
国道445へ下り左折すると
お地蔵さんの横に大矢野演習場の標石があり
ここからしばらく国道沿いを進むと
地元の人達に声をかけられ励まされる
石組みは見えない滑川橋渡ると
金内橋は近い
布田保之助によって架橋された
福良井手を通した大小二連式の構造
イベント大会当日は金内公民館が
このコースの中間点となり休憩所として解放され
地元の方々による歓迎のお接待が疲れを癒してくれるに違いない
この先は国道を横断
おや!『日向往還歴史ウォーク』のぼり旗
ちょっとした登り坂がきつい
杉林を抜け
「なんまんさんまんさん」(何万三万か)?南無阿弥陀仏が訛った?を
過ぎると
のぼり旗がバタバタして
ルートに導く原村台地
準備万端?
早くも原公民館には休憩所の案内が設置
芦屋田入口から
暑いくらいの陽気に汗をふきふき
幕の平古戦場跡へ進入
阿蘇大宮司職をめぐり惟忠、惟家が合戦した古跡
島津氏、相良氏や菊地氏まで巻き込んだ戦いに発展
阿蘇外輪山を望みながら
天満宮標石と
石段の上にある芦屋田集落の天満宮
のどかな里山の芦屋田町跡は
日本の原風景ここにあり
老人ホーム『浜見荘』入口からは
人気のない静かな丘の上に
水仙の花に彩られる春景色
やがて終盤を迎え浜見橋を渡って
矢部の町に入りました
中世阿蘇家の居城跡や
浜町橋
通潤酒造はかつての備前屋
寛政三年細川斉茲公が間谷山の狩りに来たとき
御本陣としたところ
〆に浜町商店街のイノウエ菓子店で
「浜町シュー」をゲットしたら
14:40 ゴール!
お疲れさまでした。。。
日向往還は肥後四街道の中の一つ、商人の道
肥後の国(起点は熊本市新町札の辻)から、
現在の上益城郡嘉島町~ 御船町~山都町を通り
日向の国(宮崎県、終点は延岡市)へ至る
約三十四里(136km)をつなぐ旧藩時代の歴史街道
第8回『日向往還歴史ウォーク in 山都町』
3/16(土)~17(日)に開催されます
浜町から宮崎県との境にある馬見原まで歩くロングコース(約23km)
「鼎春園」から山都町の通潤橋まで歩くロングコース(約20km)
馬見原商店街周辺を散策するショートコース(約5km)
浜町商店街を散策するショートコース(約6km)
あなたも素晴らしい歴史街道を歩いてみませんか。。。
後編もありそうですよ.........
矢部の中央公民館前から熊本バスで
7:58 発の交通センター行に乗車
バス停前の『山都ころっけ本舗』が気にかかる
「山都ころっけ街道」に並ぶ14店舗のメニュー
“地産地消B級グルメ”がすべてここに集結
残念ながら本日は定休日でござる
約30分のバス旅で御船町の『七滝』下車 8:30
『鼎春園』目指してここからスタート
2.5kmの緩やかな上り坂
ここは茶屋ノ本「鼎春園」
幕藩体制末期、倒幕運動の先駆として活躍した勤皇の志士
宮部鼎蔵と弟春蔵を顕彰した公園
恒例の『日向往還歴史ウォーク in 山都町』山都町観光協会
山都町の通潤橋まで歩くロングコース(約20km)の出発点
鼎蔵は通潤橋を建設した布田保之助と仲が良くて
『通潤橋』の字を書き残している
近くにある「宮部鼎蔵生家跡」から右へ
「八勢眼鏡橋」「金目の大桜」の案内板
段々畑の里山風景が広がるなか
川のせせらぎに誘われると
八勢眼鏡橋
昔は日向往還最大の難所
木橋のため何度も洪水で流され
豪農林田能寛が私財を投げ打って造った石橋
石工は 種山村の卯助・甚平兄弟
通潤橋の翌年に完成した
石橋を渡ると八勢石畳へ続く
150段、約500m
苔むした風情が残る
西南戦争時には薩軍も敗走したという
いにしえの道に思いを馳せながら歩こう...
日向街道六里木から
釜出に向かう一本道には
八勢池がある
「長谷旅籠跡」の標石
きれいに刈り込まれて整然と美しい茶畑の中に
記念碑が目立つ
「薩軍兵士の墓」の標木には
西南の役で傷ついた兵士を土地の人が看病したが
手当もむなしく亡くなり
この上の歌野屋の墓地に眠っている
この先の美しい竹林に人の気配が....
はて、かぐや姫か?
『若者でなくてすみませんが?と声をかけると
こっちも老女になり申した・・・』
筍の季節を語るリアルなお話でしたね
山鳩の鳴く声が赤子の声に似ていることから
その名がついたと伝わる
「赤子谷石畳」を進む
大晦日、鬼が来てこの石を廻すという
鬼の「巡り石」では小石を載せると恋が叶うというので、、、
いよいよ矢部ゴルフ場内へ入る
プレーを邪魔しないよう
美しいグリーンを見ながら
「妙法千人乃霊魂碑」の刻銘がある千人塚に出会う
11:30 ここで、エネルギー補給で復活
『ナイスショット!』に気を取られていたら
コースミスして国道に出てしまった
間違ったら元に戻るのがベスト
ほぼゴルフコースの中央を通るルートだ
ゴルフ場を出たら水の田尾
国道445へ下り左折すると
お地蔵さんの横に大矢野演習場の標石があり
ここからしばらく国道沿いを進むと
地元の人達に声をかけられ励まされる
石組みは見えない滑川橋渡ると
金内橋は近い
布田保之助によって架橋された
福良井手を通した大小二連式の構造
イベント大会当日は金内公民館が
このコースの中間点となり休憩所として解放され
地元の方々による歓迎のお接待が疲れを癒してくれるに違いない
この先は国道を横断
おや!『日向往還歴史ウォーク』のぼり旗
ちょっとした登り坂がきつい
杉林を抜け
「なんまんさんまんさん」(何万三万か)?南無阿弥陀仏が訛った?を
過ぎると
のぼり旗がバタバタして
ルートに導く原村台地
準備万端?
早くも原公民館には休憩所の案内が設置
芦屋田入口から
暑いくらいの陽気に汗をふきふき
幕の平古戦場跡へ進入
阿蘇大宮司職をめぐり惟忠、惟家が合戦した古跡
島津氏、相良氏や菊地氏まで巻き込んだ戦いに発展
阿蘇外輪山を望みながら
天満宮標石と
石段の上にある芦屋田集落の天満宮
のどかな里山の芦屋田町跡は
日本の原風景ここにあり
老人ホーム『浜見荘』入口からは
人気のない静かな丘の上に
水仙の花に彩られる春景色
やがて終盤を迎え浜見橋を渡って
矢部の町に入りました
中世阿蘇家の居城跡や
浜町橋
通潤酒造はかつての備前屋
寛政三年細川斉茲公が間谷山の狩りに来たとき
御本陣としたところ
〆に浜町商店街のイノウエ菓子店で
「浜町シュー」をゲットしたら
14:40 ゴール!
お疲れさまでした。。。
日向往還は肥後四街道の中の一つ、商人の道
肥後の国(起点は熊本市新町札の辻)から、
現在の上益城郡嘉島町~ 御船町~山都町を通り
日向の国(宮崎県、終点は延岡市)へ至る
約三十四里(136km)をつなぐ旧藩時代の歴史街道
第8回『日向往還歴史ウォーク in 山都町』
3/16(土)~17(日)に開催されます
浜町から宮崎県との境にある馬見原まで歩くロングコース(約23km)
「鼎春園」から山都町の通潤橋まで歩くロングコース(約20km)
馬見原商店街周辺を散策するショートコース(約5km)
浜町商店街を散策するショートコース(約6km)
あなたも素晴らしい歴史街道を歩いてみませんか。。。
後編もありそうですよ.........