50歳になった頃
“50歳なんて大したことないですよ。40代と何にも変わらないかも~”
と周囲に言っていました
とある先輩ミュージシャンに、
「数ヶ月経ったらわかるよ」
と言われてその場では笑い飛ばしていましたが
ほんまや...もろに来てる...
ZUYAさん幻の猫写真集より「縞の多いキジトラ」
こんにちはZUYAさんです
本当にどうしたことでしょうね。脳内に「50歳のスイッチ」でもあるのですかね、もうその回路がオンになったとしか思えないほど疲れて疲れて、日々のルーティン・ワークで精一杯なのです。休日に新しいことをするどころか、やらないといけないことすらも...
当ブログの読者(フォロワー)の方々の多くは人生の大先輩たち。その皆さんはきっとお読みながら、”50歳なんて...小僧が何を言ってるんだ!”とほくそ笑んでいることでしょうね
来月上旬に4連休を作っているのですが、その計画を立てることすら進みません。飛行機等を利用しての遠出は予算やら準備期間の足りなさから諦めました。おそらくいつもの秩父・小鹿野の旅になりそうです
この方面へは日帰りでは昨年の秋に行っていますが、泊まりとなると2年ぶりになります。宿は定宿としている須崎旅館になりそうですが、ここですらもう「食事付き」が取れず、周辺の飲食店で済ませることになりそうです
あとは何をするか。こないだも書きましたが、秩父の観光スポットはほぼほぼ行き尽くしているので、「山歩き」を絡めるしかありません。「登山」は今のZUYAさんの(膠原病を含めての)体調では、厳しいものがありますからね
そうそうFamilymartで売っている「台湾烏龍茶」に嵌っています。一般的なものとは違ってあっさりしていて飲みやすい。ZUYAさんは普段は焼酎はロックで飲みますが、あまりたくさん飲んではいけない夜は、この烏龍茶で割っています
昨夜は仕事の後、渋谷の街へ。ええ皆さまご存知のZUYAさんが最も嫌いな苦手な街です。今の部署に移る前は、配達でこの辺りもよく走りました。が、久々に訪れた渋谷の街、変わらない人の多さはもちろんのこと、特に明治通り側の大変貌に驚きました
今回はもちろん街歩きを目的に行ったわけではなく、渋谷と原宿(表参道)の中間、明治通り沿いにある老舗のライブハウス「クロコダイル」へ
竹田和夫氏率いる「CREATION」のライブでした。良い音楽が聴けましたが、ライブ・レポートは生粋のファンの方々にお任せして、この場では割愛します
仕事の帰りと言うこともあり、ワイン1本で酷く酔っぱらってしまい、いつもは怠らない挨拶もちゃんとせずに店を出ました(酔い過ぎると口が過ぎる時があるので...)。階段を上がって明治通りに出るわけですが、いつもはそのまま原宿の駅に向かって歩き出します。ところが昨夜に限って、店頭にあるライブ・スケジュールに目が行きました。今、他にどんな人が出ているのかなぁと
とある名前を見て、目が飛び出しそうになりました...
山内テツ
え~~~~!
そうZUYAさんが音楽・バンド活動にのめり込むきっかけとなった、Rod Stewart擁するFacesのベーシストだったあの山内テツさんです(以下、敬称略)
ZUYAさんは同所での2009年ライブを見逃して以来、山内テツは隠遁生活へ...近年のフェイセズの再結成にも全く興味を示さず表立った音楽活動はしていなかったのです。もちろん即予約をしました。しかも翌日(24日)は通院で有休を取っていますから、泥酔必死ですね~
んなわけで、ここからは音楽の話(※興味のない方はすっ飛ばしてくださいまし~)
「Faces」。“Face”の複数形ですから、発音は“フェイシーズ”なります。でも日本では、“フェイセズ”が一般的。こんなのばっかりだから、日本人の英語能力は低いのでしょうね
Steve Marriott率いる「Samll Faces」が前身バンドで、まさかのそのスティーヴ・マリオットが1968年に突然抜けてしまいます。翌69年に残ったRonnie Lane、Ian Mclagan、Kenny Jonesの3人に、Jeff Beck Groupを抜けたRod StewartとRonnie Woodが加わり結成されます。Warnerからスタジオ・アルバムを4枚、ベスト盤を1枚、そしてロッドがソロ契約を結んでいたMercuryと共同でライブアルバムが1枚
そのロッドの2重契約問題、そして“バック・バンド扱い”されることが多くなり、嫌になったロニー・レーンが73年に脱退します。その後釜に抜擢されたのが、当時Paul Rogers率いる「Free」でベースを弾いていた山内テツ
もともとマイク真木やミッキー・カーチスのバンドのメンバーでした。フリーが来日した時に、メンバーたちと交流を深めAndy Fraserの抜けた後にメンバーになりました。海外の大物バンドのメンバーとして、2度も来日公演をすると言う偉業は、日本の音楽界の誇りであり多くの国内ミュージシャン達に影響を与えると同時に羨望の眼差しを受けたことでしょう
残念ながら山内テツ在籍時はスタジオ・アルバムは制作されず、2枚のシングル「Poohall Richard」と「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything」のみ制作・発売されました
ロッドの独立、ロニー・ウッドのThe Rolling Stonesへの移籍に伴い、Facesは1975年に解散します。山内テツは帰国後、ゴダイゴのメンバーや四人囃子にいた森園勝敏らと交流を深めて、後にはCREATIONにも参加します
だんだんと商業音楽に嫌気が差してくると、独自路線で音楽活動を続けていましたが、ある時からすっかり表立った活動をしなくなりました。先述したように最後のライブは2009年、ZUYAさんはこのライブを見逃してしまいずぅっと悔いていました
それが遂に~!
長くなりました。でも音楽を語ったら少し元気が出て来たので、ランチに出掛けま~す
Have A Good Day,Folks!
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