12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

煙草と悪魔

2006年08月03日 04時07分14秒 | Weblog
これは、「芥川 龍之介」の作品の一つである。 それほど有名な話ではない。

偶然、本屋で立ち読みしていたら、この話に行き着いた。 立ち読みで、一通りは読んだのだが、ブログを書くにあたって、再度読み返えそうと、「青空文庫」を開いた。

この文庫は、著作権が切れた作品をインターネット上で公開している。公開されていれば、小説が無料で読めるのである。(ご興味があれば、上記の青空文庫をクリックされたい、自動的にそちらに行き着くはずである)一部分以下に引用する。

西洋から宣教師に化けて日本に来た悪魔は、煙草を持ち込み栽培した。そして牛商人と「煙草」をどう呼ぶのか賭けをした。(ここから引用文)

「・・・牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、(・・省略・・)その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。 が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、そのかわりに、煙草は、あまねく日本全国に、普及させる事が出来た。(・・省略・・)
悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。

悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。」(ここで引用文は終わり)

実のところ、「最後の一行」を言いたくて、この文を長々と引用したのである。

煙草を値上げした人は、してやったりとほくそ笑んでいるかも知れないが、おっとどっこい、そうは問屋がおろさないのではなかろうか。
とんでもない天罰が下るような気がする。

勝ったと思っていても、案外負けていたり、得したと思っても案外損をしているのではなかろうか。

後顧の憂いなきよう生きたい、と念ずるものであるが、ままならないのである。