12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ひねる

2006年08月12日 01時54分40秒 | Weblog
過去数百年の歴史を持つ、俳句では、たいていのことは詠みつくされている。
普通に詠むと、ありきたりの句が出来てしまい、面白くもなんとも無い。

故に、「ありきたりでない句」が必要不可欠となる、これが難しい。

「アジサイに雨の露など」誰が見ても印象的であり美しさも相当なものである。
感動する、なんとか詠もうとする・・・が、・・・・、
がしかし、これをそのまま詠もうとしたら、「平凡・ありきたり・当たり前・すでにもっと力のある俳人が詠みきっている・二番煎じである・・・・・・」、 先生の悪口雑言が聞こえてくる。

俳句の先生は、“ひねれ・ひねれ!”と喧しい(かまびすしい)声がする。

したがって、ものを視るとき、正面から、ウラから、下から、上から、・・・・「常人」では思いつかないような見方をするように、心がけなくてはならない。

おかげで、もともと生まれつきの規格外人だったが、これに“わ”を掛けて偏屈人となるように日々努力している。

もうしばらくすると、とんでもない「ひねくれ人」が出来上がることだろう。

皆さん俳句を読む人と付き合うときには、十分ご注意を。
「ひねくれ人」は、普通ではないのです、付き合うのが難しい人々です。

「付き合う気が無いから、どうでもよい!」
と言われた。