12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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遠い道を行く苦労を選ぶ

2011年06月20日 04時44分27秒 | Weblog

長女の高田 都耶子さんのインタビューがNHKラジオ深夜便であった。

「遠い道を行く苦労を選ぶ」という高田 好胤の言葉の意味が、アラ古希にしてようやく分かったような気がした。(現役時代も小生は、効率一辺倒であった。) 

写経勧進というユニークな方法で金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。しかし、好胤師は、金堂などの再建はあくまで手段だった、写経勧進が多くの人々に宗教の心を広め仏の教えを感じてもらうようになったことこそ本来の目的だったと、最晩年に長女の高田 都耶子さんに語った、た聞いた。 

生きるとは つらき別れを 重ねつつ おもき思ひに 堪えてゆくこと  合掌

 参考 写経勧進について;

薬師寺の金堂の再建だけでも約10億円が必要だったが檀家組織を持たない薬師寺にはその負担をするのは困難であった。ある企業から10億円の寄付の話があったが、その安易な道を断り、全国の篤志家一人ひとりから1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた。

10億円を集めるのは、一人1000円では100万人の写経が必要であった。当初は一年に一万巻しか集まらなかった。高田は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。高田の書籍出版が好調だったこと、三越百貨店での月光菩薩展示も追い風となった。これによって復興事業は一挙に進んだ。1976には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。好胤の没後、大講堂が落成している。 

高田 好胤(たかだ こういん、1924大正13年)330 - 1998平成10年)622)は法相宗僧侶薬師寺第百二十四世管主。法相宗(ほっそうしゅう)管長。写経勧進というユニークな方法で金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。