これからは、ブラジル・インドネシア・韓国・インド・中国・ロシアの新興六カ国が世界の経済成長の主要な原動力になるだろうと新聞に書いてあった。
さらに、2025年頃になると、ドルが単独の準備通貨でなくなり、ユーロ・人民元(中国の通貨)の三準備通貨体制になるだろうともあった。
これまでの歴史を眺めると、栄枯盛衰は常のことで、短ければ四分の一世紀位で滅亡する国家もあれば、ローマ帝国でも五世紀位でその栄光ある歴史に幕を閉じた。常に、歴史は動いているのである。
こんなことに触発されて、流通通貨よりもっと庶民に身近な、流通言語ということに素人なり考えてみた。
日本語による国内の情報伝達は、当然ながら完成の域である。翻って、日本と世界との間の情報交換は、英語中心となっているのも厳然たる事実である。
コンピュータによる自動翻訳が普及し始めており、時折恩恵に浴している身である。有料版の実力は知る由もないが、無料版翻訳ではまだまだ手放しで信頼できるレベルとは程遠いと言わねばならない。
統計によると、巨大な人口がひしめくのは中国とインドであるが、いずれも言語体系として世界を支配するようなものではないと思われる。(中国語は、漢字という極めて厄介な文字を使用しており、これが単純な英語と比べて競争力に乏しいだろうことは容易に考えつく。また、インドは、公用語の一つに英語を採用しているので、英語圏と見做せば良いと思っている。)
そういう事情をみると、世界の共通語は英語となり。多数の言語間の意思疎通は、それほど遠くない未来に、コンピュータによる自動翻訳(機械翻訳)が広く採用されそうな気がしている、そうなればずいぶんと地球が狭くなりそうである。(ただし、翻訳精度がある程度向上することが、条件だが・・・。)