NHKのラジオ深夜便で6日の23時から7日朝にかけて
広島、長崎局から「ヒバクシャからの手紙」の朗読があった
その朗読を聞いているうちに涙が流れてしかたがなかった
布団に入って電気を消してずっと聞いていたが
涙がほほを伝って枕を濡らしていたに違いない
いま被爆者の平均年齢は77歳を過ぎたという
残り人生はもう少ない
これまで伏せていた悲惨な被爆体験を後に伝えておかねば
とやっとハガキに代えて番組の応募に口を開いたのだろう
わが父は子や孫に聞かれて「お前たちに話してもわからない!」
と、目の当たりにした悲劇を一切話さないまま逝ってしまった
あの悲惨さを言葉では伝えられないということだったのか
ご近所の亡くなった人たちに対する懺悔の気持ちだったのか
いまとなってはわからない
被爆者は生きている限り「被爆者」というレッテルをはられ
66年も差別を受け続ける人生を歩んできた
自分がヒロシマにいた頃はひどかった
NHK広島放送局のHPから「ヒバクシャからの手紙」の
朗読を聞くことができる
http://www.nhk.or.jp/hiroshima/tegami/
いま福島県産の生産物や東北の畜産や魚が放射能汚染という
つらい現実と差別を受けている
恐ろしいのは「フクシマ」の人が今後に差別を受けないか
それが心配でたまらない
国の責任で間違ってもそのような風評被害がないように祈る
いつの間にか深夜便から眠ってしまっていた
明け方、部屋の外の通路から聞こえてくる男女の立ち話に
目が覚めた・・・
うるさい!
なかなかやめない
やかましい!
まだ、やめない
もっと大きな声で、やかましい!
と言って立ち上がろうとして気がついた
?
?
?
?
?
耳元のラジオ深夜便のアナウンサーと女性作家との対談を
立ち話と聞きちがえていたのだ
あー恥ずかしい、近所に聞こえていなければいいが・・・
(なにとぞ、ここだけの話ということで)
そのラジオの話、ふるさと宮島の海の祭り「管弦祭」に
ついて地元の女性作家が語っていたのだが、子供の頃から
よく知っている祭りなのでなつかしく目もばっちり覚めた
かくして「深夜便寝床編」は朝を迎えた
なに?
「深夜便寝言編」やないかって?
しらん。