お世話をしているウオーキング倶楽部8月例会は恒例の青春18きっぷでウォーク、今年は京都府の「舞鶴」へ向かった。
大阪駅を7時21分にスタートしたが、最初の福知山線で人身事故がありダイヤは乱れ、途中の福知山駅で約50分も足止めされた時はどうなることやら・・・。急行を利用すれば予定の時間に到着するのだが、青春18きっぷにこだわるのでそれはできなかった。
(福知山駅特急 左・北近畿 - 右・はしだて)
・福知山駅の喫茶店に入り全員モーニングコーヒーで腹ごしらえをしてそれはそれで楽しいひとときだった。こんな旅も仲間がいると楽しい。
目的地の東舞鶴駅についたのは12時前、予定より1時間15分ほども遅れてしまった。帰路の時間は変更できないので、予定していたコースを大幅に変更しなければならない。
今回は、ミステリーウォークということで、メンバーには、コースをまったく知らせていなかったので、強い雨が降り続ける駅前で、資料をもとにコースとウォークポイントの説明をした。
コースは①引揚記念館→②海上自衛隊護衛艦見学→③レンガ倉庫群見物
往復ウォーキングを予定していた引揚記念館へは片道をバスで行くことにした。
今回の目玉は「舞鶴引揚記念館」、メンバーをどうしても連れていきたかったところ。ちょうど終戦記念日前、テレビや新聞で特集が組まれる時期だから過去の痛ましい戦争、敗戦、戦後の長い歴史を戦後生まれのメンバーには感じてほしいと思った。自分にとっても20年ぶりくらいになるのでかねがねもう一度行ってみたいと思っていた。「引揚船」のことは小、中、高校時代のことでよく覚えている。
(舞鶴引揚記念館のパンフレットより引用)
昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結にともない、当時海外に残された日本人は660万人以上ともいわれ、これらの方々をすみやかに帰国させなければならなくなりました。これを”引き揚げ”といいます。
舞鶴港は、政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年10月7日引き揚げ第一船の入港から、昭和33年(1958)9月7日の最終船まで、実に13年間の長きにわたり、その使命を果たしました。昭和25年以降は唯一の引揚港として「引き揚げの町・舞鶴」の名を全国に広めました。
舞鶴引揚記念館は、いろいろな方々のご支援で、昭和63年(1988)
4月に開館し、年々通ざかりつつある戦争や「引き揚げ」の史実を語り継ぎ「平和の尊さ、平和の祈り」のメッセージを発信し続けていいます。今後とも、多くの人の心に、その輪が広がることを念願するものです。
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自分が二度も訪れていた粗末な引揚記念館は、広い引揚記念公園の中で立派な建物に変わっていた。
一歩記念館に足を踏み入れると、辛く悲しい抑留生活の様子が展示されていた。舞鶴は13年間で66万4351人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れたというが、その膨大な海外からの引揚という史上例をみない民族の悲惨な大移動の様子が写真やデータ、手紙、絵、紙芝居党で展示、説明されていて、言葉にもならなかった。
また、舞鶴は、肉親との再会の、そして、いまだ帰らぬ我が子、我が夫を待つ夫人の姿がいつしか「岸壁の母・妻」といわれ、再会は明暗と哀歓を織りまぜた人生の一大ドラマがたくさん紹介されていた。
厳冬のロシア・シベリアで収容所での悲惨な生活の様子。
引揚記念公園内の高台にある展望台へ雨の中を上ってみた。
「異国の丘・岸壁の母」の歌詞がほられた記念碑がたてられ、望郷の碑も立っていた。
はるかか眼下、右下に引揚桟橋も見えた。
実は、わが家内も終戦は満州で迎え(父親はシベリアへ送られまま不明)、現地人に奪われないように頭を丸め男の子の格好をして終戦後帰国したと家内の叔母から聞かされた、中国人に渡しておれば残留孤児になってもおかしくなかったという。
展望台からは、これから行く海上自衛隊の艦船の姿には複雑な思いがした。
時間が1時半になっていた。帰りの時間は16時40分。
この時間の中で海上自衛隊桟橋まで雨中行軍をしなければならない。1時間でレンガ館手前まで行きたい。距離にして6キロはあるだろう。メンバーにはっぱをかけて、雨の中をバスできた道を引き返す。
傘をさし雨中をスピードを落とさないために交代で先頭にペースメーカー役をつくり一列で歩く、ペースメーカーが疲れると交代する・・・もちろんトップは自分が範を示さないといけない。
先頭を歩く訓練にもなるのであえて一番歩力のないおかわり君に二番手をさせた。この区間でメンバーの歩力も確認できた。もう、みな健脚といっても差支えない。
レンガ倉庫群の前を素通りして、先に時間制限が16時の自衛隊桟橋に行った。
去年、個人で来た時に見た護衛艦より大きな補給艦が停泊していた。残念だったのは、一部艦内はみせてもらえたが、雨のため船上見学ができなかったことで外から眺めるだけになった。艦内をみたのは「補給艦・ましゅう」で、全長221m、13,500トンの大型船でとても写真には納まらなかった。
イージス艦前で記念撮影、177は2007年に千葉県沖でマグロはえ縄漁船「清徳丸」と衝突事件をおこした「なだしお」長さ165m、7,750トン。
あわただしく自衛隊桟橋を離れて、最後のコース、舞鶴レンガ倉庫群は中の見学しないで素通り、レンガ博物館で着替え休憩、をし、東舞鶴駅を目指してウオーキング、とうとう雨は上がらなかったが、全員無事に東舞鶴駅へゴール。
16時40分、帰りの電車へ乗った。ここから長い電車の旅が始まった。帰路は、朝とは、別コース、これがまた楽しい、綾部、園部、京都で乗り換え大阪組は19時43分に大阪駅に戻ってきた。復路3時間3分、とても疲れた。
●Y君の感想(倶楽部の掲示板より)
飢えと寒さと重労働に苦しめられた抑留者が家族に宛てた手紙はどれも自分のことより家族のことを思いやるものばかり。
家族が必死になって嘆願し抑留者を引き上げさせた経過を見るうち、戦争の悲惨さを伝え平和を祈ることの大切さを知りました。
●Pさんの感想
引揚記念館の展示では、ほんの六十数年前の日本の姿に改めて身の引き締まる思いがしました。ウチには「岸壁の母」のLPがあり、また母が子供のころには蓄音器の周りに家族が集って、SP版の「岸壁の母」を聴いていたという話もあって、ここがその地なのかと感慨ひとしおでもありました。
●M君の感想
記念館での紙芝居は特に引きつけられ普段こういった展示物はさらっと見て終わり
なのですが最初から最後まで全部読んでしまいました。いつもこの時期思いますが止める事は出来なかったんでしょうかね。と言いながらイージス艦を実際に見てしまうと、「すっげーな~」とわくわくしてしまいました・・・・