昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

どうも暗くていかん、行程表どうなってる?

2011-05-17 22:48:36 | 交流
東電も学者も「想定外」
寝ても醒めても「節電」
書店に行くと「原発」に「津波」
国会は「行程表」が一気に主役になった!

今年の流行語大賞はこの中で決まりか!?
不謹慎だがついつ言いたくなってくる
早くこのことばをかき消すような明るいことば
が出てきてほしい

それはそうとお前の工程表はどうなってる!

ぎょっ???

俳優で司会者の児玉清さんが亡くなった

上品でしかもメリハリのあるアタック25の司会
ぶりが好きであこがれでもあった

去年の龍馬伝で龍馬の父親役は見事だったな

兄の世代だが少し先輩のあこがれさんが次々と
亡くなっていくのはさびしい
その年齢まであと何年?とついつい考えてしまう

ぼやぼやしていると在庫は片手になるぞ
また眠れなくなる・・・

ヘルペスの痛みは和らぎながらまだひつこい!
どうも集中できない

くそっ! ウイルスめ! 


被災地にも鯉のぼり!「夢と希望あるよ」

2011-05-16 15:48:02 | ひとりごと
「夢と希望あるよ」
被災地にも鯉のぼりがひるがえる!



・・夢と希望がある・・このブログのタイトルと同じだな


もっこ姉妹も元気でがんばってる、幸せになってほしい


(5月4日の日経新聞から)

このブログのもっこ姉妹

4月23日のもっこ姉妹
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110423
4月18日のもっこ姉妹
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110418




津波は繰り返す!

2011-05-15 23:51:22 | 本・読書・音楽
吉村昭著の「三陸海岸大津波」という文庫版の本が
目についたので買ってきた

2004年に書かれたもので明治29年・昭和8年
そして昭和35年のチリ津波まで青森県、岩手県、
宮城県の三陸海岸を襲った三度の大津波の悲劇が
書かれていた

まだ全部を読んではいないが明治29年6月の津波
の状況は、証言に基づいて記録されたものでまるで
今回の津波を見ているように真に迫るもので驚いた

出てくる地名も同じ、その地域が今回以上の死者を
出すなど大被害を受けながら三度の悲劇を乗り越え
復興を果たした三陸の人々の復元力の強さを感じた



四度目の悲劇も必ず復興へ導いていくに違いない

記録を見ると三度の大津波の間にも数多く津波被害
を繰り返して受けてきておりまさにタイトルの通り
「津波は繰り返す」という言葉を忘れてはならない。

このブログを読んだ友人から、奥さんがヘルペスに
かかって苦しんでいた・・・とメールをくれた
意外とヘルペスさんと付き合った人がいるね

水泡の発生は止まったし痛みも和らいだがリュック
はまだ背負えない、しばらくかかるみたいだ。

こんなボランティアも。

2011-05-14 23:13:05 | 輝いて生きる
自宅の近所にある駐車場と駅ビルとの一角にある土地に
花がきれいに咲いて目を楽しませてくれている



寒い二月ごろ、その場所を耕している自分と同じくらい
の男性がいたが、その後もタネまきをし、水やりをして
ずっとお世話をしている姿をよく見ていた



今日、お天気がよかったので携帯で写真を撮っていたら
見覚えのあるその男性がやってきたので声をかけた

毎日、花を楽しませてもらっていることを話したら大変
喜んでしばらく立ち話をしていた
そこへ別の男性も寄ってきておじさんの三人話になった



そこへ車いすに老人を乗せた男性が通りかかって花を前に
写真を撮り始めた

その一角は市の土地で栽培の許可と花のタネ代はもらって
いるそうだがなかなかできないこと

もともとはつつじが植えられていたのだが手入れがされて
いなくて見苦しかったので始めたといっていた

これをボランティアというのかどうかはしらないがその気
になれば役にたつことはあるもんだと思った

以前、ひまわりのタネを街路樹の横にまき、咲き始めた頃
夜の間に全部引き抜かれた経験があるが場所さえあれば
やってみたくなった
やっぱり花は人の目を楽しませてくれるのでいい



昼過ぎに病院に行ってきた
ヘルペスは快方にむかっていると言われほつとした
引き続き飲み薬と塗り薬で一週間後に来るようにいわれた

それにしても驚いたのは先日も今日も、皮膚科診療所の待合
所は9割が女性、自分には異様な雰囲気でまるで女性専用車
に間違って乗った心境だった

夕方、明日の長浜ツーデーウオーキングに参加する九州の
友人夫妻と新大阪駅の乗り換え時間に会った

本当は一緒に歩くことになっていたのにヘルペスのため実現
できないことになって残念だった

皮膚病は紫外線が敵、もう少しの辛抱。


その後の絵本プロジェクト。

2011-05-13 20:31:22 | ひとりごと
3月29日にこのブログで被災地の子供たちに絵本を贈る
「絵本プロジェクトいわて」のことを紹介した

そのプロジェクトからお礼状が届いた

10日まで約14万冊の絵本が贈られたそうだ
1ケ月あまりでこの数字、反響のすごさに驚いた
受け入れの作業をした人達も大変だったと思う

絵本の受け付けは今月20日で終了するそうだから
まだ間に合うのでお知らせしておきたい

今後は被災地の図書館が壊滅しているので「えほんカー」
を走らせるそうだが、そのえほんカーの義援金を募集する
そうだ

絵本プロジェクトいわて
http://www.ehonproject.org/iwate/


やっと昨夜は睡眠がとれた
痛み止めの薬が効いたのだろうか

背中の状態は自分には見えないが家内の話では
湿疹は増えていないらしい

これが止まると少しは楽になるのでほっとした
明日は昼過ぎに経過診察に行くが今夜もきちんと
眠りたい。

こんな活動記事も



やっぱりヘルペスだった!

2011-05-12 16:32:40 | 健康
昨夜も寝つきが悪かった、朝まで何度も目がさめた
朝になっても起き上がろうという気にならない

背中から首筋がかなり痛んで
湿疹が肩の周りに増えてきた

過去の経験から、これはへルペスに違いない!
かかりつけの病院に行ったら主治医の先生が
皮膚科診療所の先生へ紹介状を書いてくれた

やはりヘルペスだった
背中を見たとたんはっきりと女先生が診断した
気持ちがいいほどテキパキと説明もしてくれた

塗り薬と飲み薬で2日間様子をみようと言われて
土曜日に改めて診察を受けることになった

25年くらい前になると思うがヘルペスを経験して
いたので予感が当たった

あのときは完治するまで3週間はかかったと思う
激しい痛みに襲われ身体が自由にならず眠れない日が
続いたことを覚えている

それに比べれば今回はまだパソコンに触れるのだから
軽度だと思う

皇后さまも確かヘルペスになられたと記憶している
かってミスタータイガースの掛布選手も現役時代に
ヘルペスで不振を極めたことがあった

数年前には友人もヘルペスにかかり苦労していた

悪い予感が当たってウォーキングは禁止された
紫外線や風呂や酒はよくないと言われた

友人と約束していたので昨日までは参加するつもりで
いた週末の長浜で開催される日本ウォーキング協会の
ツーデーウォークにも参加できなくなった

当面は一日も早く完治できるように「がんばる」だけ

このブログの訪問者にも経験した人がいるかもしれない
また経験する人が出るかもしれないので敢えて面白くも
ないことだが書いておくことにした。

参考【ヘルペス】
 http://www.m-nomura.com/der/herpes.html

西日本は大雨、震災2ケ月。

2011-05-11 23:08:24 | ひとりごと
大阪は終日、激しい雨が降り続いた
西日本は5月としては記録的な雨だったそうだ
いまも降り続いている

そのためかどうか蒸し暑さにはまいった!
仕事場ではノーネクタイで軽装にしていたが
それでも暑かった!

節電が叫ばれているがまだ5月、まだまだ先になるが
このまま暑い夏場をどうして過ごして行くか・・・

古くなったスーツに替え、新しいスーツを購入予定して
いたが公式の仕事以外はノーネクタイで通すことにして
購入はやめた

今日で大震災からもう2ケ月になった
被災地の復興は遅々として進んでいないようで
今日からやっと新学期が始まった学校が多い
しかも被害を受けていない学校を間借りして入学式

子供たちには辛い日が続くはずだが元気で乗り越えてほしい
君たちのことは忘れない
明日は東北も強い雨になるらしい。




疲れが出たのだろうか・・・?

2011-05-10 22:56:22 | 健康
二日間続けて眠れなくて元気親父?もくたばっている
首周りから背中の左側が痛くて寝られない、肩こりかと
思ったがそうでもなさそうで肩や背中に赤い斑点が出た

昭和の時代の春先にヘルペスをやったことがあるので
もしやと思うがそこまでの痛みはないから違うのでは

先週、左手の薬指がマヒしていまも後遺症が残っている
が何か関係があるのかなあ

いずれにしても木曜日に病院へ行くことにした
疲れならいいのだが疲れるほどなにもしていないのにな

いつも思うのは、疲れを感じた時、それが年齢相応のこと
なのか、それとも無理からくるものなのかがわからない

そりゃそうだ
経験したことのない年齢を下りている時だから当たり前
初マラソンみたいなもんや

こんなブログは書きたくないね。

母の口ぐせ。

2011-05-09 23:14:54 | 家族
昨日は母の日だったがプレゼントする母はもういない
それでも93年も母をしてくれたのだから恵まれた

東北の被災地にはいま一番母を必要とする多くの子供達が
母をなくしている

昨日はどんな思いで母の日を迎えたのだろうかと思うと
心が痛んで母の日のことを書くことができなかった

母の日には品物を贈るより手書きのはがきを贈っていた
ある時、送る品に困って苦し紛れにはがきを出したら

それが母には嬉しかったようで以降、送った母の日の
はがきをいつまでも壁に貼っていたのを帰省のたび見た

昨日は93歳の母を亡くして3度目の母の日だったが
いくつになっても母から口ぐせのように言われたことを
忘れることはない


田舎から関西に出てくる時、それから田舎に帰省するたび
に言われたことはただひとつだけ

”人に嫌われんようにしんさいよ”と繰り返し言われた
人に嫌がられることはするなと言いたかったのだろう

そんなことは簡単!と思ったが人に好かれることよりも
もっと難しい

母はそれを知っていたのだろうか

好かれることをしなくても人間関係を崩すことはないが
嫌がられることをすれば間違いなく相手から否定される

母からの言葉を守るように心がけたので人間関係はうまく
やってきたつもりだが、独立して今の仕事をするようになり
そのことで苦しんだ

嫌がることにもいろいろある
単なる嫌がらせもあれば、間違っていること、正さないと
いけないこと、指導が必要なこと等はきちんと言わなけれ
ばならないこともある

言えば嫌われる、とくに若い女性には間違いなく拗ねられる

しかし仕事で「好かれる」とか「嫌われる」とかを基準にして
接していくことは間違いのもと、嫌われようと反発をされよう
と正しいこと、プラスになること、その人にとっても大切な
ことははっきりと言うことにしている

それでトラブルを起こすことはほとんどない
年齢を重ねたらそれがむしろ役割と心得てやっている

嫌われるとか嫌われないかは相手が決めること
ただ、仕事外のごく普通の人間関係では、相手の反応を見て
嫌がられていると感じたことはしないことだ

人からこちらが迷惑と思っていることをされれば腹もたつ
度が過ぎればブラックボックスに入れて蓋をしてしまう

自分が気づいてないだけで人に迷惑をかけていることはないか
と常に反省しないといけないと自戒をこめて言い聞かせている

天国から母がはらはらしながら言っているかもしれない

”人に嫌われんようにしんさいよ”と。

下取り。

2011-05-08 22:27:33 | ひとりごと


ご近所にある紳士服のA○▽iさんから洋服の
下取りのメールが来ていたので

先月来、衣服の整理をしていて廃棄にするか
決断ができないまま宙ぶらりんになっていた
スーツを下取りに3着持ち込んだ

下取りしてもらうと割引券がもらえるために
かえって高い買い物になることは店側の戦略
であることぐらいは承知しているので今日は
持ち込みだけにした

一着2万円の割引券を3枚もらったがこれが
甘い誘いなのでひとまず退却してきた

今年は節電ブームで室温は高めに設定される
はずだから夏場のスーツはあまり着ないかも
しれない
それなら秋口にいい商品を買ったほうがいい

女性のように化粧や洋服でごまかせない男は
スーツが唯一の制服なので比較がされやすい
年齢と共に身につけるものは気をつけたい

いまは安い物か高い物かに二分化されている
贅沢ができる身分ではないが歳の分だけは
お粗末にならないようにとそれが購入基準だ

本や衣料に続き愛着のあるスーツともお別れ
して身の回りは徐々に空きスペースができた

このしっぺ返しに自分が下取りされないよう
まあ持参金付きでも下取りなどされるわけは
ないと思うがモノ好きもいるから・・・

それよりも怖いのは廃棄されること
しがみついてもがんばろうニッポン!

とうとう連休は終わった
昨日、今日と大阪市内のウォークに行こうと
リュックを背負ってでかけたものの気持ちが
乗らなくて連日の好天気にもかかわらず2日、
3日以外はずっと家と仕事場で過ごした
まだ震災に引きずられたままになっている。

値打ちのない本。

2011-05-07 20:20:21 | 輝いて生きる
土曜日は仕事場ビル前の広場でフリーマーケットが開かれる
もう10年、いや、もっと前からかもしれないが
なじみ客が大勢いるらしく結構な人が集まってくる

自宅で処分している本から他人に譲ってもいいきれいで
内容的に今でも読めるビジネス本を20冊ほど持ってきて
いつも古本をうっているおばちゃん店主に上げますよ!
と言ったら

”いりません”

とあっさり断られてしまった。


そりゃ発行年が10年前後も前のもので少し黄ばんでいる
それでもそこに並んでいる本よりきれいやで?

要するに経営書、ビジネス本などおばちゃんには関心外
その類の本は時間が経たものは価値がないと判断される
賞味期限切れというやつ

自分だってよほどの本でないと買わないからな・・・
ということですごすごと引き返してきた

それでその本をどうした?

はい、ゴミ捨て場に直行しました!

かくして永遠のお別れをしてしまった。

捨てがたいが・・・捨てざるを得ない!

2011-05-06 22:13:50 | ひとりごと
このところ深夜の隠れ部屋で本と書類等の処分作業が続く・・・
マンションの4畳ほどの部屋を本や仕事関係の書類、資料等が
占有していて足の踏み場もない状態

これが昭和の時代から続いていて手をつける勇気?もなかったが
今年を「脱」の年と決めて、現状から「脱出」すると決意したので
なにがなんでも身軽にして新たなことにチャレンジする!

その決意のもとに少しずつ夜の時間をほこりにまみれながら作業を
続けている、押し入れの中や段ボールの中まで整理し終えるのには
とても5月中は難しいと現状の進捗状況でわかってきた

書類棚を整理していたらノートが何冊も出てきた!
ノートの存在はもちろん知っていたが開いたのは20年ぶりくらい
日付を見ても昭和の時代、すべてが手書きで作成したものでここまで
よく書き込んでものだと我ながら感心した



書く(記録する)ことには自信があったが、ほとんどが鉛筆書きという
のも時代を感じさせる

ノート類は、まだ、三倍くらいあるはず、長い間使っていないのだから
中身を点検しないで即、廃棄処分しても問題ないのだが苦労して自分が
作成したノートだけになかなか捨てきれない・・・
写真分の普通のノートとルーズノートはとうとう処分できなくて仕事場へ
持ってきて・・・どうするか思案中

自宅のノートは減っても仕事場で増えるのだからこんなことでは何を
しているのかわからない

自宅の整理が終わると仕事場(事務所)の整理に着手するがこちらは
平成の時代になってからの物がどんどん室を占領しているので道は険しい

あー困った、困った!

えーい、捨ててまえ!
とやらないと天国まで持っていくことになるぞ! 

こうして連休の夜は隠れ部屋で夜なべして紙と格闘。  

マスターズ陸上競技大会へ!

2011-05-05 21:09:27 | 輝いて生きる


今日は大阪マスターズ陸上競技大会の観戦に行くつもりにして
明け方まで自宅の処分する本や書類を引っ張り出したままで
仮眠、起きてまた片付けていたら昼前になっていた

自宅から40分の地下鉄長居駅を降りると長居公園が広がる
会場の長居第二陸上競技場はその長居公園内にあるのだが
きれいに咲いた花に誘われていたら13時50分になっていた



スタンドに入ると60メートル種目が終わったところだった
しまった!一番見ておきたかったのが最短の60メートル
それから16時前の最終種目までスタンドから応援をした



種目はハードルを含め60メートルから5000メートルまで
そして跳躍、投てき競技など普通の競技大会と同じ
それを年齢別にやるのだから楽しい!



400メートル、早い、二位だ!と思ったとたんゴール寸前で
転倒・・・あー、もったいない!



おっ、あの年で三段跳び、見事!
男女、年齢ごちゃまぜの3000メートルでは男に負けないで
がんばるおばちゃん、いや、お姉さんランナー

その3000メートルの最終(最下位)ランナーは88歳
みんなの拍手をもらって見事にゴール、よくやった!

何周おくれ?

がんばれ!88歳!


前からずっとマスターズ陸上をやりたいと思っていた
3年前に3ケ年計画に入れて競技用シューズとユニフォームを
買ったほどだが

しかし、思うだけで終わってきた

でも、諦めたわけではない

せめて最短の60メートルでいいから走ってみたい
だからその種目がみられなかったのが残念だった

会場の受付でわけを話してパンフレットをもらった
5月1日、つまり5日前に練習会があったそうだ
次回は秋らしい・・・



練習の仕方がわからずどうしたらいいのやら
そう思うばかりで一歩も踏み出さずにきたが
そんなことを言っていたら天国が会場になってしまう

陸上競技どころかスポーツは草野球程度で何も経験していないが
走っている人に声援を送りたくなるのは好きだからと思う
好きなことをするのが一番!



88歳の人、70歳代の人も参加していた(参加者名簿は年齢入り)
現役のランナーらしきすごい選手もいた



以前、ウォーキング倶楽部にいた女性のKちゃんが
ウォーキングから水泳をはじめ6年くらいになるが
いまではマスターズ水泳で全国に行って活躍している

自分にできないはずはない
ウォーキングもいいが陸上にもチャレンジしたい!
やったろか!!

あー、しゃべってしまった!
ここだけの話にしとこ!!!
誰にも言うたらあかん!!!

また、夢のようなことを言っているのかな?



両親から春のプレゼント!

2011-05-04 21:37:51 | ひとりごと
いなかの兄からタケノコが送られてきた

両親がずっと世話をしていた小さな竹林に今年もタケノコが

生えてきたものを兄嫁が湯がいて調理がすぐできるように

してくれていたのでさっそくおいしくいただいた


タケノコ堀は77歳の兄の仕事だがあれは大変な作業!

それを弟家族に毎年欠かさず送ってくれているのだが

これも両親から春のプレゼントだと思っている


その竹林の隣には両親の墓がある

両親はいつもタケノコの成育を見ているのだろう

兄はさぼれなくて気の毒だな


タケノコのシーズンになっても買って食べることはない

わが家は両親のタケノコに頼り切っているのだから。


ウォーキング倶楽部で琵琶湖に行った。

2011-05-03 23:14:16 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で滋賀県の大津へ行った。9時45分にJR大津駅に集合、予報に反してどんよりとした空模様、黄砂の影響もあると思ったがそれにしても怪しげな空気に気勢をそそがれた。

駅前広場でコースの概要説明、リーダーのちゅうさん(sns会員)によるストレッチを済ませてさっそく琵琶湖岸を目指してスタート。
コースは、大津市の名刹、三井寺から石山寺までを結んで琵琶湖岸、瀬田川畔を沿うように春の水辺を歩こうというもの、本来担当のHさんがご母堂の病気見舞のため急に帰郷することになったので急きょ、自分が代役、それならはと選んだお気に入りのコース。

コースは、まず、西国三十三ケ所霊場巡り14番札所でおなじみ三井寺へ向かった。
駅前から琵琶湖岸へ伸びる道を下り、湖岸を左へまわり大津港を通過、目の前に迫る比叡山のふもとにある三井寺を目指した。

琵琶湖から京都に水を運ぶ第二疏水のきれいな桜並木をどんどん上がっていくと三井寺へ着いた、いつもは仁王門から入るが今日は逆から入ることにして急な階段を上がり札所がある観音堂を最初に訪ねた。いつもはお遍路姿をたくさんみかけるのだが今日は見られなかった。

観月舞台でもらったパンフレットの読み合わせをし、毘沙門堂から広大な境内の中心部だけを見て歩きすることにした、三井寺の桜は過ぎ、いまは新緑があふれているが、ここはなんといっても秋の紅葉がおすすめだ。


重文の唐院から徳川家康が寄進したという三重塔を経て一切経蔵へ、ここを案内したかったのだが、運悪く工事中で中に入れず、弁慶の引摺り鐘のある霊鐘堂から天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いたという霊泉へむかった。



このあたりは天智天皇が667年に飛鳥から都を移してきて大津京が開かれたところ、その天智天皇の継承争いで天智天皇の子の大友皇子と天智天皇の弟の大海人皇子が争う「壬申の乱」が勃発したところ。勝利した大海人皇子は再び飛鳥へ遷都し大津京はわずか5年で廃都になった歴史があるところ。


三井寺の中心はなんといっても威容を誇る国宝の金堂、個人的には上品な風格のある建物の雰囲気が好きだ。ここはみんなで堂内をじっくりとみさせてもらった。
この金堂は豊臣秀吉の正室、北の政所によって再建されたといわれており桃山時代を代表する名建築として知られている。


金堂のすぐ横によく知られた近江八景の「三井の晩鐘」、宇治の平等院、京都高尾の神護寺と共に日本三銘鐘に数えられ、その音色が「日本に残したい音風景百選」にも選ばれている。


広い境内のほんの一部しか見られなかったが、正面の入口、徳川家康寄進の仁王門から出て次のコースへ急いだ。



昼食を皇子山競技場横の公園で済ませたあと琵琶湖競艇場、琵琶湖第二疏水前を通り再び大津港へ。丁度、琵琶湖観光船ミシガンの出向前に出くわした、乗船を待つ人が列をなして待っていた。
ここからゴールの石山寺をめざして琵琶湖岸のさざなみ公園のトリムコースをすすむ、このコースを設定した中心メンバーの県の役人が知人なのだが、最近はご無沙汰している。

普段なら琵琶湖の景色がすばらしいところで、それをメンバーに見せたくて選んだコースなのだが湖面と空の区別がまったくわからないほどの黄砂、最悪の景色、振り向くと比叡山のテッペンまでもわからなかった。それでも湖岸は釣り人でいっぱいで、こちらの人にとって琵琶湖は身近な楽しみの場所なのだと思った。


天気予報では15時ころから雨になるという、いまにも降りだしそうな空を眺めながら次の目的地、近江大橋をめざした。ここらから女性軍が遅れ始めた、楽しそうにおしゃべりをしながら歩く女性には気の毒だが目で急ぎのサインを出す。

1500メートルの近江大橋に着いたがここからの絶景もかなわなかった。ゴールまでの距離と想定時間より約30分遅れていることを説明すると、とうとう女性軍から“男性の真ん中に入れて前後からくるんでください”と注文が出た。
つまり、女性だけで歩くと遅れるので、男性に巻き込んで引っ張ってほしいとのこと、女歯科医のしっかりMさんらしい提案、歩幅に男女差があるので遅れるのは当たり前だが必死でついてくるのは根性か、やけくそか、いや、大阪のおばちゃん力や!

倶楽部のウォーキングは、だらだら歩きにならないように、そんな姿が見えたら、前後一列になって「しっかり歩き」をトレーニングを兼ねて行うようにしている、さすがに女性も無口になる、これ女性の口封じ作戦!

近江大橋を渡り夕照の道に入る、琵琶湖漕艇場前で最後の休憩をした、女性の足の疲れが目立ってきたので、残りの距離と時間を説明した。日曜日だから少しでも早く帰してあげたい。
当面の目標、瀬田の唐橋をめざす、コースで一番くるしいところだが、まだ、残りが4キロあるので励ましながらすすんだ。


瀬田唐橋を渡り瀬田川に沿って京阪石山寺駅までが最後の頑張りどころ、みんなの疲れを励ますように、倶楽部のリーダーをしてくれているちゅうさんが先を歩きを始めた、あっという間に差がついていく、誰もおいつけるものはいない、なにしろ四国霊場八十八か所めぐりをしている超健脚、一昨日まで3日間で14万歩も歩きながら疲れもみせず、みんなを引っ張ってくれた。


石山寺の東大門へ着いたら予定時間を15分程度遅れまで回復して15時45分だった。
石山寺は先月13日の誕生日に訪れたばかりだが、東大門から入ると13日は満開の桜が迎えてくれたのに、たった3週間の間に桜は新緑に、そしてつつじが咲き始めていた。



ここまで来て足の疲れも個人差が出ていたので境内は自由行動、16時30分、当初の予定時間通りに石山寺を出て京阪石山寺駅から乗車、JR石山駅で乗り換えて全員、元気に戻ってきた。

連休中で参加者が少なかったのとお天気にめぐまれなかったのは残念だったが、名刹を結ぶ今日のコースは楽しんでくれたと思ったのだが。