ノーベル物理学賞の受賞者の益川博士は、その特異なキャラでマスコミに人気がある。私もいっぺんに共感した。博士は、子供の頃宿題を一度もしてこなかったと言う。これは博士が単に反抗的であったということではなく、何かに夢中になって、宿題のことを気にかけなかったことによるものだろう。子供の時にそれほど夢中になれるものは何だろうか?私も子供時代を思い出して考えてみるに、やはり自然観賞じゃないかと思わざるを得ない。自然をしつこく眺め「なぜ?」の問を次から次へと発する好奇心が支配していたに違いない。「沈黙の春」を著したレーチェル・カーソン女史の幼女時代もまさにそうだったと言われている。私の恩師である古島敏雄農学博士(農業史の先生)は、やはりエッセイで同じようなことを述べている。「社会を見る眼、歴史を見る眼」(農文協、2000年)をひもとくと冒頭に益川博士と同じようなことを言っている部分に遭遇する。それを原文のまま記しておこう。 . . . 本文を読む
ものは考えようである。今世の中が暗くなっている時、えてしてわれわれの心象に浮かぶことは「守る」という言葉を選ぶ心理である。もちろん「守る」ということは絶対的に要求されることが多い。生活、健康、家族、環境、雇用、独立、企業・・・など現在危険がいっぱいである。守らないでよいということではない。民主主義、憲法・・これらも守り抜きたい。
そのことを前提とした上で、「創る」という次元でこれらのことを発展的に考えたい。創ることが守ることを含むことになるケースが多い。スポーツは攻守という反対の概念の統一したものだ。守るは攻めることなりということは真実だしその逆の攻めるは守ることなりと言うことも真実だ。
今この世の中を暗くしていることは何かということについては、「不安」という言葉が一番適当ではないかと思う。目に見えるもの、目に見えないが未来に見えてくるものなどに生き残ることができるのかどうかと言う究極の心理状態の中でのおびえである。生活、健康、家族、環境、雇用、独立、企業・・・などすべて不安に満ちていると言える。
だとすれば、どうすれば不安が解消するのか。現代に突きつけられている問題であり、おそらく100年に一度といわれる世界の経済危機はこれらの問題をすべて含み、複雑に絡んで存在しているだろう。
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明治生まれの親父がよく言っていた。酒というものは人と人との融和に欠かすことのできないものだ。そしてさらに「酒を飲めない人は気の毒だ」と。酒を知らないで何の人生かと言わんばかりに。子供のころ聞いた時にはそのことは何のことかわからなかったが長じて会社勤めをしてみると酒というものがいかにすばらしいものであるかが、最初は「理屈」としてそしてしだいに「理屈抜きに」分かるようになった。 . . . 本文を読む
始めて楽譜に向き合ったのが11月18日であった。2年前にやはり娘に誘われて
教会堂でいきなり一緒に唱和したことがあったが、前に出て演奏したわけではなかった。今度はオーケストラ付きだというのだ。軽率?にも興奮し、スケジュールが合いそうだし、家族から複数(娘、ワイフ、兄)も加われるようだったので手を挙げたわけだが、一度練習に参加(23日)して、少し面食らうこととなった。 . . . 本文を読む
今年のトマトフェスタで気づいたことであるが、トマトほど人の関心をひき、話題と提供するものはないと思った。もしも、電車内などでトマトフェスタに参加した赤、黄色、緑、紫など、しかも大小様々のトマトを持って乗っていたらおそらく、何人かの人が声をかけてくるだろうと思った。ただのもの珍しさだけではない、人を惹きつける生気がトマトにはある。トマトには花とおなじようないや花以上の生気がある。トマトを見て、触って食べて、老いも若きもどんな切り口か元気な会話がはずむ。
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いざ禁煙を実行しようと決意する時の状況とその人の心理を分析すると禁煙に成功する道が見つかるかも知れない。私は思っている。意志が弱くて・・ダメなんですよと言いつつ禁煙を止める人は、心理の中では自分を説得する論理を弱いと知りつつ構築し、それにすがることでわずかばかりの安心感を得る。 . . . 本文を読む
1987年、私は渋谷で小さな一室を確保して営業をしていた。仕事の中身は、娘に言わせれば占い師のようなもので、いくつかの企業やお役所の企画の相談に与っていた。仕事の現場が地方であることが多く、時には海外もあって、また書き物も多い仕事だったために、喫煙量が増え続け、「これはいかんな」と思いつつも、禁煙に踏み切れない日が続いていた。 . . . 本文を読む
環境の世紀である。昨今、環境は創造するものだという積極的な概念が生まれてきている。これはすばらしいことである。今COP14が開催中である。COPすなわち国際気候変動枠組み条約の第14回国際会議がポーランドのポズナニ市で開催中である。
温暖化ガスの排出規制を、2050年には1990年時点より80%を削減すべきと言うコンセンサスが用意されている。日本は、1990年から今日まで逆に14%もふやし続けており、今後も減らすことについては大変消極的である。そんな折から、横浜市には「環境創造局」という局ができた。もちろん、目新しい仕事をいきなり始めるというようなものでもなかろうが、少なくとも中央政権よりも前を向いていることは確かである。下記に紹介するのは、小生の主催しているある研究会が識者に呼びかけようとしている環境創造協議会の設立の呼びかけ試案である。
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知識が不完全だとそこに不安が生まれるのは当然である。とくに、秘密が横行し、そこに悪意が付随しているとすれば、情報、知識が信ずることができなくなり疑心暗鬼となる。BSE問題はそのような事例の一つであった。アメリカ産の牛肉が怪しい、疑うに足る証拠もある、しかし相手は否定している、しかしその理由も根拠も納得出来ない。肝心なことが意図的にぼかされている。BSEの本当の原因は科学的には分からないとされている。けれども、どうしたらBSEになるかは、肉骨粉を食した牛が罹患するという因果で分かっている。危険部位も分かっている。それを取り除けばいいことも理屈では分かっている。けれども、アメリカの食肉業者がそんな面倒くさいことをする相手ではないという疑いをぬぐい去ることができない。肝心なことは置いてきぼりである・・。あらゆる権力が示し合わせて「本当のことは分からないのに、安全という結果に同調することだけを強要する。人々はこの不安の構造の中に存在していると疑っているので不安が増す。これが現代の不安である。」(内山節、「里という発想」より意訳)
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私は子供の頃から新聞将棋を見るのが好きで、それが今でも続いてテレビ将棋は欠かさず見ています。完全な下手のヨコ好きなのですが、駒の働きと動き方のルール、そしてゲームの帰趨を決めるヨミや決め技などや、終盤の知的捻り合いには本当に惹かれるものがあります.
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