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選挙よりも大切なこと

2012-12-09 22:15:32 | コラム・社会

選挙は、選挙民(国民や市民など)を代表して行政を司るメンバーを投票というシステムなどで選ぶもので、選ばれたメンバーの顔触れによって行政の進む方向が左右されるので大切なことだ。

しかし、選挙や行政よりも日常の暮らしを左右してしまうことは数多くある。
労働環境や収入、健康管理や家族問題など、人の暮らしに大きく影響を与える事全てを行政の責任にする事は出来ない。

例え職場内のイジメがあったり、知らずに公害汚染を受けていたとしても、基本的には個人が責任を持って対処行動を起こすべき事柄で、その全てを行政の責任であるかの様に扱うのは間違っている。


【 社会の中の個人として 】

人間は、他の動物以上に社会の中で生きる事に依存している動物だ。
いや、社会を発展させる事によって、安定した食料体制や知識の享受、身体的な安全や文化面の充実を図り、それらを歴史の中で積み重ねてきたから現在があるのだ。

だから、個人の生活を充実させて夢や希望を叶えたいと願い、昨日よりも幸福な明日を望むならば、個人を取り巻く社会に対してどう接するかがとても大切になるのだ。

つまり、家族から身も知らぬ他人に対してまで、身の回りの人とどういう接し方をするかによって、その個人の人間生活の充実度が左右されるのだ。


【 行政とは 】

多数決が民主主義と誤解されたこの社会の中では、それによって選ばれるメンバー達は選挙民の平均的な意識や行動様式を代表したものになる。

尖閣諸島で衝突行動を起こした隣国の人に対して行なった“行政的処置”について非難する人は少なくないが、所詮は選挙民の平均的な意思や行動様式を代表したものである事を自覚すべきだろう。

日頃から隣に住む人とのコミュニケーションを積極的には取ろうとせず、何か隣人関係で解決すべき問題があっても直接的に適切な行動を起こそうとせず、「見て見ぬフリ」をしたり行政など第三者機関に委託するような選挙民が大半である現われなのだ。

適切に身の回りの人と関係を築き、必要な時には冷静で毅然とした態度で意見できる選挙民が大半であれば、あの様な行政処置はあり得ない。

つまり、行政が選挙民の表れである以上、行政を良くしたいと願うならば、個人として身の回りのあらゆる人達との関わり方を積極的に行なうべきだ。


【 選挙より大切なこと 】

身の回りの人との関わり方を積極的に行なうことは、積極的に政治についての会話をすることではないし、政治的集会やデモ行進への勧誘を行なうことでもない。

身の回りの人から迷惑を受けたり受ける恐れがある場合には、その人に対して毅然とした態度で「迷惑なので止めて」と伝えるだけの事だ。

更に、予防的な措置として、その様な行為を他の人に対して行なっている人を見かけた場合にも、同様に毅然とした態度で意見を伝える事も大切だ。

そういう事柄や行動を起こせる場面は意外に多くある。
例えば、道路やショッピングセンターなどを歩く際、顔を上げず前も見ずに歩く人と出くわした場合、大半の人は自らその人を避けて歩くが、可能な範囲、リスクを負わない範囲で注意することが大切だ。

周囲の人に注意や関心を払わない人の行為こそが、社会に住む個人の生活を脅かす元凶であり、意識ある人は決して「見て見ぬフリ」という無関心行動を装ってはいけないのだ。


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