7月7日「恋そうめんの日」
日本記念日協会のHPで今日の記念日を見ると、7月7日の今日は「恋そうめんの日」だそうである。
同HPの説明によると”古くから七夕の日には、そうめんを食べて無病息災を願う風習がある。また風水では麺類は「恋愛運を高める食べ物」とされている。この七夕の日とそうめんと恋愛のステキな関係を結びつけて、自社製品の「恋そうめん」のPRにも役立てようと記念日を制定したのは、日本を代表するそうめんメーカー、株式会社三輪そうめん山本”だそうである。
旧暦の7月7日「七夕」の夜、日本では明治改暦以降は7月7日又は月遅れの8月7日に多く七夕祭りが行われる。
そうめん(素麺)は、小麦粉を原料とした麺のひとつであるが、主に乾麺で流通するため市場では通年入手できるが、冷やして食べることが多く、清涼感を求めて今のような暑い夏の麺料理として食べられることが多い。手延素麺と機械素麺に分類されるが、日本独特の手延素麺に人気が有る。日本では奈良県桜井市が発祥の地とされていることは、以前に、このブログ「めんの日」(毎月11日)でも書いた。
そうめん(素麺)は、奈良時代に、唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(さくべい)に由来するとするとされている。
索餅の、「索」は両手で縄を綯う意味、「餅」は小麦粉製品を意味し、、『和名類聚抄』の「索餅」の項に「和名無木奈波」の文字も見られ、和名では「むぎなは(麦縄)」と呼ばれていたようで、この表現から小麦粉を練って細くした縄のような形状だったことは想起できる。 また、平安時代中期の『延喜式』巻三十三「大膳下」・年料「索餅料」には「原材料の小麦と米粉(小麦三十石 粉米九石)は、搗臼(臼一腰・杵二枚)で搗き、ふるいにかけて粉とする。湯を沸かし、塩(紀伊塩二石七斗)を溶かしこむ。小麦粉と米粉を臼に入れて混合し、さきほどの塩湯を注ぎ入れて練り合わせる。さめぬうちに調理台の上で押し広め、これを包丁(刀子四枚)で細長く切る。これを竹(竹百五十株)に掛け、乾燥し、乾いた索餅は、籠(乾索餅籠十六口)に取り入れて保存する。」・・・と材料と必要な道具類も詳しく書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっているが、形状については不明であり、現在の素麺や饂飩(うどん)よりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力なようだ。また、この『延喜式』には「索餅」が天皇が即位するときの大嘗祭にも供されていたことなども書かれている。
この索餅は唐から伝来した唐菓子の1つで、古代中国の後漢や唐の文献に度々その名が出てくるが、日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い記録とされているようだ。(以下参考に記載の※1 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-1-)」参照)。
それを裏づけるかのような伝承が、古都奈良に残っており、三輪素麺の産地として知られる桜井市に、三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、日本最古の神社と称されている大神神社(おおみわじんじゃ)がある。この神社は、主祭神の大物主命(おおものぬしのみこと)を主祭神としているが、大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。そうめんもまた、この神社を発祥の地であると伝承は言う。(㈱三輪そうめん山本のHPの「今に伝わる糸依伝説 (いとよりでんせつ)」参照)。
奈良地方(大和国)の農家では七夕には、「素麺」を食べる習わしがあり、「天の川」の見える縁側に祭壇をつくり、ウリやナス、枝豆等と共に「冷やし素麺」を供える風習があると聴く。
平安時代末期に成立したと見られる説話集今昔物語・巻十九・第二十二話には、 僧侶が麦縄(さくべい。ここでは索餅に麦縄の字が使用されている)を粗末に扱ったために麦縄が蛇に化けたという話が書かれており、この頃には、索餅が民間にも普及した食べ物となっていたようであるが、『 師光年中行事 』寛平二年(890年)の条には、『宇田天皇宸記』(『宇多天皇御記』のこと)を引用して「・正月十五日、七種粥。三月三日、桃花餅。五月五日、五色粽。七月七日、索麪(そうめん)。十月初、亥餅等。俗間に行い来る。もって歳時となす。自今以後、色ごとに弁じ調べ、よろしくこれを供奉すべし。」 とあり、古くから中国の故事に倣って宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていたことがわかる。
奈良盆地の三輪地方は三輪山から流れ出る巻向川と初瀬川の清流が作る肥沃な土地で、小麦の栽培に適し、昔から小麦の栽培が盛んだったようだ。また、冬場は冷え込み雨が少なく、そうめん作りには最適の地。巻向川と初瀬川は万葉集にも歌われている。以下参照。
万葉集: 巻向(まきむく)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kinki/nara/makimukurv.html
万葉集: 初瀬川(はつせがわ)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kinki/nara/hatsuse_rv.html
そうめんは乾燥させて作るため保存食としても有効で、三輪地方で素麺作りが始まった当時は飢饉に苦しむ人々を救ったという。
京都の祇園社(明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、現代の八坂神社となる)の南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年(1343年)7月7日の条には、麺類を指す言葉として索餅、索麺・素麺のの名称が混じって用いられるようになるが、鎌倉時代になると民間レベルで大陸との交流も盛んになり、大陸の新しい技術が入ってきて、先ず、油をつけて伸ばす技術次に挽き臼の伝来により、室町時代には麺が細く長く、そしてコシ(腰)の強い「素麺」(そうめん)へと変化してきて、ほぼ現在の様なものになる。そして、その後の鉄製農具の普及に伴ない小麦の生産も飛躍的に伸び、この新しい麺の製造法が全国に普及していったようだ。
現在、日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』(以下参考に記載の「農林水産省/品質表示基準一覧」参照)にて、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。ちなみに直径1.3mm以上~1.7mm未満は冷や麦、1.7mm以上はうどんと分類される。又、手延麺の場合、素麺もひやむぎも同基準であり、直径が1.7mm未満で丸棒状に成形したものが「手延べ素麺」もしくは「手延べひやむぎ」に分類される。ちなみに直径が1.7mm以上で丸棒状に成形したものは「手延べうどん」に分類される。
現在、日本の素麺主産地は兵庫県たつの市の「揖保乃糸」であり、今日に至っては全国一の生産高を誇っている。私事になるが、私はある兵庫県に本社を置くスーパーの株を少し持っているが、配当率もよく、それに、株主への優待として、毎年株主総会後に、特上の「揖保乃糸」を送ってくれる。最近のように銀行にお金を預けても金利もつかないので、このような株主優待制度を楽しみに株を買っている人も多い。
乾麺のものは保存性は良いが、他の麺に比べて虫がつきやすく長期の保存は避けた方が良い。よくそうめんの「ひねもの(古物 )」といわれているものは、夏に2回目の梅雨を越したそうめん(製造から2年目を迎える)をいう。同様に「おおひねもの(大古物)」といわれているものは3回目の梅雨を越すそうめんをいうのだそうだ。一般に、素麺はこのような「ひねもの」ほど美味しいといわれるが、それは、新物のそうめんに比べてコシが強く、茹でのびしにくいからである。
しかし、古ければ古いほど良いとったものではなく、先に言った古物(2~3年もの)が食べごろ。それに、保存も業者が保存に適した環境で保存しているから良いのである。
今の時期、需要の多い「そうめん」はデパートやスーパーには進物用のものが、山と積まれている。昔、知り合いのある食品スーパーの営業の者に、「こんなに沢山のそぷめんが売れ残ったらどうするの」と聞いたら、「いや大丈夫です。残った素麺は、全て、メーカーに返品します。メーカーできっちりと保管しておけば問題なく、又、次の年に売れるのです」と言っていた。その時は、そうめんとはそんなものかと思っていたのだが、先月(2008年6月6日)、”奈良県桜井市特産の三輪そうめんのある販売会社が、返品されたそうめんを再包装し、賞味期限を1年半先に延ばして再販売していたとして、農林水産省が、同社に対し、JAS法に基づく改善命令を出した。同社は平成14年にも長崎県産のそうめんに「三輪」の産地名を表示し、改善指示を受けていた。同省によると、同社は商品48種類の賞味期限を1年半とし、夏場を過ぎて返品された場合、中身に異常がないことを確認した上で再包装し、その日から1年半先を賞味期限にして表示していた”ことがマスコミで報じられていた。(以下参考に記載の「MSN産経ニュース」参照)
この頃は、やたらと食品の偽装問題が世間を騒がせている。もう、これだけ、日本人のモラルが低下した時代になると、いい加減な行為には、厳罰(罰則の強化)をもってしないといけないようだね~。
何か話が「恋そうめんの日」とは逆のイメージの落ちになってしまったが・・・。
(画像はそうめん。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
素麺-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%86%E3%82%81%E3%82%93
風水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%B0%B4
㈱三輪そうめん山本HP
http://www.miwayama.co.jp/
大神神社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
源氏物語: 索餅(さくべい)
http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2007/08/post_bcc3.html
CityDO! そうめん特集
http://www.citydo.com/soumen/index.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
MSN産経ニュース-返品を再包装、消費期限1年半延ばす 三輪そうめん改善命令
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/lifestyle/080606/sty0806062356004-p2.htm
つるつる文献集(寺方蕎麦長浦HP)
http://www.nagaura-soba.co.jp/
※1 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-1-)」
http://www.nichimen.or.jp/zatsugaku/04_01.html
八坂神社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE
日本史研究参考基礎史料索引(50音順)
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/siryou/list/sakuin.htm
和名類聚抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8D%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%8A%84
早稲田大学図書館蔵・和名類聚抄
http://www.littera.waseda.ac.jp/wamyou/
今昔物語集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86
農林水産省/品質表示基準一覧
http://www.maff.go.jp/j/jas/hyoji/kijun_itiran.html
日本記念日協会のHPで今日の記念日を見ると、7月7日の今日は「恋そうめんの日」だそうである。
同HPの説明によると”古くから七夕の日には、そうめんを食べて無病息災を願う風習がある。また風水では麺類は「恋愛運を高める食べ物」とされている。この七夕の日とそうめんと恋愛のステキな関係を結びつけて、自社製品の「恋そうめん」のPRにも役立てようと記念日を制定したのは、日本を代表するそうめんメーカー、株式会社三輪そうめん山本”だそうである。
旧暦の7月7日「七夕」の夜、日本では明治改暦以降は7月7日又は月遅れの8月7日に多く七夕祭りが行われる。
そうめん(素麺)は、小麦粉を原料とした麺のひとつであるが、主に乾麺で流通するため市場では通年入手できるが、冷やして食べることが多く、清涼感を求めて今のような暑い夏の麺料理として食べられることが多い。手延素麺と機械素麺に分類されるが、日本独特の手延素麺に人気が有る。日本では奈良県桜井市が発祥の地とされていることは、以前に、このブログ「めんの日」(毎月11日)でも書いた。
そうめん(素麺)は、奈良時代に、唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(さくべい)に由来するとするとされている。
索餅の、「索」は両手で縄を綯う意味、「餅」は小麦粉製品を意味し、、『和名類聚抄』の「索餅」の項に「和名無木奈波」の文字も見られ、和名では「むぎなは(麦縄)」と呼ばれていたようで、この表現から小麦粉を練って細くした縄のような形状だったことは想起できる。 また、平安時代中期の『延喜式』巻三十三「大膳下」・年料「索餅料」には「原材料の小麦と米粉(小麦三十石 粉米九石)は、搗臼(臼一腰・杵二枚)で搗き、ふるいにかけて粉とする。湯を沸かし、塩(紀伊塩二石七斗)を溶かしこむ。小麦粉と米粉を臼に入れて混合し、さきほどの塩湯を注ぎ入れて練り合わせる。さめぬうちに調理台の上で押し広め、これを包丁(刀子四枚)で細長く切る。これを竹(竹百五十株)に掛け、乾燥し、乾いた索餅は、籠(乾索餅籠十六口)に取り入れて保存する。」・・・と材料と必要な道具類も詳しく書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっているが、形状については不明であり、現在の素麺や饂飩(うどん)よりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力なようだ。また、この『延喜式』には「索餅」が天皇が即位するときの大嘗祭にも供されていたことなども書かれている。
この索餅は唐から伝来した唐菓子の1つで、古代中国の後漢や唐の文献に度々その名が出てくるが、日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い記録とされているようだ。(以下参考に記載の※1 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-1-)」参照)。
それを裏づけるかのような伝承が、古都奈良に残っており、三輪素麺の産地として知られる桜井市に、三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、日本最古の神社と称されている大神神社(おおみわじんじゃ)がある。この神社は、主祭神の大物主命(おおものぬしのみこと)を主祭神としているが、大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。そうめんもまた、この神社を発祥の地であると伝承は言う。(㈱三輪そうめん山本のHPの「今に伝わる糸依伝説 (いとよりでんせつ)」参照)。
奈良地方(大和国)の農家では七夕には、「素麺」を食べる習わしがあり、「天の川」の見える縁側に祭壇をつくり、ウリやナス、枝豆等と共に「冷やし素麺」を供える風習があると聴く。
平安時代末期に成立したと見られる説話集今昔物語・巻十九・第二十二話には、 僧侶が麦縄(さくべい。ここでは索餅に麦縄の字が使用されている)を粗末に扱ったために麦縄が蛇に化けたという話が書かれており、この頃には、索餅が民間にも普及した食べ物となっていたようであるが、『 師光年中行事 』寛平二年(890年)の条には、『宇田天皇宸記』(『宇多天皇御記』のこと)を引用して「・正月十五日、七種粥。三月三日、桃花餅。五月五日、五色粽。七月七日、索麪(そうめん)。十月初、亥餅等。俗間に行い来る。もって歳時となす。自今以後、色ごとに弁じ調べ、よろしくこれを供奉すべし。」 とあり、古くから中国の故事に倣って宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていたことがわかる。
奈良盆地の三輪地方は三輪山から流れ出る巻向川と初瀬川の清流が作る肥沃な土地で、小麦の栽培に適し、昔から小麦の栽培が盛んだったようだ。また、冬場は冷え込み雨が少なく、そうめん作りには最適の地。巻向川と初瀬川は万葉集にも歌われている。以下参照。
万葉集: 巻向(まきむく)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kinki/nara/makimukurv.html
万葉集: 初瀬川(はつせがわ)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kinki/nara/hatsuse_rv.html
そうめんは乾燥させて作るため保存食としても有効で、三輪地方で素麺作りが始まった当時は飢饉に苦しむ人々を救ったという。
京都の祇園社(明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、現代の八坂神社となる)の南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年(1343年)7月7日の条には、麺類を指す言葉として索餅、索麺・素麺のの名称が混じって用いられるようになるが、鎌倉時代になると民間レベルで大陸との交流も盛んになり、大陸の新しい技術が入ってきて、先ず、油をつけて伸ばす技術次に挽き臼の伝来により、室町時代には麺が細く長く、そしてコシ(腰)の強い「素麺」(そうめん)へと変化してきて、ほぼ現在の様なものになる。そして、その後の鉄製農具の普及に伴ない小麦の生産も飛躍的に伸び、この新しい麺の製造法が全国に普及していったようだ。
現在、日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』(以下参考に記載の「農林水産省/品質表示基準一覧」参照)にて、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。ちなみに直径1.3mm以上~1.7mm未満は冷や麦、1.7mm以上はうどんと分類される。又、手延麺の場合、素麺もひやむぎも同基準であり、直径が1.7mm未満で丸棒状に成形したものが「手延べ素麺」もしくは「手延べひやむぎ」に分類される。ちなみに直径が1.7mm以上で丸棒状に成形したものは「手延べうどん」に分類される。
現在、日本の素麺主産地は兵庫県たつの市の「揖保乃糸」であり、今日に至っては全国一の生産高を誇っている。私事になるが、私はある兵庫県に本社を置くスーパーの株を少し持っているが、配当率もよく、それに、株主への優待として、毎年株主総会後に、特上の「揖保乃糸」を送ってくれる。最近のように銀行にお金を預けても金利もつかないので、このような株主優待制度を楽しみに株を買っている人も多い。
乾麺のものは保存性は良いが、他の麺に比べて虫がつきやすく長期の保存は避けた方が良い。よくそうめんの「ひねもの(古物 )」といわれているものは、夏に2回目の梅雨を越したそうめん(製造から2年目を迎える)をいう。同様に「おおひねもの(大古物)」といわれているものは3回目の梅雨を越すそうめんをいうのだそうだ。一般に、素麺はこのような「ひねもの」ほど美味しいといわれるが、それは、新物のそうめんに比べてコシが強く、茹でのびしにくいからである。
しかし、古ければ古いほど良いとったものではなく、先に言った古物(2~3年もの)が食べごろ。それに、保存も業者が保存に適した環境で保存しているから良いのである。
今の時期、需要の多い「そうめん」はデパートやスーパーには進物用のものが、山と積まれている。昔、知り合いのある食品スーパーの営業の者に、「こんなに沢山のそぷめんが売れ残ったらどうするの」と聞いたら、「いや大丈夫です。残った素麺は、全て、メーカーに返品します。メーカーできっちりと保管しておけば問題なく、又、次の年に売れるのです」と言っていた。その時は、そうめんとはそんなものかと思っていたのだが、先月(2008年6月6日)、”奈良県桜井市特産の三輪そうめんのある販売会社が、返品されたそうめんを再包装し、賞味期限を1年半先に延ばして再販売していたとして、農林水産省が、同社に対し、JAS法に基づく改善命令を出した。同社は平成14年にも長崎県産のそうめんに「三輪」の産地名を表示し、改善指示を受けていた。同省によると、同社は商品48種類の賞味期限を1年半とし、夏場を過ぎて返品された場合、中身に異常がないことを確認した上で再包装し、その日から1年半先を賞味期限にして表示していた”ことがマスコミで報じられていた。(以下参考に記載の「MSN産経ニュース」参照)
この頃は、やたらと食品の偽装問題が世間を騒がせている。もう、これだけ、日本人のモラルが低下した時代になると、いい加減な行為には、厳罰(罰則の強化)をもってしないといけないようだね~。
何か話が「恋そうめんの日」とは逆のイメージの落ちになってしまったが・・・。
(画像はそうめん。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
素麺-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%86%E3%82%81%E3%82%93
風水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%B0%B4
㈱三輪そうめん山本HP
http://www.miwayama.co.jp/
大神神社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
源氏物語: 索餅(さくべい)
http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2007/08/post_bcc3.html
CityDO! そうめん特集
http://www.citydo.com/soumen/index.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
MSN産経ニュース-返品を再包装、消費期限1年半延ばす 三輪そうめん改善命令
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/lifestyle/080606/sty0806062356004-p2.htm
つるつる文献集(寺方蕎麦長浦HP)
http://www.nagaura-soba.co.jp/
※1 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第4回『そうめん』(-1-)」
http://www.nichimen.or.jp/zatsugaku/04_01.html
八坂神社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE
日本史研究参考基礎史料索引(50音順)
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/siryou/list/sakuin.htm
和名類聚抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8D%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%8A%84
早稲田大学図書館蔵・和名類聚抄
http://www.littera.waseda.ac.jp/wamyou/
今昔物語集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86
農林水産省/品質表示基準一覧
http://www.maff.go.jp/j/jas/hyoji/kijun_itiran.html