今日(7月10日)は、「四万六千日」
「四万六千日」(しまんろくせんにち)は、寺や神社の縁日の1つで、この日(7月10日)に参詣した者には4万6千日参詣したのと同じご利益や功徳があるとされており、東京では浅草の浅草寺(せんそうじ)、文京区にある護国寺がこの「四万六千日」という縁日を行っている。同様の縁日では、東京では港区の愛宕神社の千日詣(6月24日)、京都では京都市右京区の愛宕神社の千日詣(7月31日)が有名である。
浅草・浅草寺は、東京都内最古の寺院。本尊は聖観音(しょうかんのん)である。
浅草仲見世は、現代も海外からの観光客にも人気のようであるが、この浅草寺と仲見世のことは、以前にこのブログ12月27日「浅草仲見世記念日」でも書いたので詳しくは触れないが、浅草寺の起源は、推古天皇36年(628年)、漁師の檜前(ひのくま)兄弟が現在の隅田川)から拾い上げた観音様を、土師中知(はじの なかとみ。この人物の氏名には諸説あるらしい)が堂を設けて安置したのが始まりと言われている。645(大化元)年に勝海上人という僧により観音堂が建立されたのが始まりと言われているが、浅草寺が文献に現われるのは鎌倉時代の『吾妻鏡』が初見のようである。1590(天正18)年、 徳川家康が豊臣秀吉から関八州(武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国)を与えられ江戸に入ると、浅草寺を江戸城鎮護の祈願寺に定めたこともあり、関東でも有数の観音霊場(東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場【13番札所】。江戸三十三箇所観音霊場の1番札所)として多くの参詣者を集めるようになった。
浅草寺HPの年中行事「四万六千日」の説明によれば、”観音様の縁日は毎月「18日」と伝承されてきたが、これとは別に室町時代以降に、「欲日(功徳日=くどくにち )」と呼ばれる縁日が新たに加えられてきた。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきた。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣で」と呼ばれていたが、浅草寺では享保年間(1716~1736)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は四万六千日分(約126年分)に相当するといわれるようになった。この四万六千という数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説があるが、定説はないという。なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日の縁日と受け止められるようになった。また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」の縁日にちなんで開かれているが、この市は、芝の愛宕(あたご)神社(以下参考に記載の「東京都(港区)・愛宕神社」参照)の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようで、その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたが、やがて「四万六千日ならば、浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられている。一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~1818)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになった。ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」の縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っている。”・・という。
なにか、由緒そのものがよく理解できないお寺ではあるが、浅草寺が文献に現われる鎌倉時代の頃には観音信仰のお寺として知られるようにはなっていたのだろう。東京都(港区)・愛宕神社は、慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られた。主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと=迦遇槌命カ【かぐつちのみこと】) である。縁日には「千日詣り」があり、この日にお参りすると千日分のご利益があるといわれ、その縁日に「ほおづき市」がおこなわれていた。「ホオズキ」は、観賞用としても人気があるが、ホオズキを漢字で書く場合に「酸漿」の他に「鬼灯」とも書く。これは中国語で小さな赤い提灯の事で、ホオズキの実がこの提灯に似ている所から来ており、日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾り、死者の提灯に見立てていることが多い。この果実は、薬用としても知られ、平安時代より鎮静剤として利用されており、江戸時代には堕胎剤として利用されている。現在も咳や痰、解熱、冷え性などに効果があるとして、全草を干して煎じて飲む風習のある地方が存在するようだ。
この東京・愛宕神社の縁日「千日詣り」を「四万六千日ならば、浅草寺が本家本元」と「ほおづき市」を真似て、浅草寺でもやるようになり、今では、本家よりこちらの方が知られるようになったようだ。
愛宕神社は1日お詣りすると千日分、同じく浅草寺のほおづき市では、 四万六千日分のご利益があるといわれているので、そのことが、人気の秘密か知らないが、一度お詣りするだけで46,000日分(約126年分)・・・つまり、人間一生分のご利益があるとは、豪勢なものだ。そのことを、東京・愛宕神社のHP「ほおづき市発祥の地?」のところでは、そんなご利益があるかどうか?。「実はそれを決めるのは、皆さんの信心しかありません」・・・よと、少々皮肉っている。私も、同感である。
浅草寺が明治初年ころより「四万六千日」の縁日に「雷除」のお札を授与することになった経緯も同寺HPに書かれている。この件については、同じ東京都文京区・護国寺のHPの、「四万六千日」の行事の説明の中で、縁日の当日「雷除け」のお札を授与している旨の説明がなされているように、そもそも、観音さま(観世音菩薩)の徳を説いた「観音経」(正確には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 」には、「雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散」(経文解読:雷が太鼓のように鳴り響くとか、稲妻が光るとか、雹(ひょう)が降ってくるときでも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、たちまち静まって害をうけることはないであろう。)と言う一文があり、同寺では、お詣りする人を七難三毒あらゆる災難から守る観音さまの心を表したものとして、お札を出しているようだ。こちらの説明の方が、私は浅草寺の説明より、もっとものように思えるし、これも、護国寺の行事を真似たように思われる。(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 」の解説文は以下参考に記載の仏教悩み相談室 「観音経」参照。)
観音さまをお祀りする、港区の愛宕神社の総本山は、京都市右京区の愛宕神社である。同・愛宕神社は、山城・丹波国境にある愛宕山(標高924メートル。ここ参照)山頂にある。
愛宕神社は京都盆地東北の比叡山と共に古くより信仰を集め、火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、愛宕山の愛宕神社は、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺を建立し、9世紀には<Aa href=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88>神仏習合修験道の道場となり、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵、奥の院(現在の若宮)に愛宕山の天狗の太郎坊を祀っていたという。
仏教では如来の次に位置する菩薩の中でも観音菩薩と共によく知られている地蔵菩薩のうち、道祖神と習合したと思われる将軍地蔵は、その名が示すように甲冑を身につけ太刀を佩き、また中には軍旗を手にして馬に跨る姿をしたものもあるなど、他の地蔵とは全く趣を異にしている。その起こりは、鎌倉後期の地蔵信仰で悪業煩悩に勝つ地蔵という意で、その名から先勝をもたらすとして戦場に出向く中世武士の信仰を集め、防火神としても民間に伝幡、古来火よけ神として信仰されきた愛宕神と結び付き、その本地仏とされるに至ったようだ。明治の神仏分離により白雲寺は廃絶されて愛宕神社となり、勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺に移されている。(現在では伊弉冉尊【イザナミニミコト】の子である火産霊【ホムスビノミコト=カグツチ】が祭神とされる。記紀神話における火の神である。)愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められた。
上方落語でも「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在するほどである。(落語の好きな人は以下参考に記載の「世紀末亭>愛宕山 」を見られると良い。)
現在でも愛宕(愛宕権現)の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。総本山・京都の愛宕神社の縁日「千日詣り」では鎮火神事が行われている。「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、飲食店の厨房や会社の茶室などにも貼られていることが多い。
(画像は、金龍山浅草寺雷門の提灯。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
愛宕信仰 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE
護国寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E5%AF%BA
浅草寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA
金龍山浅草寺のオフィシャルホームページ
http://www.senso-ji.jp/
愛宕神社 (京都市) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)
総本山・京都・愛宕神社
http://www.kyoto-atago.jp/index.html
東京都(港区)・愛宕神社
http://www.atago-jinja.com/
12月27日「浅草仲見世記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/b8aaed3ee187117f0768a03ee74ad995
愛宕百韻
http://www.interone.jp/~touri/kadan/tanaka_4_1.html
「本能寺の変」前夜
http://www16.plala.or.jp/amber-devil/mitsuhide08.htm
世紀末亭
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
浅草念珠堂●浅草観光こよみ7月 9・10日「四万六千日・ほおずき市」
http://www.nenjudo.co.jp/page/siman.html
真言宗豊山派 大本山 護国寺HP
http://www.gokokuji.or.jp/
仏教悩み相談室
http://enlighten.fc2web.com/index.html
世紀末亭>愛 宕 山
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo14.htm
古都奈良の名刹寺院の紹介、仏教文化財の解説など
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/
「四万六千日」(しまんろくせんにち)は、寺や神社の縁日の1つで、この日(7月10日)に参詣した者には4万6千日参詣したのと同じご利益や功徳があるとされており、東京では浅草の浅草寺(せんそうじ)、文京区にある護国寺がこの「四万六千日」という縁日を行っている。同様の縁日では、東京では港区の愛宕神社の千日詣(6月24日)、京都では京都市右京区の愛宕神社の千日詣(7月31日)が有名である。
浅草・浅草寺は、東京都内最古の寺院。本尊は聖観音(しょうかんのん)である。
浅草仲見世は、現代も海外からの観光客にも人気のようであるが、この浅草寺と仲見世のことは、以前にこのブログ12月27日「浅草仲見世記念日」でも書いたので詳しくは触れないが、浅草寺の起源は、推古天皇36年(628年)、漁師の檜前(ひのくま)兄弟が現在の隅田川)から拾い上げた観音様を、土師中知(はじの なかとみ。この人物の氏名には諸説あるらしい)が堂を設けて安置したのが始まりと言われている。645(大化元)年に勝海上人という僧により観音堂が建立されたのが始まりと言われているが、浅草寺が文献に現われるのは鎌倉時代の『吾妻鏡』が初見のようである。1590(天正18)年、 徳川家康が豊臣秀吉から関八州(武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国)を与えられ江戸に入ると、浅草寺を江戸城鎮護の祈願寺に定めたこともあり、関東でも有数の観音霊場(東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場【13番札所】。江戸三十三箇所観音霊場の1番札所)として多くの参詣者を集めるようになった。
浅草寺HPの年中行事「四万六千日」の説明によれば、”観音様の縁日は毎月「18日」と伝承されてきたが、これとは別に室町時代以降に、「欲日(功徳日=くどくにち )」と呼ばれる縁日が新たに加えられてきた。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきた。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣で」と呼ばれていたが、浅草寺では享保年間(1716~1736)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は四万六千日分(約126年分)に相当するといわれるようになった。この四万六千という数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説があるが、定説はないという。なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日の縁日と受け止められるようになった。また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」の縁日にちなんで開かれているが、この市は、芝の愛宕(あたご)神社(以下参考に記載の「東京都(港区)・愛宕神社」参照)の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようで、その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたが、やがて「四万六千日ならば、浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられている。一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~1818)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになった。ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」の縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っている。”・・という。
なにか、由緒そのものがよく理解できないお寺ではあるが、浅草寺が文献に現われる鎌倉時代の頃には観音信仰のお寺として知られるようにはなっていたのだろう。東京都(港区)・愛宕神社は、慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られた。主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと=迦遇槌命カ【かぐつちのみこと】) である。縁日には「千日詣り」があり、この日にお参りすると千日分のご利益があるといわれ、その縁日に「ほおづき市」がおこなわれていた。「ホオズキ」は、観賞用としても人気があるが、ホオズキを漢字で書く場合に「酸漿」の他に「鬼灯」とも書く。これは中国語で小さな赤い提灯の事で、ホオズキの実がこの提灯に似ている所から来ており、日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾り、死者の提灯に見立てていることが多い。この果実は、薬用としても知られ、平安時代より鎮静剤として利用されており、江戸時代には堕胎剤として利用されている。現在も咳や痰、解熱、冷え性などに効果があるとして、全草を干して煎じて飲む風習のある地方が存在するようだ。
この東京・愛宕神社の縁日「千日詣り」を「四万六千日ならば、浅草寺が本家本元」と「ほおづき市」を真似て、浅草寺でもやるようになり、今では、本家よりこちらの方が知られるようになったようだ。
愛宕神社は1日お詣りすると千日分、同じく浅草寺のほおづき市では、 四万六千日分のご利益があるといわれているので、そのことが、人気の秘密か知らないが、一度お詣りするだけで46,000日分(約126年分)・・・つまり、人間一生分のご利益があるとは、豪勢なものだ。そのことを、東京・愛宕神社のHP「ほおづき市発祥の地?」のところでは、そんなご利益があるかどうか?。「実はそれを決めるのは、皆さんの信心しかありません」・・・よと、少々皮肉っている。私も、同感である。
浅草寺が明治初年ころより「四万六千日」の縁日に「雷除」のお札を授与することになった経緯も同寺HPに書かれている。この件については、同じ東京都文京区・護国寺のHPの、「四万六千日」の行事の説明の中で、縁日の当日「雷除け」のお札を授与している旨の説明がなされているように、そもそも、観音さま(観世音菩薩)の徳を説いた「観音経」(正確には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 」には、「雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散」(経文解読:雷が太鼓のように鳴り響くとか、稲妻が光るとか、雹(ひょう)が降ってくるときでも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、たちまち静まって害をうけることはないであろう。)と言う一文があり、同寺では、お詣りする人を七難三毒あらゆる災難から守る観音さまの心を表したものとして、お札を出しているようだ。こちらの説明の方が、私は浅草寺の説明より、もっとものように思えるし、これも、護国寺の行事を真似たように思われる。(「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 」の解説文は以下参考に記載の仏教悩み相談室 「観音経」参照。)
観音さまをお祀りする、港区の愛宕神社の総本山は、京都市右京区の愛宕神社である。同・愛宕神社は、山城・丹波国境にある愛宕山(標高924メートル。ここ参照)山頂にある。
愛宕神社は京都盆地東北の比叡山と共に古くより信仰を集め、火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、愛宕山の愛宕神社は、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺を建立し、9世紀には<Aa href=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88>神仏習合修験道の道場となり、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵、奥の院(現在の若宮)に愛宕山の天狗の太郎坊を祀っていたという。
仏教では如来の次に位置する菩薩の中でも観音菩薩と共によく知られている地蔵菩薩のうち、道祖神と習合したと思われる将軍地蔵は、その名が示すように甲冑を身につけ太刀を佩き、また中には軍旗を手にして馬に跨る姿をしたものもあるなど、他の地蔵とは全く趣を異にしている。その起こりは、鎌倉後期の地蔵信仰で悪業煩悩に勝つ地蔵という意で、その名から先勝をもたらすとして戦場に出向く中世武士の信仰を集め、防火神としても民間に伝幡、古来火よけ神として信仰されきた愛宕神と結び付き、その本地仏とされるに至ったようだ。明治の神仏分離により白雲寺は廃絶されて愛宕神社となり、勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺に移されている。(現在では伊弉冉尊【イザナミニミコト】の子である火産霊【ホムスビノミコト=カグツチ】が祭神とされる。記紀神話における火の神である。)愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められた。
上方落語でも「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在するほどである。(落語の好きな人は以下参考に記載の「世紀末亭>愛宕山 」を見られると良い。)
現在でも愛宕(愛宕権現)の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。総本山・京都の愛宕神社の縁日「千日詣り」では鎮火神事が行われている。「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、飲食店の厨房や会社の茶室などにも貼られていることが多い。
(画像は、金龍山浅草寺雷門の提灯。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
愛宕信仰 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE
護国寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E5%AF%BA
浅草寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA
金龍山浅草寺のオフィシャルホームページ
http://www.senso-ji.jp/
愛宕神社 (京都市) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)
総本山・京都・愛宕神社
http://www.kyoto-atago.jp/index.html
東京都(港区)・愛宕神社
http://www.atago-jinja.com/
12月27日「浅草仲見世記念日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/b8aaed3ee187117f0768a03ee74ad995
愛宕百韻
http://www.interone.jp/~touri/kadan/tanaka_4_1.html
「本能寺の変」前夜
http://www16.plala.or.jp/amber-devil/mitsuhide08.htm
世紀末亭
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
浅草念珠堂●浅草観光こよみ7月 9・10日「四万六千日・ほおずき市」
http://www.nenjudo.co.jp/page/siman.html
真言宗豊山派 大本山 護国寺HP
http://www.gokokuji.or.jp/
仏教悩み相談室
http://enlighten.fc2web.com/index.html
世紀末亭>愛 宕 山
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo14.htm
古都奈良の名刹寺院の紹介、仏教文化財の解説など
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/