今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

囲炉裏の日

2010-01-16 | 記念日
日本記念日協会の今日の記念日を見ると、1月16日に「囲炉裏の日」 があった。由来は、”1 と16 で「いい炉」と読む語呂合わせから、囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しもうと囲炉裏の愛好家らが制定し”たものだそうだ。
「いろり」(「囲炉裏」、「居炉裏」は当て字)とは、日本の地方の伝統的な民家などにおいて床を四角に切りぬいてつくった炉(ろ)のこと。火を蓄え、暖を取り、又、物を煮炊きするのに用いられる。地炉(じろ、ちろ)ともいうが、地方により特有の形態を持つ囲炉裏は、当然のことながらその呼び名も地方により異なり、相当な数の呼び名があった(以下参考の※:囲炉裏と火鉢の道具 田中商店 囲炉裏と道具のお話参照)。
もっとも単純な形の炉は、石を火の周囲に積み上げた物で、旧石器時代には炉は屋外にしかなかったが、時代とともに屋内へ持ち込まれれるようになり、家の中の「炉」の跡は、縄文時代初期からみられ、当時の遺構にその痕跡が見られる。日本では、古墳時代前期までは、たんに地面を浅く掘って火を燃やす地床炉が用いられるケースが多かったが、それが、炉の周りを石で囲んだ石囲炉、甕(かめ)を埋め込んだ埋甕炉(うめがめろ)へと、だんだん複雑な形式へと変化した。また、住居の形が丸から四角い形に変化するにつれ、炉の位置が竪穴住居の中央から次第に端へ移っていった。
しかし、このような炉は当初、煮炊きする機能より、むしろ明かりや暖をとることが役目の中心であった。それが建物の上部構造の進歩とともに、住宅内で煮炊きする炉や(かまど)に発展していった。縄文時代には発展途上の炉と食料を貯蔵する貯蔵穴、煮炊きに必要な道具を収納する場所が同時に竪穴式住居に揃い、水を使う以外の台所機能がすでに存在していたわけで、炉は住宅の設備として最初から備えられたものであり、当時の人にとってどれだけ火が重要だったかがわかる。
「いろり」を漢字で書く場合に「裏」の代わりに「裡」を使い「囲炉裡」ともか書く。炉を囲んで座るとか居るとかで「囲炉」また「居炉」の字を充てるのは、良く分るが、それに「裏」「裡」の字をつけているのは、「裏」「裡」はいずれも、表に対して裏を表す言葉であり、又、「秘密裏(裡)」等の言葉にもあるように、字音語の下に付いてその状態・条件にあることを表す語でもある。
火や炉に神性を認めて、それを家の守護神とする信仰は古くから世界にひろく分布していることでもあり、炉の中は、神の住む神聖な世界、この世とは違う世界を表す意味で裏(裡)という字を当てたという説がある。
長い歴史のなかで、囲炉裏の四方には、そこに居るべき人の座が決まっていた。先ず、家の主・戸主の座だが、土間の上がり口から最も遠く(奥)の場所で、土間に面したヨコザ(横座)と言う位置、つまり、土間の方に向かって囲炉裏を前にして座るからであろう。ほぼ全国的な名になっているようだが、この上座とは言わずにヨコザと呼ばれる位置に戸主が座るのは、囲炉裏の火の管理者としての主が座る場所、言いかえれば、火の神の司祭としての家長が座る神聖な席とする決まりが厳密に守られてきたものである(以下参考の※:「火の神」参照)。このことから、多くの場合、ヨコザは神棚や仏壇の前にあり、戸主はこれを背にして座ることになる。その向かい側、つまり家の表口に近い土間側は薪を置くキジリ(木尻)と呼ばれ、使用人や年少者また若い嫁が座る場である。若い嫁の席がこことされたのは嫁を下人とみたのではなく、昔は、若い女にはの日(月経など)が多いので、神や仏から遠ざけたようだ。残る左右の席のうち、座敷に近い方がカカザであり、家の火の管理者、つまり、カカザの名のとおり家長の奥方が座る場で、神聖な火を絶やさないように守る巫女の座とされたのである。火の神を祭るいろりの火は絶やしてはならぬとされていたので、燃料となる木は途切れることのないよう常に用意され、主婦は、寝るときに火種をいろりの灰の中に埋め、埋火(うずみび)にして、翌朝まで火種を守ったようだ。火の管理はそのころの主婦の大切な仕事だったのである。その向かいが、客座、オトコザ、あるいは向こう座と呼ばれ、客の座る場所だった。
原始時代の生活は地炉(じろ)の火を囲んでの一家団欒であったが、昔は火を起こすことが困難をきわめた為、炉はなににもまして火種を保存する大切な場所であり、現在でも地方の民家に残る囲炉裏は、「人の居場所」「火所」を意味しているようだ。「いろり」の語尾の「り」はそのような機能を「伝える行為」、つまり、「言い伝え」の意でもあるのだろう。
囲炉裏は炊事専門のかまど、暖を取るための属人的な火鉢とともに、日本の伝統家屋の火の座を構成したが、冬期に積雪の多い地方の伝統的な農家などでは大きな広間を中心に囲炉裏は庭と台所の境界に接して設けられ、庭や台所から直接、土足のままでも使えるように作られており、その広間に接して、座敷や寝所も配置された(以下参考の※:「住居の原型【PDF】」参照)。そして、食時・家族の団らん又、交際のための場ともなる囲炉裏のある広間を中心にすべての炊事や調理ができるよう、炉や流し、竈が設けられている場合が多いのに対し、気候的に暖かい南西日本では、火をできるだけ起居の場から遠ざけるために別棟に台所を設け調理用のかまど(竈)を設けられるようになった。
「泥草鞋踏み入れて其処に酒をわかすこの国の囲炉裏なつかしきかな」
これは、明治から昭和初期の旅と酒を愛した歌人若山牧水(本名:繁)の「木枯紀行」の中で詠まれている歌である(以下参考の※:「作家別作品リスト:No.162作家名: 若山 牧水」の木枯紀行を参照)。
牧水は、早稲田大学文学部英文学科を卒業後、東京で文学への道を志す。1912年(明治45年)、歌人・太田水穂の親族である長野出身の太田喜志子と結婚後、1920年(大正9)年沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住。数々の作品を残しているが、1923(大正12)年10月末から11月中旬にかけて、御殿場から山梨、長野を巡り、さらに千曲川上流から十文字峠を越えて、栃本、秩父へと抜けた17日間の旅に出た時の様子を日付入りの紀行文としてまとめたものが、「木枯紀行」である。
牧水は酒が大好きで、旅先では、地元の名物料理や名酒を探して飲み食いしていたようであるが、この旅でも地元料理を楽しみ、飲食店の亭主や宿屋の亭主と、囲爐裏の焚火を囲みながら酒を大いに飲んで楽しんでいる様子が良く描かれている。
「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
牧水の有名な代表歌の1つであるが、この歌は、牧水が早稲田大学英文学科を卒業したと同時に、出版(1908年【明治41年】)した処女歌集『海の声』に収められている。この歌は、同歌集の中の“旅ゆきてうたへる歌をつぎにまとめたり 思ひ出にたよりよかれとて”・・・として中国地方を巡り歩いた時の、10首の中の1つとして、
「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く」の歌に続いて書かれている。
この「けふもまた」の歌は、“今日もまた、巡礼者が鉦(かね)を鳴らすように、私もこころの鉦を鳴らし鳴らししながら、どこまでもあこがれの旅を続けている。”・・・と言った意味であるが、以下参考の※:「養育ネットひむか:若山牧水」のなかでこの歌の「あくがれ」についての解説に、“「あくがれ」の語源は「在所」を「離る」、つまり、魂が今在るところを何かに誘われ離れ去って行くという意味であった。そこから「思いこがれる」という今日の意味が生れたが、牧水はその言葉本来の意味で「あくがれ」の歌人だった。「あくがれ」の心を育てたのは生れ故郷の東郷町坪谷であり、牧水は坪谷の山や川でよく遊んだ。・・・その坪谷を十二分に愛しつつ、牧水の心は一方広い世界への「あくがれ」に満ちていた。遠くのものを見て胸をときめかす牧水の性格は一生涯変わることはなかった。先に挙げた、有名な「幾山河」の1首も青年牧水の「あくがれ」の歌と言える。”・・・とある。
先に挙げた有名な「幾山河」の歌は1907(明治40)年、牧水が早稲田大学英文科学生の時に郷里の宮崎への帰省の途次、岡山県から広島県への国境二本松峠を越える際その傍にあった旅館を兼ねた茶店『熊谷屋』に泊まったときに詠んだ歌だそうだ。
このときの中国地方巡りより1年前の1906(明治39)年、牧水は、神戸の友人宅に立ち寄ったときとに園田小枝子という美しい女性に出会ったが、彼女は複雑な家庭環境にあったようであり、彼女は、若くしてすでに結婚をしていたようだ。そんな、彼女に、牧水は一目ぼれしていたと言われている。牧水が歩いた当時は、恐らく幾山河越えなければならぬ難関であったらしい二本松峠を越える時の牧水の心の中は恋する女性のことで一杯ではなかったろうか。
彼女との間でどのような話の遣り取りがあったか知らないが、牧水は1908(明治40)年の暮れから翌1909(明治41)年正月にかけて、彼女と房総半島の南端、千葉県安房根本の海岸で新春を迎え、10日余り滞在をしていたという。その時、相聞歌(恋の歌)「安房にて」49首が、処女歌集『海の声』の中に含まれている。その連作には、息も詰まるよう激しい恋の模様が窺える(以下参考の※:「海の声:若山牧水【明治41年刊。初版本】」参照)。しかし、5年にあまる恋の語らいの後小枝子は牧水のもとを去って行くことになるのだが、この彼女との出会いが牧水の歌人としての生涯を大きく変えたようだ。彼女への恋慕が牧水を山野や渓谷へ導くようになり、そして実らぬ恋の果てに牧水は酒浸りの日々を送るようになったが、その苦悶に満ちた牧水の恋心こそ、牧水の創作活動の大きなエネルーギーとなっていたようだ。その後、太田喜志子と結婚。良妻を得た牧水は、心おきなく旅と酒を愉しみ歌を詠みつづけることとなったが、1927(昭和2)年、妻と共に朝鮮へ揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島金剛山などを巡る(朝鮮での様子は以下参考の※:「【朝鮮と日本の詩人-44-】若山牧水」参照) が、体調を崩し帰国、翌1928(昭和3)年夏頃より病臥し、自宅で死去。享年43歳の若さであった。死因は酒の飲みすぎが原因での、肝臓悪化であった。
ちなみに大学を出てからの牧水の旅は1433日間、死ぬまでの5日に1日は旅の空にあったというが、牧水が残した歌の中には、「幾山河」の歌の中にもある「国」という言葉が非常に多く出てくるが、その国は、信濃の国とか豊後の国というときの国であり、それは、牧水の記憶にずっと残っている故郷の山河であり、山川草木であろう。
そしてまた、先にも紹介した「泥草鞋踏み入れて其処に酒をわかすこの国の囲炉裏なつかしきかな」の歌にも見られる囲炉裏のある民家での生活を想像してのものだろうと思う。、
寒い冬の食べ物は・・?と言うと日本では「鍋物」である。「鍋物」というと、家族が、囲炉裏や、食卓で、同じ鍋を囲んで和気藹々と調理しながら食べている風景が思い浮かべられ、これこそかっての日本の食事の原風景であるが、今日誰もが想像するようなおでんやすき焼き、ちり鍋などが広く普及し始めたのは、以外に歴史は浅く江戸も末期にさしかかる頃になってからのことである。だが、その原点は暖をとるために囲炉裏を囲んでの食時などが始まりではある。
現在の日本のように豊富な種類の鍋物のある国は世界の中でも日本だけだと言う。囲炉裏以来引き継がれた家族団欒そのものが戦後の住環境や生活環境の変化などとともに衰退しつつあるのを見ていると、牧水ではないが、私の家には囲炉裏はなかったが、長火鉢や炬燵などを取り囲んで家族で食時をしていた子供時代の生活が非常に懐かしく思い出された。
若山牧水については以前にこのブログ9月17日「牧水忌」歌人・若山牧水の忌日また、10月1日「日本酒の日」でも書いた。また、以下参考の※:「牧水の風景」が詳しく書いているので参考になるよ。
(画像は囲炉裏。Wikipediaより)
参考:
※:火の神 ひのかみ
http://www.tabiken.com/history/doc/P/P144C100.HTM
※:収蔵資料のご紹介-埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.saimaibun.or.jp/database/data/95-11.html
※:住居の原型【PDF】
http://www.takumikoubou.jp/minkasaisei/kohoku-genkei.pdf#search='広間型住居'
※:作家別作品リスト:No.162作家名: 若山 牧水
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person162.html#sakuhin_list_1
※:牧水の風景 
http://www.kodawari.co.jp/bokusui/bokusuinohukei.html
※:養育ネットひむか:若山牧水
http://himuka.miyazaki-c.ed.jp/db/kyouzai/public/wakayama/boku/index.htm
※:【朝鮮と日本の詩人-44-】若山牧水
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1126-00003.htm
※:海の声:若山牧水【明治41年刊。初版本】
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/akiko/umi.html
かまど - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%83
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
若山牧水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B1%B1%E7%89%A7%E6%B0%B4
縄文時代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
工房釜神 【釜神の伝説】
http://www.kamagami.sakura.ne.jp/densetu.htm
幾山河の碑
http://www.geocities.jp/ushikunuma/prvt/okayama/tessei.htm
正津勉ゼミのサイト、B-semi>Library>■恋歌 恋句>34. 若山牧水
http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiku/34wakayama.htm
若山牧水 - ウラ・アオゾラブンコ
http://uraaozora.jpn.org/wakayama.html
若山牧水(東郷町若山牧水顕彰会)
http://www.bokusui.jp/index.html
牧 水 の 風 景 
http://www.kodawari.co.jp/bokusui/bokusuinohukei.html
囲炉裏と火鉢の道具 田中商店 囲炉裏と道具のお話
http://www.aikis.or.jp/~t-hiro/hibachi/ohanashi.html