今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「敬老の日」(Part2)

2010-09-20 | 行事
9月20日(9月第3月曜日)は「敬老の日」である。
2010年度中に全国で100歳の誕生日を迎える高齢者が9月1日時点で過去最高の2万3千269人(前年度比1666人増)に上ったことが14日、「敬老の日」を前にした厚生労働省の調査で分かったという。100歳を迎えられた方には心から「おめでとう」といいたい。
しかし、全国で高齢者の所在不明が問題となる中、同省が、全国の自治体に100歳の高齢者の存命確認を要請したところ、この中10人については住民票は残っているが、所在が確認できなかったことも判明したという。この10人は、どうなっているのだろか?
世界的に経済が低迷している中、経済的に恵まれていない人や病気などで身体が自由にならない人達、又、そのようなお年寄りたちを支えておられる方達のご苦労を考えると本当に大変だろうな~と、自分の将来を重ねあわせながらつくづくと考えさせられる。
敬老の日は、日本の国民の祝日の1日である。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。兵庫県の一地方で行なわれていた「としよりの日」が始まりで「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期の気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いたものが1950(昭和25)年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がったが、「としより」という表現は良くないということで1964(昭和39)年に「老人の日」と改称され、1966(昭和41)年に国民の祝日「敬老の日」となった。新祝日を記念して日本交通公社(現:JTB )が、全国で180コースの敬老旅行を計画。東京では都内在住の80歳以上の夫婦16組を1泊2日の伊勢参りの旅に無料招待した。参加した32人の歳の合計は2651歳で、平均82,8歳。元気良く東海道新幹線で旅立った。冒頭の画像及びここに引用の文は、朝日クロニクル「週間20世紀」(1966年)からのものである。この当時の微笑ましいニュースではある。
「敬老の日」のことは、以前にこのブログで書いた(以下参考の※1参照)ので、このことを書くつもりはなかったのだが、今年になって、100歳以上の方の所在不明や、戸籍上は生きていることにはなっているものの実際には生存しておらず、介護疲れや年金目当てに実の子供達によって、何年も前に殺されていたなどという哀しいニュースが連日報じられている。又、所在のわからない高齢者が全国で相次いで確認されているなか、今年の8月25日朝日新聞により、大阪府東大阪市では、120歳以上の高齢者228人が戸籍上で生存している状態になっていた。その最高齢は江戸時代の1861(文久元)年生まれの149歳であると発表されたあと、山口県防府市で坂本龍馬より12歳年上の186歳の人がいた。いずれも住所や性別不明であるなどというとんでもないニュースなどを聞くにつけ、又、どうしても書かずにはいられなくなり、Part2として書くことにした。
今回再度、冒頭の画像を借用した朝日クロニクル「週間20世紀」を見直していると、1967(昭和42)年版(36P)に、「敬老の日」に関連する以下のようなことが記載されていた。
1967(昭和42)年2月11日は、初めての建国記念日(戦前で云えば「紀元節」)に当たる。この祝日を巡っては賛否両論が続出。歴史的にも曖昧な上に軍国主義復活を憂える雰囲気もあり、特に学校現場では、日教組からの突き上げもあり、各学校の校長はこの祝日を生徒にどのように説明してよいか相当困惑したようだ。もとはといえば、1946(昭和21)年3月、当時の吉田茂首相が「紀元節」を復活したいと公式に表明した事が始まり。以来8回ほど国会に提案されたが結局実現しないままだった。しかし、1968(昭和43)年は、明治維新100年にあたることから、佐藤栄作首相は、建国記念日制定に積極的になり、1966(昭和41)年3月に、敬老の日、体育の日とのセットで、建国記念日を新設する「国民の祝日法改正案」を国会に提出。6月に敬老の日と体育の日が公布され、建国記念の日だけは、紆余曲折を経て、12月に政令(昭和41年政令第376号)として公布された。・・・と。
要するに建国記念日新設の為に敬老の日と体育の日との3点セットで新設して、ごちゃごちゃっと祝日法を改正してしまったということであり、このような経緯を知ってしまうと、祝日法の趣旨である「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを、どこまで思って「敬老の日」を設置してくれたのか・・・・?
昨今のマスコミで伝えられるお年寄りの悲しい報道などと照らし合わせていると非常に疑問を感じると共に、日本の政治家がやることなどそんなものかな~と変に納得したりするのが同じ日本国民として哀しく思う。
2003(平成15)年までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001(平成13)年の祝日法改正いわゆるハッピーマンデー制度の適用によって、2004(平成16)年からは9月第3月曜日となった。ハッピーマンデー制度とは、週休2日制が定着した今日、月曜日を休日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休にし余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定されたもの。つまり、余暇を旅行などで過ごすには連休の方が良いだろう・・・と言うことで制定されたものである。思い起せば、今のような核家族化が進行し核家族と言う言葉が流行語となったのは、「敬老の日」が新設された翌・1967(昭和42)年のことであった。離れて暮らしている田舎のおじさんやおばあさんの為に何かしてやろう・・・などと気のきいたことをしている人がどの位いるであろうか?
又、介護老人保健施設に入所している要介護者は、大部分が65歳以上の敬老対象となるお年寄りであるが、ハッピーマンデー制度を利用して、遠くはなれた自分の家庭に帰って年老いた家族との談笑をしたり、施設などに入っている家族への面会などが増えたとなどという話などは余り耳にしたことはない。皮肉なことに、この祝日法の変更はお遊びの大好きな若者にとっては都合の良いものだろうが、お年寄りにとって余り、幸せなことではなかったのではないか。
この敬老の日を第3月曜日に移すにあたって、高齢者団体から反発が相次いだため、2001(平成13)年に老人福祉法第5条を改正して9月15日を老人の日、同日より1週間を老人週間とした。その老人福祉法第5条1項には、「国民の間に広く老人福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すため、老人の日及び老人週間を設ける。」・・・と記載されており、つまり、老人には人に頼らず自分の生活の向上は自分でするよう促すための日と1週間の期間が設けられたのだ。しかし、残念ながら、長年家のため、子供たちのために一生懸命に働いてきたお年寄りへの感謝の気持ちや敬老の精神、又、核家族化による家族制度の崩壊などによって、年寄夫婦だけ又1人暮らしの孤独な暮らしをしている老人たちが増加しているがこのような老人をどのように慰めてあげようかといったいたわりなどはどこにも見られない。単に高齢者の経済的な側面や肉体的衰えに対してどうフォローしようか・・・といった物理的な面のみが中心になっている。
老人福祉法でいう老人とは、満65歳以上の人を指し、国連の世界保健機関 (WHO) の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としている。
1985(昭和60)年9月14日、65歳以上の高齢者が全人口の1割を突破したと総務庁が発表した。・・・このことも以前にこのブログで書いた(以下参考の※2参照)。
直近では、2008(平成20)年9月12日厚生労働省発表の、同年9月1日現在の100歳以上の高齢者数は36、276人であった。100歳以上の高齢者の数は、年々急速に増えており、老人福祉法が制定された1963(昭和38)年には全国で153人であったが、1981(昭和56)年には1千人、1998(平成10)年には1万人を超え、2007(平成19)年は3万人を突破、2008(平成20)年は36,276人(前年比+3,981人)となった。また、100歳以上の高齢者36,276人のうち、女性が31,213人で、全体の約86%を占めているとある。以下参考の※3参照)。
今年(2010年)5月10日世界保健機関(WHO)が、発表した「World Health Statistics 2010(世界保健統計 2010)」によると、日本人の平均寿命は、83歳(男女平均。男性は、79歳=4 位、女性が86歳=1位)で193カ国中1位である。(寿命の統計は、2008年時点のもの)。以下参考の※4:平均寿命ランキング・国別順位 - 世界保健機関(WHO)世界保健統計(2010年)参照。
又、以下参考の※5:「図録主要先進国の平均寿命の推移」を見ると、1950年代には主要先進国中、最低だった日本の平均寿命が、1970年代~80年代には総て抜き去り、世界一に躍り出て、以来世界一を維持していることになる。これには、医学の進歩の影響のみならず、日本の場合、国民皆保険制度の普及や日本的食生活なども長寿の要因としてあげられており、結構な事である。
しかし、昨今の日本の経済状況の低迷を見ていると、高齢者のための医療制度など何処まで維持していけるかかなり不安があり、この長寿実績の継続維持も難しいのではないかと考える。
現在の高齢者には、長年こつこつと働き、相当の資産を持っている人も多いが、悲惨な戦争による苦しい生活も経験し、戦後の復興期には、サラリーマンなど毎日毎日残業が続く中、ろくろく休みも取れずに働き、まともに遊ぶこともせず、食べるものも始末してお金を溜めてきたのは、ほとんどの人が、老後に、贅沢をしようとかいったことではなく、過去の辛い経験の中でお金の苦労を厭と言うほどしてきているだけに、不安な将来の医療や生活、災害など非常時の備えをしてきたものだろう。しかし、逆に生活保護を受けている人よりも少ない年金で細々とした生活をしている人が多いことも留意が必要。低所得であってもこのような古い年代の人達は愚痴も言わずにその日その日をなんとか過ごしているのである。
バブルが弾けて以降、最近の経済不況が続く中、将来に不安を抱えている若者には、医療・年金などの福祉に対する負担が重くのしかかっており、そのような少々の蓄えをしている高齢者への一種の妬みのようなものが芽生えている人もいるのでないかと言う気もする。
かって、道徳的で、老人を尊敬し優しく面倒もよくみていた我が国では、最近、老人などの弱者を騙す詐欺事件や虐待、介護の世話から逃れるため、また、終いには年金などを目当てに実の親まで殺すといった者まで現れるというなんとも哀れな、情けない国になってしまった。
これらの問題を基本的に解決する為には、若いうちから、親や子、家庭を大切にし、真面目にしっかりと働けば、そのような人(国民)は、「亡くなるまで国が守りますよ」・・・といった将来への安心が約束される国へ改造しなければならないだろう。そうでないと、少子高齢化問題(以下参考の※6参照)も、痛ましい犯罪(以下参考の※7 など参照)もなくならないだろうし、結局若者もいつかは、孤独な辛い老年期を迎えなければいけないことになるだろう。
教育や医療費のこと、安心して暮らせる年金や介護が約束されれば、国民は、そのために必要な税の負担にも応じるだろうし、貯金ばかりしなくても安心して、収入の多くを消費に回すようになるだろう。
かって、日本が経済的にも精神的にも豊かだった時代は、1億総中産階級といわれる時代だったと思うが、今はどんどんと弱者と強者、高所得者と低所得者の2階層へと分離していっている。
昔の儒教修身の教育が今の教育に必要などとは言わないが、世界の中でも仏教やキリスト教などどんな宗教でも、それを信じている人達の国では、自分を生み育ててくれた親やその親の親であるおじさんやおばあさんを大切にしようなどと言うことは当然のこととされているはずである。無神論者が多数を占めるといわれる日本では、戦後、新しい教育の中で戦前の規範であった道徳などについての教育もおざなりにされていた嫌いがあるが、「老人を敬愛」などと言っても、かって老人が尊ばれた時代の老人の知識・教養も、老人などから直接学ばなければならないことが少なくなった今の時代、新しい視点からの倫理観や道徳観を共有するようにしなければいけないだろう。同時に、昔から有名な「貧すれば鈍す」ということわざがあるが、これは孟子の「梁上編」にある言葉「恒産無くして恒心有るは、ただ士のみ能(よ)くすとなす。民のごときは、則(すなわ)ち、恒産無ければ因(よ)って恒心無し」を日本風に修正した格言。やはりある程度生活が出来るだけの「安定した財産がないと、心も動揺しがちで、安定した状態(精神)を保つことはできないもの」であることを云っている。現代社会のように、生活に困る状態の人が多くなってくると色々な問題が起こってくるのは必然ともいえる。政治家には老子のこの教を肝に銘じて良い国づくり・政治をして欲しいものだ(老子については、以下参考の※8や※9を参照)。
お年寄りのことについては 、このブログで前に、2月2日の記念日「>おじいさんの日 」について書いたので、興味があったらそこも見てください。)
(冒頭の画像及び文朝日クロニクル「週間20世紀」1966年より)

「敬老の日」(Part2):参考 へ

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2 コメント

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老人 (ゆうさん)
2010-09-22 07:34:18
よーさん、お早うさんです。
僕は国民年金ですから生活保護より少ない年金と僅かの蓄えで生活しています。蓄えも間もなく底をつくでしょうから大変です。
老人会から加入を勧誘されていますが、入る気はしません。しかし、古傷とは言え、腰、膝が痛むことが多くなったので衰えを感じています。
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大変な時代になりましたね (よーさん)
2010-09-23 10:44:33
ゆうさんこんちは~。
本当に住みにくい世の中になってしまいましたね。
戦後国民一丸となって働き急成長し、ジャパンアズNo1と言われる経済大国にもなった国が、どうしてこんなことに成ってしまったのだろう。
そこには、戦後の日本の教育問題と、官僚による税金の食いつぶしが最大の問題と思っています。又、そのような問題になんら適切な対応をしてこなかった自民党政権・・。しかし、そんな政治家を選んだのは国民であり、結局は、国民の政治オンチと政治への無関心がこういう国を作ってきたということになるのでしょうね。
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