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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

京都~大阪~神戸の鉄道が正式開業した日

2007-02-05 | 歴史
1877(明治10)年の今日(2月5)日は、 東海道線の京都~大阪~神戸の鉄道が正式開業した日。(開業式を挙行)
東海道本線はJR東京駅から静岡、名古屋、京都、大阪などを通って神戸駅までの589.5キロメートルまでを結ぶ鉄道路線のことであるが、現在の東海道本線にあたる新橋駅~神戸駅間が全通したのは、京都神戸間が開通した2年後の1889(明治22)年7月1日のことである。
当時アジアでは日本やタイ王国等の一部を除いて欧米列強諸国による植民地化が進んでいた。明治政府ではそれを回避するために富国強兵を推し進めて近代国家を整備することを掲げていたが、明治初年においてその動きは、ともすればすくなからぬ日本人の反感を買うおそれがあった。そこで、日本人に西洋を範とした近代化を目に見える形とするため、大隈重信伊藤博文らは鉄道の建設を行う事にした。また、元々日本では海上交通(海運)が栄えていたものの、貨物・人員の輸送量が増えていたため、陸上交通においても効率化を図る必要があるとされたことも、追い風になった。
当初は東京と京都・大阪・神戸の間、すなわち日本の屋台骨となる三府を結ぶ路線と、日本海側の貿易都市である敦賀へ米原から分岐して至る路線を敷設しようとしていた。
しかし、この頃は、版籍奉還~廃藩置県に伴い、政府が約2400万両(現在の価値でおよそ5600億円)もの各藩負債を肩代わりすることになったため、建設予算が下りなかった。そのため、民間からの資本を入れてでも建設をおこなうべきだという声が出たが、実際に鉄道を見せないことにはそれすら進まないと考え、とりあえずモデルケースとなる区間として、首都東京と港がある横浜の間、29kmの敷設を行う事が1869(明治2)年に決定し、品川駅~横浜駅(現・桜木町駅)までの仮開業をしたのが、1872(明治5)年6月12日(太陽暦・この年12月まで日本は旧暦を採用していて、それに従うと5月7日)であり、10月15日(旧暦だと9月12日)、新橋駅(後の汐留駅)~横浜駅(現・桜木町駅)が正式開業した。 開業式は9月12日、新装の新橋・横浜両駅で行われたが、すでに、その2ヶ月前に、西国巡幸の帰途、横浜から品川まで仮営業中のこの鉄道を利用したことのある明治天皇は、式にあたって「我国ノ富盛ヲ期シ百官万民ノ為メニ之ヲ祝ス」と述べ、富国の武器としての鉄道への大きな期待を表明したという。(週間朝日百科「日本の歴史)。
当時の人々は、この鉄道を「陸蒸気(おかじょうき)」と呼んだが、当時、汽船を「蒸気」と読んでいたので、その「蒸気」をつかって岡を走るから「陸蒸気」といったのだろう。当時の運賃はかなり高かったが、新橋ー横浜間で、下等が当時の汽船、中等が人力車運賃を少し上回る金額だったようであるが、新橋ー横浜間の片道所要時間が53分とそれまでの、徒歩で約10時間、人力車で6~7時間、汽船で3-4時間に比べて画期的な速さであったことから乗車率は非常にたかったようだ。しかも、時間の短縮だけでなく、翌年から貨物の輸送もされるようになり、その文明の利器が改めて見直されるが、ただ、財政資金の不足からなかなか次の鉄道建設ができなかった。
新橋~横浜間の開業までの詳しいことは、日本の鉄道開業を参照すると良い。
明治政府によって、鉄道をつくることが決められたのは1870(明治3)年のことであった。
東京と京都を結ぶ幹線鉄道の建設は、統一国家の象徴として当初から構想されていたものであるが、その経路は、水陸交通に恵まれた東海道よりも、開発の遅れている中仙道をという意見に加え、外敵に対する防衛上の理由から軍部の意向もあって、中山道ルートが先行していた。しかし、中部山岳地帯への敷設は予想以上のが困難なことから東海道ルートに変更された。
1874(明治7)年5月11日、日本で2番目の鉄道として、 大阪駅~神戸駅間が開業した。開業当初の途中駅は西ノ宮駅と三ノ宮駅だけ。当時の三ノ宮駅は今の元町駅の場所にあり、神戸駅から僅か1.5キロほどの寂しいところであったが、居留地が近かったため設けられたものであろう。翌月に住吉と神埼(現尼崎)が開業した。神戸~旧三ノ宮間は当初から複線(日本初の複線)であり、他の区間は単線で、すべて地上に敷設された。天井川の石屋川、住吉川、芦屋川は川底トンネルを掘った。石屋川の川底トンネルは)日本で最初の鉄道トンネルとしてその名を留めている。 このときの神戸駅舎は英国風レンガ造り平屋建てであった。
この建設には、イギリスで募集した外債の一部をあてたが足りず政府資金で補った。そして、大阪から京都に線路を伸ばすのに3年かかり、その先は何時になるか分からない状態であった。それでも、
1874(明治7年)年6月1日 神崎駅(現在の尼崎駅)、住吉駅開業。
1876(明治9)年7月26日 大阪駅~向日町駅間開業。
1876(明治9)年7月28日 高槻駅開業。
1876(明治9)年8月9日 吹田駅、茨木駅、山崎駅開業。
1876(明治9)年9月5日 向日町~大宮通仮停車場(現在の梅小路駅付近)間開業。
1876(明治9)年12月1日 新橋駅(現・廃止)~品川駅間複線化。
そして、1877(明治10)年2月5日、向日町駅~京都駅間開業。大宮通仮停車場を廃止。翌6日 神戸駅から京都駅まで全線が開通したことを記念して明治天皇を迎えて鉄道開通式が行われた。
お召列車は鉄道開業の日、1872(明治5)年10月14日(旧暦の9月12日)に鉄道開業式で運転されたが、その時は天皇陛下専用の御料車ではなく、一般客用の上等客車を改造したものが使用されていた。その後、技術も向上し、このときには、すばらしい車両が完成し鉄道開通式に使われた。その時の車両は、以下で見ることができる。
「鉄道博物館 展示資料紹介 [初代1号御料車(鉄道記念物・重要文化財) ↓
http://www.railway-museum.jp/exhibition/151.html
その後の建設は、私設鉄道(日本鉄道会社)に資金を集めさせ、建設・営業は鉄道局が負うといった形で、進められた。
1889(明治22)年に東海道本線が全通すると、神戸鉄道局(後の大阪鉄道管理局)が置かれ、当時民営だった山陽鉄道(現在の山陽本線)ともつながった。
鉄道が、最初に、開通したのが、横浜ー新橋であり、2番目に開通したのが、神戸ー大阪であるように、日本の鉄道は、当時の日本の代表港、横浜や神戸港と都市を結ぶものであった。それまでの海路を利用した旅から鉄道を利用した旅への転換となっていく。
東海道本線は、東海道という名前の割にはあまり海岸を走っておらず、海の景色が見られる区間は平塚・国府津~熱海・三島・由比・浜名湖・蒲郡のそれぞれ周囲と意外と限られている。東海道と言う名称は江戸時代の五街道である旧東海道に沿って敷設されたところから取られている。海岸線から離れた所に敷設されているのは、軍部が外国艦隊による鉄道への艦砲射撃を恐れたからという説がある。
一、  汽笛一聲新橋を はや我汽車は離れたり
六二、神戸は五港の一つにて 集まる汽船の数々は 
    亜米利加(アメリカ)、露西支亜(ロシヤ)、支那(シナ)、印度(インド) 瀬戸内がよひも交じりたり
六三、磯にながめ晴れわたる 和田のみさきを控えつつ
    山には絶えず布引の 滝見に人ものぼりゆく
六四、七度うまれて君が代を まもるといひし楠公の
    いしぶみ高き湊川 ながれて世々の人ぞ知る
六五、おもえば夢か時のまに 五十三次はしりきて 
    神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩
「地理教育 鉄道唱歌」の歌詞である。1900(明治33)年にできた有名な「鉄道唱歌」では、神戸駅は東海道本線の終点であったことが唱われている。そして、神戸で1泊し、山陽本線に乗り継ぎしたのであった。
(懐かしい鉄道唱歌のことは、私のHPよーさんの我楽多部屋の「歌・唄・詩」の中の「鉄道唱歌」を見てください。)
(画像は、オレンジカード「西京神戸之間鉄道開業式」の図。元画は三代広重(歌川重政)が当時(明治10年)の模様を描いた『西京神戸之間鉄道開業式・諸民拝見之図(37.2×24.8cm(1枚) 3枚続』明治10年(1877)2月 )
参考:
東海道本線 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%AC%E7%B7%9A
鉄道博物館 展示資料紹介 [初代1号御料車(鉄道記念物・重要文化財) 、
http://www.railway-museum.jp/exhibition/151.html
鉄道の歴史J/R東日本旅客鉄道
http://www.jreast.co.jp/history/index.html
J/R西日本旅客鉄道
http://www.westjr.co.jp/
街の駅再発見 近畿の駅100選■JR神戸駅《大阪日日新聞)
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/machinoeki/machi0304281.html
神戸の歴史 
http://www.geocities.jp/yousan02/kobenorekisi.htm
神戸市文書館 地図 中央区
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/map/cyuuouku59_69.html
近代神戸の足跡 近代神戸の足跡ファイルタイプ: HTMLバージョン  
http://72.14.235.104/search?q=cache:tOSkOhTpzaoJ:www.lib.kobe-u.ac.jp/tenjikai/2005catalog/catalog.pdf+%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%80%80%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%A7%85%E3%80%80%E5%BD%B9%E5%89%B2&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=6


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2 コメント

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レールも仲間に入れて欲しい (TAKATAKATAKA)
2007-02-09 21:03:02
この記事に書かれてる路線で使用された?鉄道用のレールを紹介してます。もっとも掘り出した物の写真ですが開業時に合致するものがありますよ。この年代のレールが日本での製鐵産業に大きく寄与してます。今月の21日”その時歴史は動いた、官営八幡製鐵所”でもこれらの中から数本出演いたします。鉄道は読んで字の如く鉄の道、レールも忘れないで。
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古レール (よーさん)
2007-02-10 09:28:05
TAKATAKATAKAさん、書き込み有り難う!
HP見せてもらいました。
古レール 研究されているんですね。
ある一点に特化したHPというのはいいものですね。
これからも頑張ってくださいね。

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