1991(平成3)年の今日・3月16日、JR宇高連絡船(宇野~高松)が正式に廃止され、名実ともに81年の航路の歴史に幕を閉じた日である。
宇高連絡船とは、日本国有鉄道(国鉄)および、国鉄分割民営化によって1987(昭和62)年4月1日に発足した四国旅客鉄道(JR四国)により継承されていた鉄道連絡船のことであり、岡山県玉野市の宇野線宇野駅と香川県高松市の予讃線・高徳線高松駅との間を運航していた。
鉄道連絡船とは、鉄道輸送において、本土・離島連絡など海洋、湖沼などの水面によって隔絶され鉄道軌道を設置することが困難である場合に、両端を連絡する目的で当該水面上に設けられた航路に就航する船、また、日本では、旧国鉄が運航した航路全般を指すことが多い。
四国島内での最初の鉄道は1888(明治21)年に伊予鉄道が松山(現松山市)-三津間で開業。続いて、翌・1889(明治22)年に、讃岐鉄道が丸亀-琴平間を開業した。これが現在のJR四国線の始まりとなる。その頃、現在の山陽本線となる路線を建設していた山陽鉄道(1887年設立)が、1888(明治21)年11月1日に兵庫 - 明石間を開通した後、12月23日には、明石 - 姫路間開通。翌・1889(明治22)年9月1日に神戸 - 兵庫間を開通させた後、神戸 から西へ西へと延伸し、1901(明治34)年5月27日には、山口県の馬関(現在の下関)までを開通し、神戸- 馬関間の路線が全通している。その間、1891(明治24)年3月18日には岡山駅が開業していた。
讃岐鉄道は1897(明治30)年に高松まで延長。1900(明治33)年、4月22日高松築港落成式が挙行されている。同4月、讃岐汽船株式会社が設立され、航路は苗羽村(香川県小豆郡にあった村)を起点に岡山市京橋・小豆島下村・池田・土庄・豊島・高松港・岡山県犬島・九幡・三幡・岡山市京橋を船玉丸(72トン)が就航(以下参考の※:地域の本棚参照)すると、のちの宇高連絡船から瀬戸大橋線(正式名称:本四備讃線)に繋がる本四間連絡の始まりとなる岡山-高松間の讃岐汽船航路との連絡運輸を開始した。ただし、当初は鉄道会社による船舶運航はない。
1903(明治36)年3月 、山陽鉄道は、山陽汽船株式会社を設立。讃岐鉄道株式会社と共同で岡山-高松間に船車連絡輸送営業を開始した。これが、岡山-高松間の連絡船の始まりである。 又、山陽鉄道は、1904(明治37)年12月には讃岐鉄道から事業譲渡を受け(併合)、営業範囲を拡大。この時点でこの航路の計画を立てていたが、実際に、実現したのは1906(明治39)年、鉄道国有法に基づき山陽鉄道が、国有化され、1910(明治43)年6月12日 、宇野線 (岡山 - 宇野間)が開業し、岡山~高松の航路と尾道~多度津の航路を統合して宇高連絡船の運航が開始されてからである。
以後、宇高連絡船は、本州と四国を結ぶ幹線交通路として重用されてきた。そして、1972年(昭和47年)3月15日に「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと山陽新幹線が岡山駅まで開業したことにより、利用者も増え、同年11月8日からは急行便としてホーバークラフトが運航され、さらに1985(平成7)年末からは、多客期などの臨時急行便として高速艇も運航された。
そして、1921(大正10)年10月10日には、貨車の鉄道車両航送が始まり、1950(昭和25)年10月1日からは、大阪駅から松山駅・須崎駅(高知県須崎市にある土讃線の駅)間に準急列車を設定。宇高連絡船では客車を積み込んで航送(客車の車両航送)も開始され、本州と四国を結ぶ大動脈として日夜活躍を続けた。
しかし、1954(昭和29)年の台風15号の暴風雨をついて出向した青函連絡船・洞爺丸の座礁・転覆事故(洞爺丸事故参照)、その1年後の1955(昭和30)年5月11日の高松港を出向した国鉄宇高連絡線の紫雲丸が濃霧の中、貨物航送中の第三宇高丸と衝突し転覆、修学旅行中の中学生ら168人が犠牲(紫雲丸事故参照)になるという2つの海難事故(いずれも・国鉄戦後五大事故の1つに数えられる)
をきっかけに、本四架橋(本州四国連絡橋)の構想が具現化していった。また、この事故をきっかけに客車の航送が中止された。
1975(昭和50)年3月には、山陽新幹線が博多駅まで全線開業すると、旅客が四国から九州指向に変わってゆくとともに、三原や広島などから民間の高速船で松山方面へ渡る新たな四国連絡ルートを浮上させることとり、高速船以外の旅客数が激減した。そして、1978(昭和53)年に、本四連絡橋児島坂出ルート(通称:瀬戸大橋の建設が始まり、1987(昭和62)年4月には、国鉄は分割民営され、宇高航路は四国旅客鉄道(JR四国)に運営が引き継がれた。そして翌・1988(昭和63)年4月10日に瀬戸大橋が開業。これが宇高航路の運行に止(とど)めを刺した。瀬戸大橋は国鉄(JR四国 本四備讃線)と道路(瀬戸中央自動車道)の併用橋となっており、列車でも車でも本四間の移動が可能となり、前日限りで普通便とホーバー便の運行は廃止され、客載車両渡船「伊予丸」「土佐丸」「阿波丸」と、ホーバークラフト「とびうお」は売却された。「讃岐丸」は航路廃止後改装され、JR四国の瀬戸内海の周遊航路で観光船として利用されることになったが、1996年には観光船からも引退しインドネシアの船会社にカーフェリー用として売却されたようだ。ただ、宇野周辺の利用者のためもあり、共同汽船よりリースしていた高速艇「しおかぜ」1隻のみが運航されていたが、それも瀬戸大橋線の利便性の良さから、乗客は極端に減って、2年後の1990(平成2)年3月21日には運航を休止し、翌1991(平成3)年の今日・3月16日、JR四国より運輸省に、宇高航路自体を正式に廃止の旨届け出がされ、これにより、山陽鉄道が岡山-高松間に鉄道連絡船を運航してから88年、国鉄になって81年の長い航路の歴史に幕を閉じた。
なお、瀬戸大橋の通行料が高額であったことなどの事情から、宇高連絡船と並行して運航していた他の民間会社(四国フェリー・宇高国道フェリー)の宇高航路は、瀬戸大橋の道路の通行料が高いことなどから今でもトラックドライバーなどから愛用され存続してきた。
その後、1998(平成10)年4月5日に、世界最長の吊り橋明石海峡大橋開通により、神戸・鳴門ルート( 神戸淡路鳴門自動車道)が全面開通。その翌・1999(平成11)年5月1日には、来島海峡大橋、多々羅大橋、新尾道大橋が開通し、尾道・今治ルート(通称:瀬戸内しまなみ海道。西瀬戸自動車道)が全面開通。これによって本州と四国間の全3ルートがすべて開通したが、どの橋でも自動車の交通量は当初の見込みを下回っており、また、期待された「架橋効果」を四国にもたらすまでにはいたらず、「世紀の大事業」も今はどの程度になっているか知らないが、当時は年間数十億もの維持費に泣かされるお荷物状態となっていた。特に、最後の2つ神戸・鳴門ルートや尾道・今治ルートなどは、予想を下回ったというよりも、ももともとの計画があるから造ったといった感じの工事であり、ここのところ民主党の自動仕分けなどで問題となっているものと同様の親方日の丸的な採算度外視に建設されたものであった。明石海峡大橋開通によって、本州と淡路島を結ぶフェリも次々と廃止されていったが、高松-宇野区間を運航するフェリー3社のうち、高松市の会社四国フェリーと共同運航していた岡山県の津国汽船が、昨・2009(平成21)年4月に利用客減少に歯止めが効かない中、瀬戸大橋の高速道路料金の大幅割引などによる収益悪化を理由に撤退していたが、2010(平成22)年2月12日、宇高航路の他の2社・国道フェリーと四国フェリーも同年3月26日限りで高松-宇野航路の廃止届を四国運輸局に提出した旨が発表されている。これで宇野・高松を直通で結ぶフェリー航路は全てなくなることになる予定だ。冒頭掲載の向かって左の画像は、私が現役時代、宇高連絡船「土佐丸」に乗った時の記念スタンプである。現役時代は、仕事柄出張が多く、高松にもよく行ったが、当時の、のんびりとした船でのひと時が懐かしく思い出される。スタンプは、国鉄が民営化される1987(昭和62)年の前年のものだと思う。このようなスタンプなどには、興味のなかった私だが、国鉄の名前が消えることへの郷愁から、記念にと手持ちのメモ用紙に押印したものである。国鉄の名前だけでなく、宇高連絡船そのものがなくなってしまう。時代の流れとは言え、寂しいものだ。
(画像左:宇高連絡船土佐丸の記念スタンプ。右:高速艇 しおかぜ。Wikipediaより)
参考:
※:地域の本棚
http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_2033-17.html
四国の鉄道
http://www2d.biglobe.ne.jp/~vic/rail/
なつかしい日本の汽船
http://homepage3.nifty.com/jpnships/
宇高連絡船歴史館
http://renrakusen.hp.infoseek.co.jp/
青函連絡船」が運航を開始した日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/26bc5cdd85914e4215a8eb96e8b15933
世界3大海難事故となった洞爺丸転覆の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fe9fe3da8d733435b66d07f5c82b612c
世界最長の橋吊り「明石海峡大橋」が開通した日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f0da751295b42ad35d7697c6c96b37e7
SHIKOKU NEWS【宇高航路来月で廃止/フェリー2社撤退】
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20100213000083
鉄道連絡船 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E9%80%A3%E7%B5%A1%E8%88%B9
四国の鉄道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
本州四国連絡橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B
瀬戸大橋料金値下げできるか【四国新聞社】
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/323/index.htm
宇高連絡船とは、日本国有鉄道(国鉄)および、国鉄分割民営化によって1987(昭和62)年4月1日に発足した四国旅客鉄道(JR四国)により継承されていた鉄道連絡船のことであり、岡山県玉野市の宇野線宇野駅と香川県高松市の予讃線・高徳線高松駅との間を運航していた。
鉄道連絡船とは、鉄道輸送において、本土・離島連絡など海洋、湖沼などの水面によって隔絶され鉄道軌道を設置することが困難である場合に、両端を連絡する目的で当該水面上に設けられた航路に就航する船、また、日本では、旧国鉄が運航した航路全般を指すことが多い。
四国島内での最初の鉄道は1888(明治21)年に伊予鉄道が松山(現松山市)-三津間で開業。続いて、翌・1889(明治22)年に、讃岐鉄道が丸亀-琴平間を開業した。これが現在のJR四国線の始まりとなる。その頃、現在の山陽本線となる路線を建設していた山陽鉄道(1887年設立)が、1888(明治21)年11月1日に兵庫 - 明石間を開通した後、12月23日には、明石 - 姫路間開通。翌・1889(明治22)年9月1日に神戸 - 兵庫間を開通させた後、神戸 から西へ西へと延伸し、1901(明治34)年5月27日には、山口県の馬関(現在の下関)までを開通し、神戸- 馬関間の路線が全通している。その間、1891(明治24)年3月18日には岡山駅が開業していた。
讃岐鉄道は1897(明治30)年に高松まで延長。1900(明治33)年、4月22日高松築港落成式が挙行されている。同4月、讃岐汽船株式会社が設立され、航路は苗羽村(香川県小豆郡にあった村)を起点に岡山市京橋・小豆島下村・池田・土庄・豊島・高松港・岡山県犬島・九幡・三幡・岡山市京橋を船玉丸(72トン)が就航(以下参考の※:地域の本棚参照)すると、のちの宇高連絡船から瀬戸大橋線(正式名称:本四備讃線)に繋がる本四間連絡の始まりとなる岡山-高松間の讃岐汽船航路との連絡運輸を開始した。ただし、当初は鉄道会社による船舶運航はない。
1903(明治36)年3月 、山陽鉄道は、山陽汽船株式会社を設立。讃岐鉄道株式会社と共同で岡山-高松間に船車連絡輸送営業を開始した。これが、岡山-高松間の連絡船の始まりである。 又、山陽鉄道は、1904(明治37)年12月には讃岐鉄道から事業譲渡を受け(併合)、営業範囲を拡大。この時点でこの航路の計画を立てていたが、実際に、実現したのは1906(明治39)年、鉄道国有法に基づき山陽鉄道が、国有化され、1910(明治43)年6月12日 、宇野線 (岡山 - 宇野間)が開業し、岡山~高松の航路と尾道~多度津の航路を統合して宇高連絡船の運航が開始されてからである。
以後、宇高連絡船は、本州と四国を結ぶ幹線交通路として重用されてきた。そして、1972年(昭和47年)3月15日に「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと山陽新幹線が岡山駅まで開業したことにより、利用者も増え、同年11月8日からは急行便としてホーバークラフトが運航され、さらに1985(平成7)年末からは、多客期などの臨時急行便として高速艇も運航された。
そして、1921(大正10)年10月10日には、貨車の鉄道車両航送が始まり、1950(昭和25)年10月1日からは、大阪駅から松山駅・須崎駅(高知県須崎市にある土讃線の駅)間に準急列車を設定。宇高連絡船では客車を積み込んで航送(客車の車両航送)も開始され、本州と四国を結ぶ大動脈として日夜活躍を続けた。
しかし、1954(昭和29)年の台風15号の暴風雨をついて出向した青函連絡船・洞爺丸の座礁・転覆事故(洞爺丸事故参照)、その1年後の1955(昭和30)年5月11日の高松港を出向した国鉄宇高連絡線の紫雲丸が濃霧の中、貨物航送中の第三宇高丸と衝突し転覆、修学旅行中の中学生ら168人が犠牲(紫雲丸事故参照)になるという2つの海難事故(いずれも・国鉄戦後五大事故の1つに数えられる)
をきっかけに、本四架橋(本州四国連絡橋)の構想が具現化していった。また、この事故をきっかけに客車の航送が中止された。
1975(昭和50)年3月には、山陽新幹線が博多駅まで全線開業すると、旅客が四国から九州指向に変わってゆくとともに、三原や広島などから民間の高速船で松山方面へ渡る新たな四国連絡ルートを浮上させることとり、高速船以外の旅客数が激減した。そして、1978(昭和53)年に、本四連絡橋児島坂出ルート(通称:瀬戸大橋の建設が始まり、1987(昭和62)年4月には、国鉄は分割民営され、宇高航路は四国旅客鉄道(JR四国)に運営が引き継がれた。そして翌・1988(昭和63)年4月10日に瀬戸大橋が開業。これが宇高航路の運行に止(とど)めを刺した。瀬戸大橋は国鉄(JR四国 本四備讃線)と道路(瀬戸中央自動車道)の併用橋となっており、列車でも車でも本四間の移動が可能となり、前日限りで普通便とホーバー便の運行は廃止され、客載車両渡船「伊予丸」「土佐丸」「阿波丸」と、ホーバークラフト「とびうお」は売却された。「讃岐丸」は航路廃止後改装され、JR四国の瀬戸内海の周遊航路で観光船として利用されることになったが、1996年には観光船からも引退しインドネシアの船会社にカーフェリー用として売却されたようだ。ただ、宇野周辺の利用者のためもあり、共同汽船よりリースしていた高速艇「しおかぜ」1隻のみが運航されていたが、それも瀬戸大橋線の利便性の良さから、乗客は極端に減って、2年後の1990(平成2)年3月21日には運航を休止し、翌1991(平成3)年の今日・3月16日、JR四国より運輸省に、宇高航路自体を正式に廃止の旨届け出がされ、これにより、山陽鉄道が岡山-高松間に鉄道連絡船を運航してから88年、国鉄になって81年の長い航路の歴史に幕を閉じた。
なお、瀬戸大橋の通行料が高額であったことなどの事情から、宇高連絡船と並行して運航していた他の民間会社(四国フェリー・宇高国道フェリー)の宇高航路は、瀬戸大橋の道路の通行料が高いことなどから今でもトラックドライバーなどから愛用され存続してきた。
その後、1998(平成10)年4月5日に、世界最長の吊り橋明石海峡大橋開通により、神戸・鳴門ルート( 神戸淡路鳴門自動車道)が全面開通。その翌・1999(平成11)年5月1日には、来島海峡大橋、多々羅大橋、新尾道大橋が開通し、尾道・今治ルート(通称:瀬戸内しまなみ海道。西瀬戸自動車道)が全面開通。これによって本州と四国間の全3ルートがすべて開通したが、どの橋でも自動車の交通量は当初の見込みを下回っており、また、期待された「架橋効果」を四国にもたらすまでにはいたらず、「世紀の大事業」も今はどの程度になっているか知らないが、当時は年間数十億もの維持費に泣かされるお荷物状態となっていた。特に、最後の2つ神戸・鳴門ルートや尾道・今治ルートなどは、予想を下回ったというよりも、ももともとの計画があるから造ったといった感じの工事であり、ここのところ民主党の自動仕分けなどで問題となっているものと同様の親方日の丸的な採算度外視に建設されたものであった。明石海峡大橋開通によって、本州と淡路島を結ぶフェリも次々と廃止されていったが、高松-宇野区間を運航するフェリー3社のうち、高松市の会社四国フェリーと共同運航していた岡山県の津国汽船が、昨・2009(平成21)年4月に利用客減少に歯止めが効かない中、瀬戸大橋の高速道路料金の大幅割引などによる収益悪化を理由に撤退していたが、2010(平成22)年2月12日、宇高航路の他の2社・国道フェリーと四国フェリーも同年3月26日限りで高松-宇野航路の廃止届を四国運輸局に提出した旨が発表されている。これで宇野・高松を直通で結ぶフェリー航路は全てなくなることになる予定だ。冒頭掲載の向かって左の画像は、私が現役時代、宇高連絡船「土佐丸」に乗った時の記念スタンプである。現役時代は、仕事柄出張が多く、高松にもよく行ったが、当時の、のんびりとした船でのひと時が懐かしく思い出される。スタンプは、国鉄が民営化される1987(昭和62)年の前年のものだと思う。このようなスタンプなどには、興味のなかった私だが、国鉄の名前が消えることへの郷愁から、記念にと手持ちのメモ用紙に押印したものである。国鉄の名前だけでなく、宇高連絡船そのものがなくなってしまう。時代の流れとは言え、寂しいものだ。
(画像左:宇高連絡船土佐丸の記念スタンプ。右:高速艇 しおかぜ。Wikipediaより)
参考:
※:地域の本棚
http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_2033-17.html
四国の鉄道
http://www2d.biglobe.ne.jp/~vic/rail/
なつかしい日本の汽船
http://homepage3.nifty.com/jpnships/
宇高連絡船歴史館
http://renrakusen.hp.infoseek.co.jp/
青函連絡船」が運航を開始した日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/26bc5cdd85914e4215a8eb96e8b15933
世界3大海難事故となった洞爺丸転覆の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fe9fe3da8d733435b66d07f5c82b612c
世界最長の橋吊り「明石海峡大橋」が開通した日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f0da751295b42ad35d7697c6c96b37e7
SHIKOKU NEWS【宇高航路来月で廃止/フェリー2社撤退】
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20100213000083
鉄道連絡船 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E9%80%A3%E7%B5%A1%E8%88%B9
四国の鉄道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
本州四国連絡橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B
瀬戸大橋料金値下げできるか【四国新聞社】
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/323/index.htm