今日(11月18日)は1979年 第1回東京国際女子マラソンが開催された日。世界初の国際陸連公認の大会である。
東京国際マラソンとは、東京を舞台に繰り広げる国際マラソン。レースは国立霞ヶ丘陸上競技場をスタートして男子は平和島口を折り返し、女子は大森海岸交番前を折り返し、国立競技場に戻る。距離は、42.195㎞。コースの特に30㎞地点、水道橋駅前から四谷にかけての高低差は凡そ30M近く(ビルに直すと11階建てに匹敵する高さ)にも及び別名・強力坂とも言われ恐れられており世界でも屈指の難コースと言われている。
1978年11月18日、秋深い小雨の都心を50人の女性ランナーが駆け抜けた。第1回東京国際女子マラソン大会(日本陸連・朝日新聞主宰・資生堂協賛)は、国際陸連(IAAF)が初めて公認した女子マラソンだった。初代の女王に輝いたのは、二児の母親でもある42歳のママさん選手ジョイス・スミス(英国)で、記録は2時間37分48秒だった。外国勢に歯がたたないと思われた日本人も健闘。村本 みのる(大阪陸協)が自己記録を11分余り縮め7位に入った(タイム:2:48:52)。
1979年11月に開催された第1回大会のこのマラソン(東京国際マラソン)は、世界初の女性限定のマラソンとして開催されたもの。それまで、「女性に長距離のマラソンは無理ではないか」と言われていた。しかし、この「常識」は見事にくつがえり、1984(昭和59)年のロス五輪から女子マラソンは五輪正式競技になった。
男子は1981(昭和56)年2月に読売東京マラソンとして開催。その翌月、東京-NY(ニューヨーク)友好マラソンが行われたが、翌年以降、偶数年を読売、奇数年を産経主催で行われていた。2007年から本競走と東京シティロードレースをまとめる形で「東京マラソン」が行われるため、今年(2006年)をもって27年の歴史にピリオドを打つ。
女子については「東京マラソン」に統合されず、来年(2007年)以降も「東京国際女子マラソン」として開催される予定。将来的には東京マラソンと東京国際女子マラソンの統合も目指す事になっているそうだ。
男子は、別として、女子マラソンとしては、第1回2回と連続して、ジョイス・スミス が優勝、第2回目には2時間30分27秒 と何と7分以上もタイムを縮めている。2位のジャクリーヌ・ガロー( カナダ)も 2時間30分58 秒の好タイムである。第3回( リンダ・スタウト= カナダ )4回(ゾーヤ・イワノワ =ソ連 )と外人勢が優勝するが、日本人としては、佐々木七恵(エスビー食品) が第3回(このときはまだ盛岡一高教)には5位、第4回には4位に食い込み、1983(昭和58)年第5回には日本人として、初めて2時間37分09秒の記録で、念願の優勝を果たした。
以来、1991年の第13回には、 谷川真理(資生堂 )が、2時間31分27秒 で優勝。1995年 第17回浅利純子(ダイハツ、2時間28分46秒) 、1996年第18回 藤村信子( ダイハツ、2時間28分58秒)、 1997年第19回 伊藤真貴子(第一生命 、2時間27分45秒) 、1998年第20回 浅利純子 (ダイハツ、 2時間28分29秒) 、1999年第21回 山口衛里 (天満屋、2時間22分12秒) と第17回から連続優勝を遂げていたが、2000年第19回~2004年第23回まで、外人勢に優勝を譲っていた。そして、昨2005年、第27回では、2年ぶりのフルマラソンとなるシドニー五輪金メダリストの高橋尚子( ファイテン )が、25キロ付近から先頭争いをしていたバルシュナイテ、アレムを3、5キロ過ぎの上り坂に入る手前でスパート。2人を一気に引き離して逃げ切り、復活の優勝を飾った。タイムは2時間24分39秒 であった。
過去の大会記録 →http://www.asahi.com/tokyo-marathon/results/index.html
高橋は、2000年9月シドニー五輪女子マラソンで、中盤からはルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じたが、34Km過ぎにシモンを突き離し、ゴール直前ではシモンに徐々に差を詰められたものの、8秒差で逃げ切ってゴールテープを切って優勝を果たした。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本女子陸上界において史上初の快挙だった。又、高橋のゴールタイムの2時間23分14秒は、五輪最高記録でもあった。
高橋はその翌2002年9月29日のベルリンマラソンに2度目の出走、体調が万全で無く世界記録の再更新はならなかったが、2年連続1位でゴール。フルマラソンでは6回連続優勝を果たした。そして、同2002年11月17日の第24回、東京国際女子マラソンにわずか48日の間隔でのマラソン出走を予定していたが、肋骨の疲労骨折が判明し全治3か月の診断が下され、レース前日に欠場を表明。翌2003年8月31日開催の、世界陸上選手権パリ大会の女子マラソン代表入りを断念した。
そして、アテネオリンピックの女子マラソン代表選考レースだった、2003年11月16日の第25回東京国際女子マラソンでは、中間点を過ぎてから高橋の独走となったが、30Km辺りからスタミナ切れを起こして急激に失速。優勝したエチオピアのエルフェネッシュ・アレムに39Km地点で抜かれ、まさかの2位に沈む残念な結果となった。翌2004年3月15日の、アテネ五輪女子マラソン日本代表の決定発表時には、高橋の名前は無く、シドニー&アテネの五輪連続出場は成らなかった。(アテネ五輪女子マラソン代表は野口みずき、土佐礼子、坂本直子。補欠は千葉真子。だが、アテネ五輪本番では見事、野口みずきが高橋に続いて、金メダルを獲得。オリンピック女子マラソンで2大会連続の金メダルをもたらしたのである。男子のマラソン界が低迷している中、ほんとうに日本の女子マラソンは強くなった。
2006年11月19日の明日、いよいよ、待ちに待った、第28回、東京国際女子マラソンが、12時10分よりスタートする。
国内招待選手は、シドニー五輪金メダリストで昨年の本大会で復活の優勝を果たした高橋尚子、アテネ五輪5位の土佐礼子(三井住友銀行)ら8人。海外招待は昨年の本大会2位のジビレ・バルシュナイテ(リトアニア)ら5人である。
来夏、大阪で開催される世界選手権のマラソン代表選考を兼ねた今年・2006東京国際女子マラソンは、日本女子マラソン界の第一人者同士(高橋尚子VS土佐礼子)の戦いに注目が集まっている。この大会で2時間26分以内の記録を出し、日本選手トップになれば、世界選手権の代表が内定するのだとか。スピードの高橋か?粘りの土佐か?。北京五輪の代表切符を獲得できるかどうか・・・見ごたえのあるレースになりそうだ。明日の昼からは、テレビにくぎ付けだな~。
(画像は、第1回東京國際女子マラソン、初代の女王に輝いたのは、右端のイギリス代表のママさん選手ジョイス・スミスであった。アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
参考:
東京国際マラソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3
東京国際女子マラソン 公式ホームページ
http://www.asahi.com/tokyo-marathon/
マラソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3
東京国際マラソンとは、東京を舞台に繰り広げる国際マラソン。レースは国立霞ヶ丘陸上競技場をスタートして男子は平和島口を折り返し、女子は大森海岸交番前を折り返し、国立競技場に戻る。距離は、42.195㎞。コースの特に30㎞地点、水道橋駅前から四谷にかけての高低差は凡そ30M近く(ビルに直すと11階建てに匹敵する高さ)にも及び別名・強力坂とも言われ恐れられており世界でも屈指の難コースと言われている。
1978年11月18日、秋深い小雨の都心を50人の女性ランナーが駆け抜けた。第1回東京国際女子マラソン大会(日本陸連・朝日新聞主宰・資生堂協賛)は、国際陸連(IAAF)が初めて公認した女子マラソンだった。初代の女王に輝いたのは、二児の母親でもある42歳のママさん選手ジョイス・スミス(英国)で、記録は2時間37分48秒だった。外国勢に歯がたたないと思われた日本人も健闘。村本 みのる(大阪陸協)が自己記録を11分余り縮め7位に入った(タイム:2:48:52)。
1979年11月に開催された第1回大会のこのマラソン(東京国際マラソン)は、世界初の女性限定のマラソンとして開催されたもの。それまで、「女性に長距離のマラソンは無理ではないか」と言われていた。しかし、この「常識」は見事にくつがえり、1984(昭和59)年のロス五輪から女子マラソンは五輪正式競技になった。
男子は1981(昭和56)年2月に読売東京マラソンとして開催。その翌月、東京-NY(ニューヨーク)友好マラソンが行われたが、翌年以降、偶数年を読売、奇数年を産経主催で行われていた。2007年から本競走と東京シティロードレースをまとめる形で「東京マラソン」が行われるため、今年(2006年)をもって27年の歴史にピリオドを打つ。
女子については「東京マラソン」に統合されず、来年(2007年)以降も「東京国際女子マラソン」として開催される予定。将来的には東京マラソンと東京国際女子マラソンの統合も目指す事になっているそうだ。
男子は、別として、女子マラソンとしては、第1回2回と連続して、ジョイス・スミス が優勝、第2回目には2時間30分27秒 と何と7分以上もタイムを縮めている。2位のジャクリーヌ・ガロー( カナダ)も 2時間30分58 秒の好タイムである。第3回( リンダ・スタウト= カナダ )4回(ゾーヤ・イワノワ =ソ連 )と外人勢が優勝するが、日本人としては、佐々木七恵(エスビー食品) が第3回(このときはまだ盛岡一高教)には5位、第4回には4位に食い込み、1983(昭和58)年第5回には日本人として、初めて2時間37分09秒の記録で、念願の優勝を果たした。
以来、1991年の第13回には、 谷川真理(資生堂 )が、2時間31分27秒 で優勝。1995年 第17回浅利純子(ダイハツ、2時間28分46秒) 、1996年第18回 藤村信子( ダイハツ、2時間28分58秒)、 1997年第19回 伊藤真貴子(第一生命 、2時間27分45秒) 、1998年第20回 浅利純子 (ダイハツ、 2時間28分29秒) 、1999年第21回 山口衛里 (天満屋、2時間22分12秒) と第17回から連続優勝を遂げていたが、2000年第19回~2004年第23回まで、外人勢に優勝を譲っていた。そして、昨2005年、第27回では、2年ぶりのフルマラソンとなるシドニー五輪金メダリストの高橋尚子( ファイテン )が、25キロ付近から先頭争いをしていたバルシュナイテ、アレムを3、5キロ過ぎの上り坂に入る手前でスパート。2人を一気に引き離して逃げ切り、復活の優勝を飾った。タイムは2時間24分39秒 であった。
過去の大会記録 →http://www.asahi.com/tokyo-marathon/results/index.html
高橋は、2000年9月シドニー五輪女子マラソンで、中盤からはルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じたが、34Km過ぎにシモンを突き離し、ゴール直前ではシモンに徐々に差を詰められたものの、8秒差で逃げ切ってゴールテープを切って優勝を果たした。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本女子陸上界において史上初の快挙だった。又、高橋のゴールタイムの2時間23分14秒は、五輪最高記録でもあった。
高橋はその翌2002年9月29日のベルリンマラソンに2度目の出走、体調が万全で無く世界記録の再更新はならなかったが、2年連続1位でゴール。フルマラソンでは6回連続優勝を果たした。そして、同2002年11月17日の第24回、東京国際女子マラソンにわずか48日の間隔でのマラソン出走を予定していたが、肋骨の疲労骨折が判明し全治3か月の診断が下され、レース前日に欠場を表明。翌2003年8月31日開催の、世界陸上選手権パリ大会の女子マラソン代表入りを断念した。
そして、アテネオリンピックの女子マラソン代表選考レースだった、2003年11月16日の第25回東京国際女子マラソンでは、中間点を過ぎてから高橋の独走となったが、30Km辺りからスタミナ切れを起こして急激に失速。優勝したエチオピアのエルフェネッシュ・アレムに39Km地点で抜かれ、まさかの2位に沈む残念な結果となった。翌2004年3月15日の、アテネ五輪女子マラソン日本代表の決定発表時には、高橋の名前は無く、シドニー&アテネの五輪連続出場は成らなかった。(アテネ五輪女子マラソン代表は野口みずき、土佐礼子、坂本直子。補欠は千葉真子。だが、アテネ五輪本番では見事、野口みずきが高橋に続いて、金メダルを獲得。オリンピック女子マラソンで2大会連続の金メダルをもたらしたのである。男子のマラソン界が低迷している中、ほんとうに日本の女子マラソンは強くなった。
2006年11月19日の明日、いよいよ、待ちに待った、第28回、東京国際女子マラソンが、12時10分よりスタートする。
国内招待選手は、シドニー五輪金メダリストで昨年の本大会で復活の優勝を果たした高橋尚子、アテネ五輪5位の土佐礼子(三井住友銀行)ら8人。海外招待は昨年の本大会2位のジビレ・バルシュナイテ(リトアニア)ら5人である。
来夏、大阪で開催される世界選手権のマラソン代表選考を兼ねた今年・2006東京国際女子マラソンは、日本女子マラソン界の第一人者同士(高橋尚子VS土佐礼子)の戦いに注目が集まっている。この大会で2時間26分以内の記録を出し、日本選手トップになれば、世界選手権の代表が内定するのだとか。スピードの高橋か?粘りの土佐か?。北京五輪の代表切符を獲得できるかどうか・・・見ごたえのあるレースになりそうだ。明日の昼からは、テレビにくぎ付けだな~。
(画像は、第1回東京國際女子マラソン、初代の女王に輝いたのは、右端のイギリス代表のママさん選手ジョイス・スミスであった。アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
参考:
東京国際マラソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3
東京国際女子マラソン 公式ホームページ
http://www.asahi.com/tokyo-marathon/
マラソン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3
今日は新開地寄席に行きますので東京国際女子は録画を見ます。それまでに結果が目や耳に入らないことを祈っています。だって、マラソンなんかは結果が解っていたら何の楽しみもありませんものね。
世界陸上の通し券は20万円とか。一寸手が出ませんので女子マラソン、400m障害、男子100m、200m、女子5000m、10000mなどのFinalがある日のチケットを買いたいなと思っています。果たして手に入るでしょうかね。
私、先日大阪へ行きまして、天満天神繁盛亭、建物だけ見て来ました。大好きな上方落語、益々の発展を祈ります。
新開地に新開地寄席なんてのが出来ていたのは私も知りませんでした。今、検索で始めて知りました。又、新開地にでも行ったとき、見に行ってみましょう。
今、昔の新開地の賑わいを取り戻そうと一生懸命いろいろやってるようですが、あそこに、福原がある限り難しいですね。
それより、昔は「ええとこええとこシューラッカン」とか、ビオフェルミンの「神戸タワー」とか、誰でも知ってるシンボルみたいなものがあった。今はそれがないのが寂しいですね。
新開地寄席は新開地まちづくりNPOが主催しています。2ヶ月に1回やっているようで、昨日が第37回でした。舞台は一寸お粗末な感じがしましたが、若いスタッフの皆さんの対応は熱意を感じられましたし、非常によかったです。「ザ・シンカイチ」という本を配っていただきました。
あの近くに遊郭があったのですか?大阪の新世界のような感じの場所になるのでしょうね。
Lindaっさんの仰るとおり、新開地に元の賑わいを取り戻そうとまちづくりに懸命に取り組んでおられる方が大勢おられ、あの阪神大震災以降神戸駅よりの方は建物なども新しくなり、いろいろな試みもされているようで、私も何度か街を歩いてみましたが、見た目には少し明るい町になったように見えますが、私など、まだ、余り、歩きたい気分にはなれません。
廃れてからの悪いいやな雰囲気が余りにも印象に残りすぎているからかも知れませんが・・・。ここ2^3年くらいは1度も行っていません。
皮肉なことに、神戸高速鉄道が開通した頃から、新開地は廃れはじめたんやないか?4つの私鉄が全部あそこに集結したというのに。昭和50年代頃にはたしかに、気色の悪い連中がたむろしてて、もうこの街もあかんなあと思ったものです。
でもそれだけに、映画や芝居や寄席で活気を取り戻そうというのは非常によくわかる。なんとか成功させてもらいたいものと思います。
東京の浅草も、一時は随分廃れたけど、近頃はまた元気になってます。