今朝の朝日新聞「天声人語」を読んでいると、以下の様な事が書いてあった”本を手に取るきっかけは様々であるが、近頃は「ジャケ買い」が多いらしい。中身を吟味するより、ジャケット、つまり、表紙で選ぶことをいうそうだ。麻生太郎首相も当初、有権者の「ジャケ買い」を期待されたが、今や、「麻生おろし」の風が吹き、自民党は、新たなジャケットを探して蠢(うごめ)いている。20年前、「本の中身を変えず、表紙だけを変えてもだめ」と総裁就任を断った元外相、伊東正義の実直は、もはや遠い感がある”・・・と。
本当に私もそう思うよ。朝日新聞の記事そのものが好きで新聞をとっているわけではないが、昔から、この「天声人語」だけは大好きである。
前に、このブログ「『菊と刀』が日本で翻訳・出版された日」で触れたことがあるが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが、第二次世界大戦末期の1944(昭和19)年)に、アメリカ戦時情報局の委託で行われた日本文化の研究の成果をまとめた日本文化論が『菊と刀』である。日米戦争終結を目前にして、アメリカは、欧米人と全く異なった考え方を持つ日本人の行動パターンを予測することが、戦後の占領政策策定のために必要としたためのものであろう。彼女は、日本映画や文学の分析などを通じて日本社会の体質に鋭く迫り、「菊(美)」を愛でる一方で「刀(武)」を好む矛盾に満ちたその性質を、内面的な規範ではなく、外面的な強制力(他者からの評価)によって、行動を律する「恥の文化」として抽出している。それらの調査・分析結果の解釈に関しては、少々表面的であったり、的外れであったり、かなり問題がある面も見受けられるものの、当時の日本人の本質はずばり、見抜いている面もある。
彼女は本の中で、”恥を基調とする文化は、「他人の批評、『世間』の評価に気を配る社会」であり、人は「外面的強制力にもとづいて善行を行う」”・・・ものだと述べている。確かに、戦前から戦後暫くの間の日本人には、彼女が”恥の文化においては、恥は「すべての徳の基本」と考える・・・、「罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置く」文化”・・であると言っているように、”恥”をかくということを一番嫌っていたように思う。兎に角「恥”をかかないように言論や行動をつつしみ、”徳”を積むように努力をしていた。
しかし、今の日本人に”恥”という言葉はあるのだろうか・・・?
現代の日本では、子供や女子、年寄りなど、弱いものをいじめたり騙す、挙句には殺してしまっても平気な顔をしている人が非常に多くなった日本。若い女の子からは羞恥心などといったものは全く見られず、駅や公共の場などで股を広げて地べたに座り込んみ平気な顔をしている。又、公務員は公僕であることを忘れて、自分たちだけのことを考えた都合の良いことばかりやっている。企業は企業で、金儲けのためには、産地や日付の偽装、品質を偽っての販売ぐらいは、何とも思っていないらしい。
政治家は・・・政治を職業としているようであり、国民の側を向かず、選挙の際の票になり、金にもなる企業や特定の集団の方を向いた政治をしていると思われる人が多くなった。又、そんな、政治家に言ってはならないことを言ったり、つまらぬ失言ばかりしている人が多いが、そんな政治家らしくない発言や失言ぐらいは、ちっとも恥などとは思っていないようだ。中には外国まで行って、記者会見の席で酔っ払った醜態を見せ、外国メディアから顰蹙を買っても、そのようなことを恥とも感じず、すんなりと自ら辞職をしようともしない大臣がいる。回りの人から非難され、しぶしぶ辞任はしたが、そんな人を大臣に選んだ麻生首相は、お止めになったらともいえないだらしなさ。もっとも、麻生首相自身が、漫画ばかり読んでいるせいか漢字もまともには読めないらしい。それに、前に言った発言とは全く違うことを後で述べてシャーシャーとしている厚顔無恥な人。そういう点では、今までの日本の政治家の中ではピカ一だろうね~。国会答弁も周りの人の言うことに振り回され、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと迷走三昧。空気が読めない上に決断力もリーダーシップもない。国民や、野党は勿論、同じ自民党議員からさえも、このまま、麻生氏が首相を続けていると自民党が再起できなくなってしまうので早く解散して選挙を・・と言うものが出ているにも関わらず、首相に解散権があるのを良いことに、なんだかんだと理由をつけて、首相の座にしがみ付き、国民の審判を仰ごうとはしない。
国民の1割しか支持していない人、何時まで政権の座に居られるのか分からない・・そんな政権基盤の弱い麻生首相が、「俺は外交が得意」などと言って、米国のオバマ大統領との会談に出かけ、1時間ほどの対談だけをして、共同記者会見もさせてもらえず、昼食会や夜食会などの場も用意してもらえず、米国の重要なパートナー日本としての役割だけはきっちりと約束させられて帰ってきたようだ。
米国の複数のメディアがそんな麻生首相について、「たった1時間の会談のために1万1千キロの長い旅」「日本の追い詰められた指導者、オバマと会談へ」「日本の麻生首相、訪米でイメージアップを狙う」などと、皮肉を込めて報じられている。
また、オバマ政権関係者の間には麻生首相のことを「DEAD DOG(死んだ犬)」などと評する声もあるというのに、そんな人を日本の代表者として送り出さなければならない日本国民として、私など、ただただ恥ずかしい限りなのだが、当のご本人さんは、全く、そのようなことは、感じておられないらしい。
どこまで、ずうずうしいの・・・?と思うのだが、ただ、漢字を読めない人だから、“恥”と言う字も言葉の意味も知らないだけなのだろうか?
冒頭の画像は、2月24日、ホワイとハウスで日米首脳会談にのぞむオバマ米大統領と麻生首相(245日朝日新聞夕刊掲載より)。彼にとっては、この写真を撮ってもらいたくて、ただそれだけでのこのこと出かけたのかもしれない。麻生家の大事なお宝(記念写真)として残すために・・・。
参考:
『菊と刀』が日本で翻訳・出版された日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/092fd841cad62978028d7c6e3c7cc7ea
asahi.com相訪米 中・ロ紙「冷遇された」、英紙ほとんど報じず
http://www.asahi.com/politics/update/0225/TKY200902250302.html
外交巡る集中審議、首相は成果強調―News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4071287.html
本当に私もそう思うよ。朝日新聞の記事そのものが好きで新聞をとっているわけではないが、昔から、この「天声人語」だけは大好きである。
前に、このブログ「『菊と刀』が日本で翻訳・出版された日」で触れたことがあるが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが、第二次世界大戦末期の1944(昭和19)年)に、アメリカ戦時情報局の委託で行われた日本文化の研究の成果をまとめた日本文化論が『菊と刀』である。日米戦争終結を目前にして、アメリカは、欧米人と全く異なった考え方を持つ日本人の行動パターンを予測することが、戦後の占領政策策定のために必要としたためのものであろう。彼女は、日本映画や文学の分析などを通じて日本社会の体質に鋭く迫り、「菊(美)」を愛でる一方で「刀(武)」を好む矛盾に満ちたその性質を、内面的な規範ではなく、外面的な強制力(他者からの評価)によって、行動を律する「恥の文化」として抽出している。それらの調査・分析結果の解釈に関しては、少々表面的であったり、的外れであったり、かなり問題がある面も見受けられるものの、当時の日本人の本質はずばり、見抜いている面もある。
彼女は本の中で、”恥を基調とする文化は、「他人の批評、『世間』の評価に気を配る社会」であり、人は「外面的強制力にもとづいて善行を行う」”・・・ものだと述べている。確かに、戦前から戦後暫くの間の日本人には、彼女が”恥の文化においては、恥は「すべての徳の基本」と考える・・・、「罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置く」文化”・・であると言っているように、”恥”をかくということを一番嫌っていたように思う。兎に角「恥”をかかないように言論や行動をつつしみ、”徳”を積むように努力をしていた。
しかし、今の日本人に”恥”という言葉はあるのだろうか・・・?
現代の日本では、子供や女子、年寄りなど、弱いものをいじめたり騙す、挙句には殺してしまっても平気な顔をしている人が非常に多くなった日本。若い女の子からは羞恥心などといったものは全く見られず、駅や公共の場などで股を広げて地べたに座り込んみ平気な顔をしている。又、公務員は公僕であることを忘れて、自分たちだけのことを考えた都合の良いことばかりやっている。企業は企業で、金儲けのためには、産地や日付の偽装、品質を偽っての販売ぐらいは、何とも思っていないらしい。
政治家は・・・政治を職業としているようであり、国民の側を向かず、選挙の際の票になり、金にもなる企業や特定の集団の方を向いた政治をしていると思われる人が多くなった。又、そんな、政治家に言ってはならないことを言ったり、つまらぬ失言ばかりしている人が多いが、そんな政治家らしくない発言や失言ぐらいは、ちっとも恥などとは思っていないようだ。中には外国まで行って、記者会見の席で酔っ払った醜態を見せ、外国メディアから顰蹙を買っても、そのようなことを恥とも感じず、すんなりと自ら辞職をしようともしない大臣がいる。回りの人から非難され、しぶしぶ辞任はしたが、そんな人を大臣に選んだ麻生首相は、お止めになったらともいえないだらしなさ。もっとも、麻生首相自身が、漫画ばかり読んでいるせいか漢字もまともには読めないらしい。それに、前に言った発言とは全く違うことを後で述べてシャーシャーとしている厚顔無恥な人。そういう点では、今までの日本の政治家の中ではピカ一だろうね~。国会答弁も周りの人の言うことに振り回され、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと迷走三昧。空気が読めない上に決断力もリーダーシップもない。国民や、野党は勿論、同じ自民党議員からさえも、このまま、麻生氏が首相を続けていると自民党が再起できなくなってしまうので早く解散して選挙を・・と言うものが出ているにも関わらず、首相に解散権があるのを良いことに、なんだかんだと理由をつけて、首相の座にしがみ付き、国民の審判を仰ごうとはしない。
国民の1割しか支持していない人、何時まで政権の座に居られるのか分からない・・そんな政権基盤の弱い麻生首相が、「俺は外交が得意」などと言って、米国のオバマ大統領との会談に出かけ、1時間ほどの対談だけをして、共同記者会見もさせてもらえず、昼食会や夜食会などの場も用意してもらえず、米国の重要なパートナー日本としての役割だけはきっちりと約束させられて帰ってきたようだ。
米国の複数のメディアがそんな麻生首相について、「たった1時間の会談のために1万1千キロの長い旅」「日本の追い詰められた指導者、オバマと会談へ」「日本の麻生首相、訪米でイメージアップを狙う」などと、皮肉を込めて報じられている。
また、オバマ政権関係者の間には麻生首相のことを「DEAD DOG(死んだ犬)」などと評する声もあるというのに、そんな人を日本の代表者として送り出さなければならない日本国民として、私など、ただただ恥ずかしい限りなのだが、当のご本人さんは、全く、そのようなことは、感じておられないらしい。
どこまで、ずうずうしいの・・・?と思うのだが、ただ、漢字を読めない人だから、“恥”と言う字も言葉の意味も知らないだけなのだろうか?
冒頭の画像は、2月24日、ホワイとハウスで日米首脳会談にのぞむオバマ米大統領と麻生首相(245日朝日新聞夕刊掲載より)。彼にとっては、この写真を撮ってもらいたくて、ただそれだけでのこのこと出かけたのかもしれない。麻生家の大事なお宝(記念写真)として残すために・・・。
参考:
『菊と刀』が日本で翻訳・出版された日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/092fd841cad62978028d7c6e3c7cc7ea
asahi.com相訪米 中・ロ紙「冷遇された」、英紙ほとんど報じず
http://www.asahi.com/politics/update/0225/TKY200902250302.html
外交巡る集中審議、首相は成果強調―News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4071287.html