日本記念日協会の今日・1月20日の記念日をみると、「甘酒の日」があった。
由緒をみると、“日本の伝統的な飲み物であり発酵食品である甘酒の良さ、おいしさを多くの人に知ってもらいたいと、1969年から瓶入りの甘酒を販売してきた森永製菓株式会社が制定。日付は、甘酒は疲れを癒し、身体が温まる飲み物として大寒の頃がもっとも飲まれていることから。”・・・とあった。
甘酒(あまざけ、醴)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろく(濁酒)に類似する白濁液である。
米を酒にするには、大まかな製造工程としては、先ず、蒸した米に麹を加えて、米のデンプンを糖化させると、甘味が得られ、「甘酒」に近いもの出来る。次に、この糖化した米を水と合わせ、乳酸菌で発酵させて甘酸っぱい液体にすると、この時、液が酸性になるため雑菌が死滅する。最後に、これを酵母により発酵させ、糖をアルコールに変えると濁酒(「どぶろく」)になる。「どぶろく」は、米を使った酒類では最も素朴な形態の物と言われ、これを沈殿濾過して透明にすれば清酒になる。
いわば、酒造過程で言えば、どぶろくになる前の状態の最も初期段階の過程で出来るものが甘酒に近いものである。日本で、いつ穀物による醸造酒が造られ始めたかは定かではないが、近年、中国から北九州地方に稲作が渡来したのは、紀元前2~3世紀頃といわれている。その際、麹を利用した酒づくりの方法も含めて伝わっていたのではないかともいわれているが、日本に酒が存在することを示す最古のものは、3世紀に書かれた中国の史書『魏志倭人伝』(中国の正史『三国志』中の「魏書」にかかれている東夷伝倭人条の通称)の倭人の風俗について書かれているところに「人性嗜酒(人の性【情】は、酒をたしなむ)」と記述されているものであるが、この酒が具体的に何を原料とし、またどのような方法で醸造したものなのかまでは、窺い知ることはできないが、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があることも述べおり、ここに酒と宗教が深く関わっていたことを示す記載があることは、酒造りが巫女(みこ)の仕事として始まったことをうかがわせる一つの根拠ともなっているようだ(※:邪馬台国の会 HP【魏志倭人伝】】また、※:古代史獺祭 メインメニューより魏志倭人伝参照)。
日本で最初に米で酒を造った記述が出てくるのは、日本に伝存する最古の正史日本書紀』(720年作成)の神代紀の中のあり、神吾田鹿葦津姫(カムアタカアシツヒメ:『木花開耶姫【コノハナサクヤヒメ、】)が「狭名田(さなだ)の稲を以て、天甜酒(あめのたむざけ)を醸(か)みて、嘗(にへ)す」と記されている。(以下参考の※:「古代史獺祭「日本書紀」メニュー」より卷第二 第九段 一書第三又、参照)
狭名田とは神稲を作るために占いで決めた田のことで、「天甜酒」の「天」は天上界とか神の世界を意味し、「甜酒」は美酒を意味しているそうだ。「嘗(にへ)」とは、神又は天皇陛下の召し上り物、調理した食物の事をいふ。ここで言う「嘗(にへ)」はにいなへ(新嘗)であり、その年の新穀と新酒を神前に供えする儀式を指しているようだ。これは、現在は勤労感謝の日と名を変えている新嘗祭(にいなめさい)のようなものではないか。 新嘗祭は古くから天皇がその年に収穫された新穀や新酒を天照大神(アマテラスオオミカミ)をはじめとする天地の神(天神地祇)に供え農作物の恵みに感謝し、自らも食す儀式であった。以下参考の青空文庫※:「作家別作品リスト:No.933[折口 信夫]」の中の大嘗祭の本義や、ほうとする話 祭りの発生 その一など参照)。記紀神話の時代には、神吾田鹿葦津姫のような酒の神様がたくさんいたようだ。酒づくりの祖神は神吾田鹿葦津姫とその父である大山祇神(オオヤマツミ)。大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)、梅宮大神(京都市右京区)のほか、全国の三島神社の総本山大山祇神社(愛媛県大三島町)、三島鴨神社(大阪府高槻市)などが、この父娘を祭った神社として崇められている。
日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があり、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代(642年)に始められたとされている。
この日本書紀に出てくる「天甜酒」は通説では、米を口で噛んで唾液の中の酵素を利用して造ったいわゆる「口噛(くちか)み酒」と言われているもので、先に酒の製造工程で書いたようなどぶろくになる前の状態の低いアルコール度の甘酒のようなものであったらしい。
ご飯を噛むと、米の中のデンプンが唾液に含まれるアミラーゼ(糖化酵素)の働きでブドウ糖に変わる。これを壷などに入れておくと、ここに空気中の野生酵母が入って来て発酵し、酒になるという原始的な醸造法によるものが「口噛み酒」 だが、 これについての最古の記述は、『三国志』の時代から約500年も後の日本の風土記の1つである『大隅国風土記』逸文(713年以降)にあり、“大隅国(今の鹿児島県東部)では村中の男女が水と米を用意して生米を噛んでは容器に吐き戻し、一晩以上の時間をおいて酒の香りがし始めたら全員で飲む風習があったことが記されており、彼らはその酒を「口嚼ノ酒」と称していたという。この甘酒のようなものは、一晩でできることから「一夜酒(ひとよざけ)」また「醴酒(こさけ、こざけ(「濃い酒」の意))」とも呼ばれたようである。
しかし、同じ奈良時代の『播磨国風土記』(716年頃)には、神棚に備えた御饌(みけ:米飯)が水に濡れてカビが生えたので、それを用いて酒を醸して神に捧げ、あと宴を催した」という記述が見えるという。こちらはコウジカビ(麹カビ)の糖化作用を利用した醸造法であり、現代の日本酒製造に相通じるものであり、この当時すでに米を原料に酒を造るころを承知していたようである。このように、奈良時代同時期に口噛みによるものと麹によるものというまったく異なる醸造法が記録されている。
『日本書紀』応神天皇19年(288年)冬10月1日には、“国樔人(くずひと)が醴酒(こざけ)を天皇に奉り、歌を詠んで言った。
「白檮(かし)の生(ふ)に横臼(よくす)を作り横臼に醸(か)みし大御酒(みき)うま(甘)らに聞こしもち食(を)せまろ(我)が父(ち)」。
(樫の林で横臼を造り、その横臼に醸した大御酒を、美味しく召し上がれ、我が父よ。といった意らしい。以下参考の※:「古代史獺祭巻第十」、※:「私本日本書紀:巻十第三話 兄媛の嘆き」等参照)。
「口噛み酒」は、一度に大量に造れない。『日本書紀』のこの記録や前記『魏志倭人伝』の記載等をも勘案すると、この当時大勢の人が多くの量の酒を飲んでいたようでもあり、当時の酒造りの一般的であったものは、口噛みより一歩進んだ技術である麹カビを利用した、後者の方法で造られていたと解する方が良いようだ。前者は、この当時よりもっと古い大隅という辺境の地にたまたま残っていた風習を記録したものと解すべきではないかといわれている(Wikipedia)。
酒を造ることを「かもす(醸す)」と言うが、この言葉は古語である「醸(か)む」が同音の「噛(か)む」」から来た言葉だともいわれている。酒を醸す役目はもともとはもっぱら女性の役目であったようだ。今でも妻のことを「カミサン」と呼ぶのはこの「かむ」からきたといわれているという。また「キサキ(后)」も「酒栄き(きさき)」から出た語で神への供物にするために良い酒が仕上がるように祈る意味が込められているのだとか(以下参考の※:「お酒の事典 月桂冠」”日本酒のいわれ”参照)。
甘酒は、昔から手作りの飲み物として親しまれていたものであるが、今日の雛祭りなどで子供にも飲める用に造られているアルコールド1%未満の甘酒よりは、アルコールドは高かったのではないだろうか?
かつては夏に、冷やしたもの、または、熱したものを暑気払いに飲む習慣があり、俳句では現在でも夏の季語となっているそうだが、現在は冬に温めて飲むのが一般的である。
湯に酒粕を溶いて煮込み、甘味に砂糖を加えれば、造れるので、一般家庭では、このような簡略製法で家で造るところが多いのではないか。その際、酒粕の良し悪しが味の決め手にもなるし、アルコールドにも影響する。良い酒かすで作った甘酒は本当に美味しい。
ビタミンB1 、ビタミンB2、ビタミンB6、パントテン酸、すべての必須アミノ酸、そして大量のブドウ糖が含まれているが、これらの栄養は病院の点滴とほぼ同じ内容であり、ブドウ糖以外は本格製法か上記のような家での簡略製法によるかによる差異も少ないそうだ(製法参照)。
寒い冬には体が温まるの良い飲み物ではあろう。しかし、酒造メーカー巡るなどしたときに貰ったり買ったりしてきた良い酒かすはアルコール度も結構残っているので、美味しいが、酒の弱い人や子供は注意しないといけないよね。
(画像は森永製菓の甘酒)
参考:
※:邪馬台国の会 HP【魏志倭人伝】
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm
※:古代史獺祭 メイン メニュー
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sitemap/sitemap.htm
※:私本日本書紀:目次
http://info.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
※:作家別作品リスト:No.933[折口 信夫]
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html#sakuhin_list_1
※:月桂冠:お酒の事典
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/encyclopedia/index.html
日本酒の歴史 - 志太広域事務組合
http://www.shida.or.jp/book/no2/4_02.asp
甘酒 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%85%92
日本書紀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80
魏志倭人伝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
風土記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
新嘗祭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD
甘酒|森永製菓
http://www.morinaga.co.jp/amazake/
由緒をみると、“日本の伝統的な飲み物であり発酵食品である甘酒の良さ、おいしさを多くの人に知ってもらいたいと、1969年から瓶入りの甘酒を販売してきた森永製菓株式会社が制定。日付は、甘酒は疲れを癒し、身体が温まる飲み物として大寒の頃がもっとも飲まれていることから。”・・・とあった。
甘酒(あまざけ、醴)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろく(濁酒)に類似する白濁液である。
米を酒にするには、大まかな製造工程としては、先ず、蒸した米に麹を加えて、米のデンプンを糖化させると、甘味が得られ、「甘酒」に近いもの出来る。次に、この糖化した米を水と合わせ、乳酸菌で発酵させて甘酸っぱい液体にすると、この時、液が酸性になるため雑菌が死滅する。最後に、これを酵母により発酵させ、糖をアルコールに変えると濁酒(「どぶろく」)になる。「どぶろく」は、米を使った酒類では最も素朴な形態の物と言われ、これを沈殿濾過して透明にすれば清酒になる。
いわば、酒造過程で言えば、どぶろくになる前の状態の最も初期段階の過程で出来るものが甘酒に近いものである。日本で、いつ穀物による醸造酒が造られ始めたかは定かではないが、近年、中国から北九州地方に稲作が渡来したのは、紀元前2~3世紀頃といわれている。その際、麹を利用した酒づくりの方法も含めて伝わっていたのではないかともいわれているが、日本に酒が存在することを示す最古のものは、3世紀に書かれた中国の史書『魏志倭人伝』(中国の正史『三国志』中の「魏書」にかかれている東夷伝倭人条の通称)の倭人の風俗について書かれているところに「人性嗜酒(人の性【情】は、酒をたしなむ)」と記述されているものであるが、この酒が具体的に何を原料とし、またどのような方法で醸造したものなのかまでは、窺い知ることはできないが、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があることも述べおり、ここに酒と宗教が深く関わっていたことを示す記載があることは、酒造りが巫女(みこ)の仕事として始まったことをうかがわせる一つの根拠ともなっているようだ(※:邪馬台国の会 HP【魏志倭人伝】】また、※:古代史獺祭 メインメニューより魏志倭人伝参照)。
日本で最初に米で酒を造った記述が出てくるのは、日本に伝存する最古の正史日本書紀』(720年作成)の神代紀の中のあり、神吾田鹿葦津姫(カムアタカアシツヒメ:『木花開耶姫【コノハナサクヤヒメ、】)が「狭名田(さなだ)の稲を以て、天甜酒(あめのたむざけ)を醸(か)みて、嘗(にへ)す」と記されている。(以下参考の※:「古代史獺祭「日本書紀」メニュー」より卷第二 第九段 一書第三又、参照)
狭名田とは神稲を作るために占いで決めた田のことで、「天甜酒」の「天」は天上界とか神の世界を意味し、「甜酒」は美酒を意味しているそうだ。「嘗(にへ)」とは、神又は天皇陛下の召し上り物、調理した食物の事をいふ。ここで言う「嘗(にへ)」はにいなへ(新嘗)であり、その年の新穀と新酒を神前に供えする儀式を指しているようだ。これは、現在は勤労感謝の日と名を変えている新嘗祭(にいなめさい)のようなものではないか。 新嘗祭は古くから天皇がその年に収穫された新穀や新酒を天照大神(アマテラスオオミカミ)をはじめとする天地の神(天神地祇)に供え農作物の恵みに感謝し、自らも食す儀式であった。以下参考の青空文庫※:「作家別作品リスト:No.933[折口 信夫]」の中の大嘗祭の本義や、ほうとする話 祭りの発生 その一など参照)。記紀神話の時代には、神吾田鹿葦津姫のような酒の神様がたくさんいたようだ。酒づくりの祖神は神吾田鹿葦津姫とその父である大山祇神(オオヤマツミ)。大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)、梅宮大神(京都市右京区)のほか、全国の三島神社の総本山大山祇神社(愛媛県大三島町)、三島鴨神社(大阪府高槻市)などが、この父娘を祭った神社として崇められている。
日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があり、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代(642年)に始められたとされている。
この日本書紀に出てくる「天甜酒」は通説では、米を口で噛んで唾液の中の酵素を利用して造ったいわゆる「口噛(くちか)み酒」と言われているもので、先に酒の製造工程で書いたようなどぶろくになる前の状態の低いアルコール度の甘酒のようなものであったらしい。
ご飯を噛むと、米の中のデンプンが唾液に含まれるアミラーゼ(糖化酵素)の働きでブドウ糖に変わる。これを壷などに入れておくと、ここに空気中の野生酵母が入って来て発酵し、酒になるという原始的な醸造法によるものが「口噛み酒」 だが、 これについての最古の記述は、『三国志』の時代から約500年も後の日本の風土記の1つである『大隅国風土記』逸文(713年以降)にあり、“大隅国(今の鹿児島県東部)では村中の男女が水と米を用意して生米を噛んでは容器に吐き戻し、一晩以上の時間をおいて酒の香りがし始めたら全員で飲む風習があったことが記されており、彼らはその酒を「口嚼ノ酒」と称していたという。この甘酒のようなものは、一晩でできることから「一夜酒(ひとよざけ)」また「醴酒(こさけ、こざけ(「濃い酒」の意))」とも呼ばれたようである。
しかし、同じ奈良時代の『播磨国風土記』(716年頃)には、神棚に備えた御饌(みけ:米飯)が水に濡れてカビが生えたので、それを用いて酒を醸して神に捧げ、あと宴を催した」という記述が見えるという。こちらはコウジカビ(麹カビ)の糖化作用を利用した醸造法であり、現代の日本酒製造に相通じるものであり、この当時すでに米を原料に酒を造るころを承知していたようである。このように、奈良時代同時期に口噛みによるものと麹によるものというまったく異なる醸造法が記録されている。
『日本書紀』応神天皇19年(288年)冬10月1日には、“国樔人(くずひと)が醴酒(こざけ)を天皇に奉り、歌を詠んで言った。
「白檮(かし)の生(ふ)に横臼(よくす)を作り横臼に醸(か)みし大御酒(みき)うま(甘)らに聞こしもち食(を)せまろ(我)が父(ち)」。
(樫の林で横臼を造り、その横臼に醸した大御酒を、美味しく召し上がれ、我が父よ。といった意らしい。以下参考の※:「古代史獺祭巻第十」、※:「私本日本書紀:巻十第三話 兄媛の嘆き」等参照)。
「口噛み酒」は、一度に大量に造れない。『日本書紀』のこの記録や前記『魏志倭人伝』の記載等をも勘案すると、この当時大勢の人が多くの量の酒を飲んでいたようでもあり、当時の酒造りの一般的であったものは、口噛みより一歩進んだ技術である麹カビを利用した、後者の方法で造られていたと解する方が良いようだ。前者は、この当時よりもっと古い大隅という辺境の地にたまたま残っていた風習を記録したものと解すべきではないかといわれている(Wikipedia)。
酒を造ることを「かもす(醸す)」と言うが、この言葉は古語である「醸(か)む」が同音の「噛(か)む」」から来た言葉だともいわれている。酒を醸す役目はもともとはもっぱら女性の役目であったようだ。今でも妻のことを「カミサン」と呼ぶのはこの「かむ」からきたといわれているという。また「キサキ(后)」も「酒栄き(きさき)」から出た語で神への供物にするために良い酒が仕上がるように祈る意味が込められているのだとか(以下参考の※:「お酒の事典 月桂冠」”日本酒のいわれ”参照)。
甘酒は、昔から手作りの飲み物として親しまれていたものであるが、今日の雛祭りなどで子供にも飲める用に造られているアルコールド1%未満の甘酒よりは、アルコールドは高かったのではないだろうか?
かつては夏に、冷やしたもの、または、熱したものを暑気払いに飲む習慣があり、俳句では現在でも夏の季語となっているそうだが、現在は冬に温めて飲むのが一般的である。
湯に酒粕を溶いて煮込み、甘味に砂糖を加えれば、造れるので、一般家庭では、このような簡略製法で家で造るところが多いのではないか。その際、酒粕の良し悪しが味の決め手にもなるし、アルコールドにも影響する。良い酒かすで作った甘酒は本当に美味しい。
ビタミンB1 、ビタミンB2、ビタミンB6、パントテン酸、すべての必須アミノ酸、そして大量のブドウ糖が含まれているが、これらの栄養は病院の点滴とほぼ同じ内容であり、ブドウ糖以外は本格製法か上記のような家での簡略製法によるかによる差異も少ないそうだ(製法参照)。
寒い冬には体が温まるの良い飲み物ではあろう。しかし、酒造メーカー巡るなどしたときに貰ったり買ったりしてきた良い酒かすはアルコール度も結構残っているので、美味しいが、酒の弱い人や子供は注意しないといけないよね。
(画像は森永製菓の甘酒)
参考:
※:邪馬台国の会 HP【魏志倭人伝】
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm
※:古代史獺祭 メイン メニュー
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sitemap/sitemap.htm
※:私本日本書紀:目次
http://info.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
※:作家別作品リスト:No.933[折口 信夫]
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html#sakuhin_list_1
※:月桂冠:お酒の事典
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/encyclopedia/index.html
日本酒の歴史 - 志太広域事務組合
http://www.shida.or.jp/book/no2/4_02.asp
甘酒 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%85%92
日本書紀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80
魏志倭人伝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
風土記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
新嘗祭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD
甘酒|森永製菓
http://www.morinaga.co.jp/amazake/