衆院解散にともない、各政党組織が選挙モードに突入している。ところが、日本にとって極めて重要な、沖縄米軍基地問題に関する政策ほとんど議論されていない。政権を争う野田民主党も安倍自民党も日米同盟重視の姿勢を示しているにもかかわらず、である。米軍人の犯罪問題、オスプレー配備・訓練の問題、基地移転の問題は、打つ手がないということなのであろうか。日本の国益に反すると思われるこうした問題を取り上げない理由が分からない。
アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺では、オスプレイの低空飛行訓練に反対の声が上がり、オスプレイの低空飛行訓練中止や訓練の見直しが決定された、という報道がなされた。アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺よりはるかに人口密集地域であり、危険性の高い普天間飛行場へのオスプレー配備や訓練強行を、問題にしない理由があるのだろうか。
また、1995年以来、沖縄が繰り返し要求し、誰が考えても一方的内容の「地位協定」の見直しは、なぜ一向に進まないのだろうか。下記は、沖縄返還時の日米取り引きの一つである。日米同盟とは何なのかと考えさせられる。
琉球大学の我部政明教授が入手した、沖縄返還に関わる米国防総省の文書には、驚くべきことが書かれている。下記に抜粋した、「日本政府が国民に語った内訳」の中にある。
沖縄返還にあたって、日本が米国に支払う「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」というのである。「民政用資産の売却費1億7,500万ドル」以外は、日本から奪い取った、と言っているに等しいのではないかと思う。日本政府は、その3億2,000万ドルの内訳を、民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000万ドル、労務関係費に7,500万ドルと説明しているのである。因みに、日本政府が米軍の核兵器撤去費として計上した7、000万ドルについては、米側文書では、核撤去に太平洋陸軍情報学校移転費を含め500万ドルであり、10分の1以下である。西山記者が暴露した400万ドルの「密約」をはるかに超える裏取り引きがなされていたという事実を、どのように考えればいいのだろう。
アジア諸国に対しては一歩も譲らない日本が、なぜこうした取り引きを密かに交わすのであろう。日米は、ほんとうに同盟関係にあるのだろうか。「沖縄返還とは何だったのかー日米戦後交渉史の中で」我部政明(日本放送協会)からの抜粋である。
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第6章 もうひとつの密約
返還協定と覚書との3億500万ドルの差額
1971年6月17日に調印され、最終的な日米合意となる沖縄返還協定(1972年5月15日発効)は、その第7条で日本政府が米政府に支払うべき金額についてつぎのように定めている。
返還にともなって、①日本政府へ移管する米政府の財産の買い取り、②日本の非核三原則に背馳しないよう沖縄から核兵器を撤去する費用、そして③沖縄の軍雇用員への退職金を本土並みに引き上げるための資金を日本政府が肩代わりするために、日本政府は「この協定の効力発生の日から5年の期間にわたり、合衆国ドルでアメリカ合衆国政府に対し、総額3億2,000万ドルを支払うとなっている。その内訳は、米資産の買い取りとして、1億7,500万ドル、核撤去費として7,000万ドル、軍雇用員関連費として7,500万ドルだと、日本政府は説明した。
それに対し、1969年11月12日に、福田とジューリックとの間で確認され、12月2日にイニシャルで柏木・ジューリック間で署名された秘密覚書では、総額4億6,500万ドルの米側の受け取りとなっている。
同年11月10日、東京の米大使館が秘密覚書についての最終承認を国務省へ求めた電報によれば、民政用・共同使用の資産買い取り用に1億7,500万ドル、基地移転費及びその他費用に2億ドル、通貨交換に少なくても6,000万米ドル(交換される額がそれ以上の場合は、その実際の額)の連邦準備銀行へ25年間無利子の預金(利息分を含むと1億1,200万ドル)、軍雇用員の社会保障費に3,000万ドル、合計で5億1,700万ドル、これらに加えて返還後5年にわたる米政府予算の節約分、琉球銀行の株式や石油・油脂施設などの売却益を加えて、米側の得る、財政・経済的利益は、6億8,500万ドルと見積もられていた。返還にともなって米政府の受け取る利益は、返還協定で明示された、日本政府が支払う金額に比べ、3億500万ドル多い金額だったのである。
なぜ、返還協定と柏木・ジューリック覚書との間に金額の隔たりがあるのか。それは、日本国内で、説明のつきにくい支払いを含むものだったからである。そのため、日本政府はこの覚書の存在を秘密としなければならなかった。後述する民政用資産のように国民に説明可能な支払い項目については、公表している。むしろ、明らかにすることで、日本政府は米政府への支払い金額の正当性を国民から得ようとしたのであろう。また、返還合意に達する佐藤・ニクソン会談前に返還にともなう財政・経済取決に合意したことは、政治・外交的努力というよりも、お金で「沖縄を買い取った」との印象を日本の国民に与えるため、佐藤政権にとって覚書そのものを隠さざるを得なかった。
日本からアメリカへの3つの補償費の内訳
その後の返還協定までの日米交渉にとって何が問題となったのであろうか。結論を先に述べると、この秘密覚書をどのように実施に移すのかが財政・経済の側面での返還協定交渉であったといえる。
そもそも、秘密の支出を含めて日米間の財政・経済取決には、個々の積算根拠は存在しない。米政府の財政・経済取決の目標は、返還にともなう費用とその後の米軍の経費を軽減するために、一括して日本政府に支払わせることであった。その支払い額を最大化するために、米政府がこれまで基地建設のために投入した費用に加え、米援助によって整備されてきた水道、電力など沖縄の人々に帰属する資産なども日本政府への売却対象とされたのである。たとえば、米政府が琉球住民へ贈ったことを記した銅板プレートで玄関を飾った行政ビル(現在の県庁ビルがたっている場所にあった)さえも売却対象としたのである。さらに、返還にともない当時沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換するため、日本政府のドル保有を高め、米国の国際収支を悪化させることが予想された。そのため、米政府のもう一つの関心事は、通貨交換後の米ドルの処理にあった。
日本政府から米政府へのお金のフローには、3つの金額が存在することになる。まず日本政府が説明した内訳。そして、米政府が日本政府に要求した際の内訳。最後に、支払われた金額の実際の使途。たとえば核撤去費用のように使途が判明するのは一部で、「基地の移転費及びその他」2億ドルと、通貨交換後に預金されたドルの行方の2つについては、これまで秘密のベールに包まれてきた。
2つの金額の比較 (略)
本土にも使われた基地移転費 (略)
移転費用の本当の意図 (略)
地位協定と別個に位置づけられた移転費 (略)
「思いやり予算」のスタート (略)
返還協定に記されていない3億2000万ドルの内訳
東京にて日本政府との間で「防衛引継ぎ作業」を任務とする米軍沖縄故障チーム(USMILRONT)が作成した1972年6月15日付けの報告書がある。これまでの研究でほとんど言及されたことのない文書だ。返還後にまとめらている文書なので、返還交渉の結果を垣間見ることができる。
それによれば当初、日本政府は返還にともない、3億7,500万ドルを支払うことを合意していた。そのうち、1億7,500万ドルを現金、残りの2億ドルを沖縄に於ける基地建設のための物品及び役務による支払いとしていた。米軍が日本本土や沖縄に2億ドル分の新たな基地を必要としなかったことから、現金で3億ドルと物品及び役務で7,500万ドルへと変更された。その後、日本政府の負担するVOA(ヴィナス・オブ・アメリカ)の移転費と請求補償費を合わせて2,000万ドルの現金支払いが加わり、現金で合計3億2,000万ドルとなった。
この現金が、返還協定第7条において明記された3億2,000万ドルである。その内訳として、まず、民政用資産費の1億7,500万ドル、増大する労務費6,200万ドル、核兵器撤去費500万ドル、VOAの移転費1,600万ドル、請求補償費(感謝費)400万ドル、使途を明らかにしない支出5,800万ドル、合計3億2,000万ドル。だが、その内訳は同協定には記されていない。
同報告書によれば、VOAの撤去が行われない場合には、以下に述べる秘密の施設改善費6,500万ドルから撤去費の1,600万ドを差し引くこととなっている。
ここでいう請求補償費とは、返還以前に米政府が沖縄の人々に認めた請求権(土地の賃借権、琉球土地裁判所の管轄する請求権、労働災害の補償請求などのほかに、講和前に米軍によって於けた損害のうち原状回復費用)を有効とし、返還後も政府に自発的な支払いを定めたことをさしている。同報告書によれば、沖縄から強い要求を受けた日本政府は、これらの請求権を放棄できないため、最終的に補償費用を日本政府が肩代わりすることを条件にして、返還協定に米政府の支払う条項を入れることになったという。その費用が、400万ドルである。西山記者がスクープした費用である。
増大する労務費の6,200万ドルは、つぎのような内訳であった。本土と同様に日本政府との基本労務契約(MLC)の適用を沖縄の基地従業員が受けることにともなう給与の上昇分として2,000万ドル。残る4,200万ドルは、返還後5年(1977─78会計年度まで)の間に上昇すると見積もられた基地従業員の給与及び手当であった。
返還協定で記された3億2,000万ドル以外に、秘密扱いとされる財政・経済取決が存在する。日本政府が物品及び役務で支払うとされた7,500万ドルである。内訳は、物品及び役務による基地の改善費としての6,500万ドルと、労務管理費としての1,000万ドル(毎年200万ドルで5年間)である。
そして、返還以前の沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換した後のドルの取り扱いである。通貨交換後の米ドル11,200万ドルを25年間無利子で米ニューヨーク連邦準備銀行へ預金することになった。
日本政府が国民に語った内訳
日本政府は3億2,000万ドルの内訳をつぎのように説明した。民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000面ドル、労務関係費に7,500万ドルと。日本政府は全く異なる数字でもって国民に語ったことになる。冒頭に述べた「機密漏洩」裁判で疑惑とされた「密約」は、3億2,000万ドルに含まれて存在している。またVOA移転費も計上している。それ以外にも、地位協定第24条2項をねじまげて6,500万ドルの施設改善費を支払ったのである。さらに、沖縄で流通していた米ドルを、通貨交換後に米ニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預金した。沖縄返還にともなう財政取決のすべてが、国民の目の届かぬ秘密とされてきたのである。
沖縄返還協定を審議するために開かれる米上院での公聴会に向けて、国防総省の作成した想定問答集が手元にある。3億2,000万ドルについての日本政府の説明について公聴会で質問が出た場合には、つぎのように回答することにしていた。「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き、3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」
米政府の得た利益──6億ドル余り
返還にともなう財政・経済取決において、米政府は充分に満足ゆく成果を獲得した。返還協定第7条と秘密合意により、現金あるいは物品及び役務により3億9,500万ドルを得たばかりでなく、通貨交換後において1億ドル以上の米ドルで無利子で預金させ、国際収支の悪化を防いだ。さらに、日本へ施政権を返還することで年間2,000万ドルの対沖縄援助の負担から米政府は開放された。軍用地賃貸料の日本政府負担を定めた地位協定の沖縄適用にともなって、それまで米政府の支払ってきた年間1,000万ドルが節約となった。地位協定において基地返還の際に原状回復が義務づけられていないため、約2,000万ドルの負担がなくなる。沖縄の施政権を返還することにともなって、1972年から1977年までの間に、総額で6億4,500万ドルの利益を米政府は獲得したのである。この6億ドル余りという金額は、1945年以来、27年間の間に米政府が沖縄に投入した総費用に匹敵する。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。
アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺では、オスプレイの低空飛行訓練に反対の声が上がり、オスプレイの低空飛行訓練中止や訓練の見直しが決定された、という報道がなされた。アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺よりはるかに人口密集地域であり、危険性の高い普天間飛行場へのオスプレー配備や訓練強行を、問題にしない理由があるのだろうか。
また、1995年以来、沖縄が繰り返し要求し、誰が考えても一方的内容の「地位協定」の見直しは、なぜ一向に進まないのだろうか。下記は、沖縄返還時の日米取り引きの一つである。日米同盟とは何なのかと考えさせられる。
琉球大学の我部政明教授が入手した、沖縄返還に関わる米国防総省の文書には、驚くべきことが書かれている。下記に抜粋した、「日本政府が国民に語った内訳」の中にある。
沖縄返還にあたって、日本が米国に支払う「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」というのである。「民政用資産の売却費1億7,500万ドル」以外は、日本から奪い取った、と言っているに等しいのではないかと思う。日本政府は、その3億2,000万ドルの内訳を、民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000万ドル、労務関係費に7,500万ドルと説明しているのである。因みに、日本政府が米軍の核兵器撤去費として計上した7、000万ドルについては、米側文書では、核撤去に太平洋陸軍情報学校移転費を含め500万ドルであり、10分の1以下である。西山記者が暴露した400万ドルの「密約」をはるかに超える裏取り引きがなされていたという事実を、どのように考えればいいのだろう。
アジア諸国に対しては一歩も譲らない日本が、なぜこうした取り引きを密かに交わすのであろう。日米は、ほんとうに同盟関係にあるのだろうか。「沖縄返還とは何だったのかー日米戦後交渉史の中で」我部政明(日本放送協会)からの抜粋である。
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第6章 もうひとつの密約
返還協定と覚書との3億500万ドルの差額
1971年6月17日に調印され、最終的な日米合意となる沖縄返還協定(1972年5月15日発効)は、その第7条で日本政府が米政府に支払うべき金額についてつぎのように定めている。
返還にともなって、①日本政府へ移管する米政府の財産の買い取り、②日本の非核三原則に背馳しないよう沖縄から核兵器を撤去する費用、そして③沖縄の軍雇用員への退職金を本土並みに引き上げるための資金を日本政府が肩代わりするために、日本政府は「この協定の効力発生の日から5年の期間にわたり、合衆国ドルでアメリカ合衆国政府に対し、総額3億2,000万ドルを支払うとなっている。その内訳は、米資産の買い取りとして、1億7,500万ドル、核撤去費として7,000万ドル、軍雇用員関連費として7,500万ドルだと、日本政府は説明した。
それに対し、1969年11月12日に、福田とジューリックとの間で確認され、12月2日にイニシャルで柏木・ジューリック間で署名された秘密覚書では、総額4億6,500万ドルの米側の受け取りとなっている。
同年11月10日、東京の米大使館が秘密覚書についての最終承認を国務省へ求めた電報によれば、民政用・共同使用の資産買い取り用に1億7,500万ドル、基地移転費及びその他費用に2億ドル、通貨交換に少なくても6,000万米ドル(交換される額がそれ以上の場合は、その実際の額)の連邦準備銀行へ25年間無利子の預金(利息分を含むと1億1,200万ドル)、軍雇用員の社会保障費に3,000万ドル、合計で5億1,700万ドル、これらに加えて返還後5年にわたる米政府予算の節約分、琉球銀行の株式や石油・油脂施設などの売却益を加えて、米側の得る、財政・経済的利益は、6億8,500万ドルと見積もられていた。返還にともなって米政府の受け取る利益は、返還協定で明示された、日本政府が支払う金額に比べ、3億500万ドル多い金額だったのである。
なぜ、返還協定と柏木・ジューリック覚書との間に金額の隔たりがあるのか。それは、日本国内で、説明のつきにくい支払いを含むものだったからである。そのため、日本政府はこの覚書の存在を秘密としなければならなかった。後述する民政用資産のように国民に説明可能な支払い項目については、公表している。むしろ、明らかにすることで、日本政府は米政府への支払い金額の正当性を国民から得ようとしたのであろう。また、返還合意に達する佐藤・ニクソン会談前に返還にともなう財政・経済取決に合意したことは、政治・外交的努力というよりも、お金で「沖縄を買い取った」との印象を日本の国民に与えるため、佐藤政権にとって覚書そのものを隠さざるを得なかった。
日本からアメリカへの3つの補償費の内訳
その後の返還協定までの日米交渉にとって何が問題となったのであろうか。結論を先に述べると、この秘密覚書をどのように実施に移すのかが財政・経済の側面での返還協定交渉であったといえる。
そもそも、秘密の支出を含めて日米間の財政・経済取決には、個々の積算根拠は存在しない。米政府の財政・経済取決の目標は、返還にともなう費用とその後の米軍の経費を軽減するために、一括して日本政府に支払わせることであった。その支払い額を最大化するために、米政府がこれまで基地建設のために投入した費用に加え、米援助によって整備されてきた水道、電力など沖縄の人々に帰属する資産なども日本政府への売却対象とされたのである。たとえば、米政府が琉球住民へ贈ったことを記した銅板プレートで玄関を飾った行政ビル(現在の県庁ビルがたっている場所にあった)さえも売却対象としたのである。さらに、返還にともない当時沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換するため、日本政府のドル保有を高め、米国の国際収支を悪化させることが予想された。そのため、米政府のもう一つの関心事は、通貨交換後の米ドルの処理にあった。
日本政府から米政府へのお金のフローには、3つの金額が存在することになる。まず日本政府が説明した内訳。そして、米政府が日本政府に要求した際の内訳。最後に、支払われた金額の実際の使途。たとえば核撤去費用のように使途が判明するのは一部で、「基地の移転費及びその他」2億ドルと、通貨交換後に預金されたドルの行方の2つについては、これまで秘密のベールに包まれてきた。
2つの金額の比較 (略)
本土にも使われた基地移転費 (略)
移転費用の本当の意図 (略)
地位協定と別個に位置づけられた移転費 (略)
「思いやり予算」のスタート (略)
返還協定に記されていない3億2000万ドルの内訳
東京にて日本政府との間で「防衛引継ぎ作業」を任務とする米軍沖縄故障チーム(USMILRONT)が作成した1972年6月15日付けの報告書がある。これまでの研究でほとんど言及されたことのない文書だ。返還後にまとめらている文書なので、返還交渉の結果を垣間見ることができる。
それによれば当初、日本政府は返還にともない、3億7,500万ドルを支払うことを合意していた。そのうち、1億7,500万ドルを現金、残りの2億ドルを沖縄に於ける基地建設のための物品及び役務による支払いとしていた。米軍が日本本土や沖縄に2億ドル分の新たな基地を必要としなかったことから、現金で3億ドルと物品及び役務で7,500万ドルへと変更された。その後、日本政府の負担するVOA(ヴィナス・オブ・アメリカ)の移転費と請求補償費を合わせて2,000万ドルの現金支払いが加わり、現金で合計3億2,000万ドルとなった。
この現金が、返還協定第7条において明記された3億2,000万ドルである。その内訳として、まず、民政用資産費の1億7,500万ドル、増大する労務費6,200万ドル、核兵器撤去費500万ドル、VOAの移転費1,600万ドル、請求補償費(感謝費)400万ドル、使途を明らかにしない支出5,800万ドル、合計3億2,000万ドル。だが、その内訳は同協定には記されていない。
同報告書によれば、VOAの撤去が行われない場合には、以下に述べる秘密の施設改善費6,500万ドルから撤去費の1,600万ドを差し引くこととなっている。
ここでいう請求補償費とは、返還以前に米政府が沖縄の人々に認めた請求権(土地の賃借権、琉球土地裁判所の管轄する請求権、労働災害の補償請求などのほかに、講和前に米軍によって於けた損害のうち原状回復費用)を有効とし、返還後も政府に自発的な支払いを定めたことをさしている。同報告書によれば、沖縄から強い要求を受けた日本政府は、これらの請求権を放棄できないため、最終的に補償費用を日本政府が肩代わりすることを条件にして、返還協定に米政府の支払う条項を入れることになったという。その費用が、400万ドルである。西山記者がスクープした費用である。
増大する労務費の6,200万ドルは、つぎのような内訳であった。本土と同様に日本政府との基本労務契約(MLC)の適用を沖縄の基地従業員が受けることにともなう給与の上昇分として2,000万ドル。残る4,200万ドルは、返還後5年(1977─78会計年度まで)の間に上昇すると見積もられた基地従業員の給与及び手当であった。
返還協定で記された3億2,000万ドル以外に、秘密扱いとされる財政・経済取決が存在する。日本政府が物品及び役務で支払うとされた7,500万ドルである。内訳は、物品及び役務による基地の改善費としての6,500万ドルと、労務管理費としての1,000万ドル(毎年200万ドルで5年間)である。
そして、返還以前の沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換した後のドルの取り扱いである。通貨交換後の米ドル11,200万ドルを25年間無利子で米ニューヨーク連邦準備銀行へ預金することになった。
日本政府が国民に語った内訳
日本政府は3億2,000万ドルの内訳をつぎのように説明した。民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000面ドル、労務関係費に7,500万ドルと。日本政府は全く異なる数字でもって国民に語ったことになる。冒頭に述べた「機密漏洩」裁判で疑惑とされた「密約」は、3億2,000万ドルに含まれて存在している。またVOA移転費も計上している。それ以外にも、地位協定第24条2項をねじまげて6,500万ドルの施設改善費を支払ったのである。さらに、沖縄で流通していた米ドルを、通貨交換後に米ニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預金した。沖縄返還にともなう財政取決のすべてが、国民の目の届かぬ秘密とされてきたのである。
沖縄返還協定を審議するために開かれる米上院での公聴会に向けて、国防総省の作成した想定問答集が手元にある。3億2,000万ドルについての日本政府の説明について公聴会で質問が出た場合には、つぎのように回答することにしていた。「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き、3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」
米政府の得た利益──6億ドル余り
返還にともなう財政・経済取決において、米政府は充分に満足ゆく成果を獲得した。返還協定第7条と秘密合意により、現金あるいは物品及び役務により3億9,500万ドルを得たばかりでなく、通貨交換後において1億ドル以上の米ドルで無利子で預金させ、国際収支の悪化を防いだ。さらに、日本へ施政権を返還することで年間2,000万ドルの対沖縄援助の負担から米政府は開放された。軍用地賃貸料の日本政府負担を定めた地位協定の沖縄適用にともなって、それまで米政府の支払ってきた年間1,000万ドルが節約となった。地位協定において基地返還の際に原状回復が義務づけられていないため、約2,000万ドルの負担がなくなる。沖縄の施政権を返還することにともなって、1972年から1977年までの間に、総額で6億4,500万ドルの利益を米政府は獲得したのである。この6億ドル余りという金額は、1945年以来、27年間の間に米政府が沖縄に投入した総費用に匹敵する。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。