東京裁判における日本人被告は、全員無罪という意見書(『パル判決書』)を書いたパル判事も、「通例の戦争犯罪」については、慣習法上交戦国が、罪を犯した敵国の軍人または私人を捕らえたとき、軍法会議に付して、処罰する権利を認めています。したがって、日本軍B・C級戦犯が、各連合国内の裁判で、国際法に反する残虐行為などの罪によって処刑されたことは問題にしていません。ただ、戦勝国による極東国際軍事裁判(東京裁判)に関しては、政治的色彩が濃い検察側主張に、多くの点で異を唱えているのです。
『パル判決書』の文章は、私にはきわめて難解で読みづらいのですが、なぜパル判事が東京裁判の日本人被告について「本官は各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部について無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張するものである」と主張したのか、少しでも理解を深めたいと思い、無罪勧告につながると考えられるいくつかの文章を抜粋しました。
まず、東京裁判において検察側が、「日本が、国際法、条約、協定または保障に違背せる侵略戦争を計画し、準備し、開始または実行した」と主張して、当時の軍や政府の関係者を訴追したことに対し、下記の「(5)侵略戦争 ─ パリ条約のために犯罪とされたか」で、パリ不戦条約をはじめとする当時の国際法では、確かに侵略戦争は犯罪であるとされていたが、「自衛戦争」とは何か、ということについては、戦争当事国の判断にゆだねられていたという事実を指摘しています。したがって、当時の国際法では、日本側が自ら侵略戦争を進めていたと認めないかぎり、被告を有罪にはできないという考え方なのだと思います。重要な指摘だと思います。同時に、パル判事が問題にしていることが、日本の戦争が侵略戦争あったかどうかということではなく、純粋に法の問題であることも、しっかり踏まえなければならないと思います。
次に、「(6) 侵略戦争 ─ その他の理由によって犯罪とされたか」の中の「(ロ) 国際法は進歩する法であるから」で、パル判事は、第二次世界大戦前、国際連盟設立のための決議の起案委員会の会合において、日本代表の牧野男爵が、連盟の基本原則として、各国民平等の宣言をなすように決議案を提出したにもかかわらず、英国が反対し不採択になった事実をあげ、現在は、一国家が他国家の征服支配の準備をすることは、最悪の犯罪であると主張されているが、第二次大戦前には、そうした考え方は受け入れられなかったと指摘しています。戦いが終わった後に、戦勝国が戦敗国の戦争指導者の個人的責任を問い、有罪として刑に処することは、事後法による処刑であるということで、これも重要な指摘であると思います。第二次世界大戦当時の国際法の下では、戦争を指導した日本人被告を刑に処することはできないということだと思います。
また、『パル判決書』の中で見逃すことができないのは、原子爆弾投下に関する文章です。「第六部 厳密なる意味における戦争犯罪」「(二十)フィリピン群島」の中の一部を抜粋しましたが、「非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である」と、戦後間もない時期に、勇気をもって原子爆弾投下を指弾しています。「非戦闘員の生命財産の無差別破壊」の命令は、明らかに国際法に反するものではないかということです。そして、「われわれの考察のもとにある太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書翰に示されていることに近いものがあるとするならば、それは連合国によって為された原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定にたいする判決は後世がくだすであろう」とも指摘しています。したがって、現在を生きるわれわれが、原子爆弾投下をいつまでも不問に付すことなく、一日も早く当時の国際法に反する罪として正当な判決を下さなければならないのだと思います。
下記は、『「共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)からの抜粋です。
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第一部 予備的法律問題
(H)侵略戦争 ─ 犯罪であるか
(5)侵略戦争 ── パリ条約のために犯罪とされたか
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本官の了解するところによれば、パリ条約によって締約国が国際的政策の手段としての戦争を放棄したその瞬間から、どこの国も戦争を行う権利を失い、そのために一つの権利としての戦争は、国際生活から駆逐されたのであるとライト卿はいおうと欲しているようである。
そうなると、今後どんな国でも、戦争ということを考える場合には、その行動を正当化しなければならない。そうしなければその国は一つの犯罪を犯すことになるのである。けだし戦争というものは、その本質からして犯罪的行為をともなうものであるからである。戦争は自衛のために必要になった場合にだけ、正当化することができるのである。そこで侵略戦争は、自衛のための戦争ではないから、それを正当化することができず、したがって犯罪となるのである。
もし右条約になんらの留保条項がなかったとすれば、右に述べたことはおそらくそのとおりであろう。しかし困ったことには、パリ条約は、自衛戦とはなにかという問題を当事国自身の決定─それは世界の輿論を不利にする危険をおかすだけのことである─にゆだねたので、この点に関するその効果を全然消滅させてしまったのである。本官の意見では、どのような規則によるにしても、ただ当事国だけが、自己の行動を正当化しうるものであるか否かを、判定するものとして許されている場合には、その行動は正当な理由を要求するどのような法律にたいしても、その圏外に立つものであり、またその行動の法的性格は依然として、そのいわゆる規則によって影響されることはないのである。
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(6) 侵略戦争 ─ その他の理由によって犯罪とされたか
(ロ) 国際法は進歩する法であるから
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国際生活上広く行われている「人道の観念の絶えざる拡大」に関して述べることは、つぎのことに尽きる。すなわち、すくなくとも第二次大戦前においては、列強はなんら、かような兆候を示さなかったということである。それについては、国際連盟設立のための決議の起案委員会の会合において起こったことを、一例としてあげればよい。すなわち日本代表の牧野男爵が、連盟の基本原則として、各国民平等の宣言をなすように決議案を提出したさいに起こったことがそれである。英国のロバート・セシル卿は、これをもってきわめて論争の的となりやすいものであると言明し、これは「英帝国内において、きわめてゆゆしい問題を惹き起こすものである」という理由によって、同決議案に反対したのである。同決議案は不採択を宣せられた。すなわちウイルソン大統領は一部諸国の容易ならぬ反対に鑑み、これは可決されないものと認めると決定したのである。
以上のことに、もしもつぎのこと、すなわちその後も依然として一国による他国の支配が存続し、諸国家の隷属が依然として指弾されることなしに、広く行われ、かついわゆる国際法団体はかような一国の支配を、たんに支配国家の国内問題であると看なしつづけているという事実を加えるならば、かような団体が、人道の基礎とするものであると、たとえ、うわべだけででもいうことが、どうしてできるのか本官にはわからない。この点に関して本官は、ニュルンベルクにおいてジャクソン検事が最終論告で主張したことに、言及しないわけに行かない。同検事によれば、一国家が、他国家の征服支配の準備をすることは、最悪の犯罪である。現在ではこれがそのとおりであるかもしれない。しかし第二次大戦前には、いやしくも強国として、かような企画ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言いうるか、本官には理解することができない。本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたということではなくて、第二次大戦前には、国際社会はまだ上述のような汚点を犯罪とするほど、発展をとげていなかったと考えたという意味である。
第二次大戦中において、原子爆弾はその敵国の都市破壊よりも、より完全に、利己的な国家主義ならびに孤立主義の最後の防壁を破壊したといわれている。これによって一つの時代が終わりを告げ、つぎの時代─すなわち新しい、そして予測することのできない精神時代が始まったと信ぜられている。
「1945年8月6日および9日に、広島、長崎の両市を木っ端微塵にした、かの爆破のごときは、いまだかつて地球上で起こったことがないことはもちろん、太陽や星においても、すなわちウラニウムよりはるかに緩慢に発散されるエネルギーの源から燃焼しつつある太陽や星においてもなかったことである」。
これは『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の科学記者ジョン・J・オニールが述べたところである。かれはさらにいわく、
「広島に落下した原子爆弾は、一瞬にしてわれわれの伝統的な経済的、政治的、軍事的諸価値を一変した。それは戦争技術の革命を惹き起こし、われわれをしてすべての国際問題を即刻考えなおさずにはいられないようにしたのである」。
これらの爆破によって「すべての人間がたんに国内問題だけでなく、全世界の問題にも利害関係をもつということ」を人類は痛感させられたであろう。おそらくこれらの爆発物はわれわれの胸中に、全人類は一体であるという感じ─すなわり、
「われわれは人類として一体をなすものであって、これらの爆発の悪魔のような熱のうちに、完全に溶解され化合したきずなによって、われわれすべての人類は、人種、信仰ないし皮膚の色のいかんを問わず結びつけられているのである」。
という感じを目覚めさせたであろう」。
これはすべて、これらの爆発の結果、生まれたものであるかもしれない。しかしたしかにこれらの感情は、爆弾の投下されたそのときには、存在しなかったものである。本官自身としては原子爆弾を投下した人間が、それを正当化しようとして使った言葉の中に、かような博い人道観を見出すことはできない。事実、第一次世界大戦中、戦争遂行にあたってみずから指令した残忍な方法を正当化するために、ドイツ皇帝が述べたといわれている言葉と、第二次大戦後これらの非人道的な爆撃を正当化するために、現在唱えられている言葉との間には、そして差異があるとは本官は考えられないのである。
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国際社会というものがあるとしたならば、それが病気にかかっていることは疑いない。おそらくは国際団体を構成する諸国家は、計画社会への過渡期にあるというのが、現在の事態であるともいえよう。
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第六部 厳密なる意味における戦争犯罪
(二十)フィリピン群島
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しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。そのなかで生きて逮捕されたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている。かような表が長文にわたっているということ自体が、すべてのかかる暴行の容疑者にたいして、どこにおいてもけっして誤った酌量がなされなかったということについて、十分な保証を与えてくれるものである。しかしながら、現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。
本件の当面の部分に関するかぎり、訴因第五十四において、訴追されているような命令・授権・または許可が与えられたという証拠は絶無である。訴因第五十三にあげられ、訴因第五十四に訴追されているような犯行を命じ、授権し、または許可したという主張を裏づける材料は記録にはまったく載っていない。この点において、本裁判の対象である事件は、ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠により立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。
本官がすでに指摘したように、ニュルンベルク裁判では、あのような無謀にして無残な方法で戦争を遂行することが、かれらの政策であったということを示すような重大な戦争犯罪人から発せられた多くの命令、通牒および指令が証拠として提出されたのである。われわれは第一次欧州大戦中にも、またドイツ皇帝がかような指令を発したとの罪に問われていることを知っている。
ドイツ皇帝ウイルヘルム二世は、かの戦争の初期に、オーストリア皇帝フランツ・ジョセフにあてて、つぎのようなむねを述べた書翰を送ったと称せられている。すなわち、
「予は断腸の思いである。しかしすべては火と剣の生贄とされなければならない。老若男女を問わず殺戮し、一本の木でも、一軒の家でも立っていることを許してはならない。フランス人のような堕落した国民に影響を及ぼしうるただ一つのかような暴虐をもってすれば、戦争は二ヶ月で終焉するであろう。ところが、もし予が人道を考慮することを容認すれば、戦争はいく年間も長びくであろう。したがって予は、みずからの嫌悪の念をも押しきって、前者の方法を選ぶことを余儀なくされたのである」。
これはかれの暴虐な政策を示したものであり、戦争を短期に終わらせるためのこの無差別殺人の政策は、一つの犯罪と考えられたのである。
われわれの考察のもとにある太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書翰に示されていることに近いものがあるとするならば、それは連合国によって為された原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定にたいする判決は後世がくだすであろう。
かような新兵器使用にたいする世人の感情の激発というものが不合理であり、たんに感傷的であるかどうか、また国民全体の戦争遂行の意志を粉砕することをもって勝利をうるという、かような無差別殺戮が、法に適ったものとなったかどうかを歴史が示すであろう。
「原子爆弾は戦争の性質および軍事目的遂行のための合法的手段にたいするさらに根本的な究明を強要するもの」となったか否かを、いまのところ、ここにおいて考慮する必要はない。
非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である。このようなものを現在の被告の所為には見出しえないのである。
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