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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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自由民主党憲法改正草案に込められた思い

2021年05月09日 | 国際・政治

 「前文」に続いて、それぞれの条文についても、現在の日本国憲法と比較して、いくつか問題点をあげておきたいと思います。

 まず、第一章の「天皇」に関する部分についてですが、改正案では
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 となっています。現在の日本国憲法では
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
となっており、”日本国の元首であり”という文言が追加されていることが分かります。私は、そこにも、”現在の日本国憲法を改正したい”という自由民主党の強い思いが込められているような気がします。
 現在の日本国憲法では、天皇は”国政に関する権能を有しない”と定められているのに、なぜ、その文言と矛盾するような、”日本国の元首であり”を追加するのかということを考えるとき、憲法で天皇を「元首」と定め、将来、それを根拠として国政に関与する権限を持たせようとする意図があるのではないかと疑わざるを得ません。天皇の行為については、現在すでに、「国事行為」でも「私的行為」でもない、「公的行為」がなし崩し的に行われるようになっているという指摘もあるのです。

 もともと、「象徴」とはいえ、「基本的人権の尊重」や「国民主権」を定めた日本国憲法に、「天皇」に関する条項がもうけられたこと自体に矛盾があり問題があったと、私は思います。そして、敗戦後の日本に天皇制が残され、大日本帝国憲法にならって、日本国憲法の第一章が「天皇」に関する条項になった経緯を考えると、”日本国の元首であり”という追加部分には、戦前の「皇国日本」にちかい日本国にしようとする自由民主党の並々ならぬ思いが込められており、追加部分を根拠として、天皇の行為が次第に広がり、天皇の存在がいろいろな場面で、一層重視される国になっていくような気がするのです。そして再び、天皇が政治的に利用されることを、私は恐れます。 

  また、第一章の「天皇」に、下記の条文が追加されていることも見逃せません。
第三条 国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。
  2 日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない。
第四条 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。

 「日の丸」「君が代」は、最初、「学習指導要領」により、学校現場で浸透が図られましたが、当時、全国的に様々な反対意見や抵抗運動がありました。「ウィキペディア(Wikipedia)」の「国旗及び国歌に関する法律」には、法制化に至る経緯が、下記のように示されています。


1996年(平成8年)頃から、公立学校の教育現場において、当時の文部省の指導で、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に、君が代の斉唱が事実上、義務づけられるようになった。しかし、反対派は「日本国憲法第19条が定める思想・良心の自由に反する」と主張して、社会問題となった。
 埼玉県立所沢高等学校では、卒業式・入学式での日章旗と君が代の扱いを巡る問題が生じ、1996年(平成8年)より数年にかけて、教育現場及び文部省を取り巻く関係者に議論を呼んだ。
 1999年(平成11年)には、広島県立世羅高等学校校長が卒業式前日に自殺した。君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する教職員と文部省の通達との板挟みになっていたからである。
これらを1つのきっかけとして法制化が進み、本法が成立した。
 詳細は「広島県での解放同盟による教育介入」を参照
 当時の内閣総理大臣小渕恵三は、1999年(平成11年)6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫の質問に対し以下の通り答弁した。

学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

 そして、下記のような「国旗及び国歌に関する法律」が定められたのです。
国旗・国歌法は本則2条、附則3項、別記2により構成される法律である。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
 附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
 別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

 その、「日の丸」「君が代」を、自由民主党は、今度は法律ではなく、さらに進めて憲法の第一章天皇」で定めようとしているのです。
 じわじわと「皇国日本」復活が進んでいることが分かるのではないかと思います。なぜなら、「日の丸」は日本の戦争のシンボルともいえるものでしたし、「君が代」は、「皇国日本」を誇り、”天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼”するための歌であったからです。その歌詞は、どう考えても、日本国憲法の精神とは相容れないものだと、私は思います。
 「国旗及び国歌に関する法律」制定にあたって、当時の小渕恵三内閣総理大臣が”国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。”と言って法制化したのに、今度は、それを憲法第一章「天皇」の第三条で定め、その「二項」で、”日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない。”としているのです。


 アジア太平洋戦争当時、戦闘によって日本軍が占領した占領地では、日の丸が掲げられ、現地の人々は日の丸の小旗を振って日本軍を迎えさせられたといいます。だから、日本の植民地であった朝鮮や台湾の人たちはもちろん、日本軍の支配下におかれた国の人々にとっては、日の丸は日本の戦争行為を連想させ、苦い経験を思い出させるものとして嫌悪感を持つ人が少なくないと言います。国旗・国家の法制化に反対した人たちは、自らの考えや感情だけではなく、多くの人たちのそうした思いを踏まえて反対したのです。だから、多くの人たちの思いを無視して、「日の丸」を「日本国憲法」第一章「天皇」に定めることの意味を考える必要があると、私は思います。

 さらに「元号」に関しても、上記の通り、憲法の第一章「天皇」の「第四条」に入れられています。
  天照大神を祖先神とする天皇が、日本を統治する権力をもち、”神聖ニシテ侵スヘカラス”と定められていた天皇主権の戦前なら、元号の使用は当然かも知れませんが、天皇が、敗戦後いわゆる「人間宣言」を発し、国政に関する権能を有しない「象徴」となったにもかかわらず、なぜ、憲法で元号について定め、一人の天皇に一つの元号(一世一元制)で時代を区切り続けるのでしょうか。
 かつて天皇は国家を支配するだけでなく、時間も支配する存在と考えられていたために、元号によって時代を区切ったのだと誰かの著書で読んだ記憶がありますが、国民主権の日本国憲法に相応しくないのではないかと、私は思います。
 現在、国際社会で例のない「元号」を、日本国憲法に定めて使い続ける意味はどこにあるのでしょうか。私は、国際社会における「日本異質論」が、ますます深まり広がるのではないかと思います。

 

コメント
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