下記は、「ジハード主義 アルカイダからイスラム国へ」保坂修司(岩波現代全書)から、「第3章 アルカイダの登場」の「3 米国人皆殺し宣言」を抜萃しましたが、前回のオサーマ・ビンラーデンの「対米ジハード宣言」に対し、今回の「対米ジハード宣言」は、保坂氏によれば、アルカイダという組織の宣言といえるものだということです。
でも、9・11に関する報道で、私は、こうした「対米ジハード宣言 」を知ることはありませんでした。
「対米ジハード宣言」に書かれている内容を世界中の人が知れば、いかにしてテロのない世界をつくることができるかを考えるきっかけがつかめると思うのですが、それは、アメリカの世界戦略が通用しなくなるということにつながるので、報道されることがなかったのだろう、と私は思います。戦う相手の指導者は、殺害に値する「極悪人」でなければならず、自ら立場の正当性を、論理的に語るような人物であってはならないのだと思います。
ロシアのいわゆる「特別軍事作戦」開始前のプーチン大統領の演説をはじめ、ウクライナ戦争にかかわるロシア側の主張が西側諸国ではほとんど報道されなかったのも、同じ理由によるのだろうと思います。
今回のイスラエル・パレスチナ戦争でも、話し合いのきっかけになるようなハマスの考えや実態はほとんど報道されることがありません。だから西側諸国では、ハマスは人殺しを何とも思わない、得体のしれない武装組織で、話し合いの対象にはならないと思われているのではないかと思います。
でも、実際は、アメリカが話し合って民主的に問題を解決する気がないということだと思います。アメリカは仲間の国や組織を支援し、敵対する国や組織を潰すという世界戦略でずっとやってきているのです。だから、今回も、圧倒的な軍事力と経済力を背景に、武力で自らに都合良く決着させようとしているのだと思います。
今年は、「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」として知られれる兇悪な「反ユダヤ主義暴動」 から85年ということで、ドイツ各地で追悼式典が開かれたということです。
イスラエルとハマスの戦争により、ドイツでは反ユダヤ主義の増加が懸念されており、ベルリンのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)での式典に参加したショルツ首相は「あらゆる形の反ユダヤ主義と戦う」と述べ、「ユダヤ人は何世紀にもわたって疎外されてきた。(ホロコーストで)文明が侵害された後、(戦後の)民主的なドイツにおいてでさえ繰り返されてきている」と指摘して、取り締まりを強めていく姿勢を示したといいます。さらに、ショルツ首相はハマスがイスラエルを攻撃して以降、国内での反ユダヤ主義の動きに「憤慨し、深く恥じている」と述べたとも伝えられています。
確かに、ナチス・ドイツのホロコーストに至ったユダヤ人差別には、さまざまな虚偽によって、ユダヤ人の存在そのものが、一般市民には危険であるかのように装う悪質な偏見がつきまとっていたのだろうと思います。そして、現在の「反ユダヤ主義」の考え方にも、その影響は受け継がれているのではないかと思います。
しかし、イスラエル軍の戦争犯罪がくり返されている今、それを強調することは、戦争犯罪に手を貸すことになると思います。確かに、ホロコーストに至ったユダヤ人差別は悪質だったのだろうと思いますが、だからといって、ユダヤ人のイスラエル建国以降のパレスチナにおける所業が許されるものではないと思います。それは、法や道義・道徳の問題であり、反ユダヤ主義の問題ではないと思います。
イスラエルのネタニヤフ首相は、13日、国際社会の停戦を求める声に対し、「国際的な圧力に直面しても、我々を止めるものはない」と述べ、ガザでの子どもを含む民間人の犠牲者が1万8千人を超えてもなお、「ハマス殲滅」の目標は揺るがないとの姿勢をあらためて鮮明にしたといいます。
ホロコーストに苦しんだユダヤ人だから、それが許されるということはないと思います。
イスラエル軍のガザ攻撃をめぐっては、国連総会で、即時の人道的停戦を求める決議が153カ国の賛成で採択されたことが伝えられました。そういう流れがあるからでしょうが、イスラエルを支持してきたアメリカのバイデン大統領も、「無差別の爆撃によって世界からの支持を失い始めている」と、形ばかりの警告を発せざるを得なかったようです。アメリカは、イスラエルのハマス殲滅作戦を支持する姿勢や、アラブの国々の弱体化の戦略を変えたわけではないと思います。本気で止める気がないことは、イスラエル支援を続けていることや、制裁の話や戦争犯罪を犯しているイスラエルの関係者に対する逮捕状の話もまったく出てこないことでわかります。
先日、アラブの報道機関が、下記のように伝えていました。
”Deadly Israeli air strikes target UN school, homes in southern Gaza”
ガザの南部では、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校や住宅さえ、イスラエル軍の攻撃対象となって、破壊されているというのです。否定しようのない戦争犯罪です。
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第3章 アルカイダの登場
3 米国人皆殺し宣言
その後、オサーマの対米ジハードのロジックはさらにエスカレートする。それまでサウジアラビア駐留米軍が標的だったのが、サウジアラビアにいる米国人は軍人のみならず、民間人も標的になると主張しはじめ、究極的には1998年2月、世界中どこであれ、米国人であれば。皆殺しであるとの裁定を公開した。前の対米ジハード宣言がオサーマの名義で書かれたのに対し、この文書は「対ユダヤ人・十字軍ジハードのための世界戦線」の名義で出されており、オサーマのみならず、ジハード団のザワーヒリーら複数の武装組織のリーダーが署名している点も指摘をしておかなければならない。アルカイダのテロの論理は、ここに完成形をみたと言ってもいいだろう。以下はその抄訳である。
さて、アッラーがアラビア半島を平らにし、そこに砂漠を造り、海で囲んで以来、これまで(この地が)この十字軍のような厄災に見舞われることはなかった。(この十字軍は)蝗(イナゴ)のようにこの地に広がり、その富を収奪し、その作物を破壊している。これらはみな、食事の一片をめぐって争うように、諸民族が、ムスリムたちを攻撃しているとき(に起こっていること)だ。悲劇が。深刻化し、支援者が減っていくなか、われわれは、現在起きていることの実態について知らなければならず、また、問題解決の方途について合意しなければならない。まず、議論の余地のない三つの点について記しておく。
(一)年以上にわたって米国がイスラームの地を占領している。そのなかで最も聖なるものはアラビア半島である。(米国は)その富を略奪し、その為政者に指図し、その人びとを辱め、その隣人たちを恐怖させ、その(アラビア)半島における、その基地を周辺のイスラームの民と戦う尖兵へと変えていることである。米国は、半島を足場にイラク国民に対し継続的な攻撃を加えている。たとえ、すべての為政者たちがその目的で領土が利用されることに反対したとしても、彼らは無力であり、(米国の占領について)これ以上の明白な証拠はない。
(二)十字軍・シオニスト連合によってイラク国民に甚大な被害がおよび、百万を越える膨大な数(のイラク国民)が殺されている。それにもかかわらず、米国はふたたびこの恐ろしい虐殺を行おうとしている。あたかも彼ら(イラク国民)が悲惨な戦争後の長期にわたる(国連経済)制裁や離散、破壊にまだまだ満足してないかのようである。まこと彼らは今日、この民に残されたものを破壊し、そのムスリムの隣人たちを辱めようとしている。
(三)これらの戦いの背後にある米国の目的が宗教的、経済的(なもの)であるならば、同様に(その目的は)ユダヤ人の小国に資することにあり、(イスラエルによる)エルサレムの占領およびかの地のムスリムの殺害から注意をそらすことでもある。
このもっとも明確な証拠は、彼らが最強のアラブの隣国であるイラクを必死になって破壊し、イラク、サウジアラビア。エジプト、スーダンのような域内諸国を張子の小国に分断しようとしていることである。彼ら(アラブ諸国)の分裂、および弱体化によってイスラエルの生存と野蛮な十字軍の半島占領の継続が保証されるのだ。
これらの犯罪や悲劇は、すべて米国人によるものであり、アッラー、その使徒、そしてムスリムたちに対する明白な宣戦布告である。そしてイスラーム法学者たちはイスラームのあらゆる時代を通じて、敵がムスリムの国を破壊したならば、ジハードが個人的義務となる点で完全に一致している。われわれは、これにもとづき、またアッラーの命に従い、以下の裁定を全ムスリムに対し下す。
米国人および彼らの同盟者を、民間人であれ軍人であれ、殺害するという裁定は、それが可能な、あらゆる国のムスリム全員の個人的義務である。そのことは、アクサー・モスクとハラーム・モスクを彼らの掌中から解放し、その軍が尾羽うち枯らしてすべてのイスラームの地から駆逐され、いかなるムスリムにとっても脅威にならないようにするまで(継続する)。
全体のロジックはきわめてシンプルであり、1996年のジハード宣言から首尾一貫している。異教徒の米国、すなわち十字軍がイスラームの聖地であるサウジアラビアを軍事占領している。米国を攻撃して、彼らを聖地だけでなく、イスラームの地全体から駆逐することはすべてのムスリムに課された個人的義務である、ということだ。
対米ジハード宣言そして、1998年の米国人皆殺し宣言と米国人を標的とするロジックはエスカレートし、実際現実世界においてもそれはテロというかたちで反映されることとなった。とくに皆殺し宣言発出から約半年後の1998年に8月、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都ダルエスサラームにある米国大使館がほぼ同時に攻撃を受けた。両事件を合わせると死者は200人、負傷者は4000人を超えた。文字どおり、世界中どこでああれ、(ケニアとタンザニア)、米国人は皆殺しというアルカイダの最も根本的な理念を実現した事件であった。だが、しかし、実際には死傷者の大半は米国人ではなく、ケニア人であり、タンザニア人であった。
アルカイダは何か大きな事件を起こす場合、基本的にはファトワーというかたちで宗教的なお墨つきを事前に獲得している場合が多い。1992年のアデンでのテロがそうだったし、アルカイダにとって、オサーマの1996年のジハード宣言、1998年の米国人皆殺し宣言はいずれも攻撃を宗教的(正しくはアルカイダ的)に正当化するファトワーとみなされていたのである。ただ、忘れてならないのは、これらの「ファトワー」では米国人を殺すことは正当化されても、無関係の人たちが巻き添えになって、殺されることまで正当化されていないということだ。9.11事件においても、24人の日本人を含め、多数の非米国人、さらにはムスリムさえも殺されていたのである。かれらはこれをどのように正当化できるのだろうか。