「エレクトロニック・インティファーダ(THE ELECTRONIC INTIFADA)]というサイトに、今日、下記のようにありました。
”BIDEN'S WHITE SUPREMACY GIVES ISRAEL CARTE BLANCHE TO COMMIT GENOCIDE
Current US Middle East policy, like Donald Trump’s, is a denial of the very existence of the Palestinian people.”
白人至上主義のバイデン政権は、イスラエルにジェノサイドを犯すことを白紙委任している。現在のアメリカの中東政策は、トランプのときと同じように、パレスチナ人の存在そのものの否定である。
私は、これが、イスラエルの猛烈な攻撃を受ける、パレスチナ人の正直な気持ちだろうと思います。
また、朝日新聞は(12月9日付夕刊)、国連安保理のガザ即時停戦決議案の採択について、アメリカが拒否権を行使したため、否決されたことを伝えました。グテーレス国連事務総長は、”8日午後、パレスチナ自治区ガザ地区での戦いが「占領下のヨルダン川西岸地区やレバノン、シリア、イラク、イエメン」といった周辺地域に波及していると言及し、ガザの状況が「国際平和と安全の維持を深刻に脅かす」”と述べ、停戦決議を求めたようですが、イスラエルを支持するアメリカが、また、拒否権を行使したということです(理事国15カ国のうち13カ国が賛同、英国が棄権)。
今回の、この安保理停戦決議案は、単なる戦争の停止ではなく、子どもや女性を中心とする民間人が、イスラエルの攻撃で毎日多数亡なっていること、また、あらゆる人道支援システムが機能しなくなって、現実的にシステムが崩壊状態であること、さらに、戦いが周辺地域に広がっていることなどを踏まえた、人道目的の停戦決議案です。
でも、イスラエルやアメリカは、それを受けつけないということです。パレスチナの民間人の人命や人権より、「ハマス殲滅」が優先されており、弁解の余地のない戦争犯罪だと思います。
だから、上記の「エレクトロニック・インティファーダ(THE ELECTRONIC INTIFADA)」の指摘は、でたらめなものでは決してないと思います。
国連事務総長の主張は、”イスラム組織ハマスの擁護につながり、それこそが世界平和への脅威だ”と、イスラエルは反発し、アメリカは「ただ単に今日だけ戦争を止めるのではなく、戦争を永続的に終わらせることを目標にすべき」だとして、国連安全保障理事会に提出された即時停戦を求める決議案に拒否権を行使したということですが、ガザのパレスチナ民間人の悲惨な現状を無視し、ハマス殲滅を最優先する、人命軽視、人権無視の主張だと思います。また、「戦争を永続的に終わらせる」ために戦争するなどとというのは、相手を叩き潰すことで戦争を終わらせようということで、国際法や道義・道徳を尊重して戦争を終わらせる気がないことを表明しているようなものだと思います。
ふり返れば、ヨーロッパキリスト教社会で、ユダヤ人の迫害が続き、ロシアにおけるポグロムやナチス・ドイツのホロコーストなどもあって、19世紀末にユダヤ人のパレスチナ移住が盛んになりました。でも、そこはパレスチナ人が何世代にもわたって生活してきたパレスチナの地でした。
だから、移住してきたユダヤ人が、70万人にものぼるというパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ系住民)を居住地から追い出したことが、パレスチナ問題の始まりであったことが無視されてはならないと思います。
また、エルサレムは、ユダヤ教のみならず、イスラム教やキリスト教の聖地でもあると思います。東エルサレムは国際法上は、パレスチナにあるのであって、イスラエルによる実効支配に問題があるのです。イスラエルは1967年の第3次中東戦争で、それまでヨルダンが統治していた東エルサレムを占領し、エルサレム全体を自国の首都だと主張しているのですが、国連はそれを認めてはいないのです。それは、世界各国の大使館がテルアビブ にあることでもわかると思います。
でも、イスラエルはそれを無視して、エルサレムを首都と宣言し、トランプ米大統領もエルサレムをイスラエルの首都として一方的に承認したのです。
パレスチナが東エルサレムを自らの首都と宣言していることを無視することは許されないと思います。
現在のイスラエル・パレスチナ戦争は、ユダヤ人が、パレスチナ人の住む「パレスチナの地」に移住して、そこを「イスラエルの地」に変え、パレスチナ人を追い出しにかかっている戦争であることは、法や道義・道徳を無視した強引な「ハマス殲滅作戦」で明らかだろうと思います。
だからエジプトが、イスラエルはパレスチナ人をエジプトに追い出そうとしているとの警告を発したのだと思います。
先日イスラエルは、「ハマスの性暴力」を世界に訴えたようですが、毎日、子どもを中心とする民間人の犠牲者を増やし、国際社会のガザ支援システムを崩壊させるようなイスラエルの一方的爆撃に対する非難の声が高まってきた今になって、「ハマスの性暴力」を持ち出すことは、不自然だと思います。自らの「ハマスの殲滅作戦」を正当化するためのプロパガンダだろう、と私は思います。
ハマスも「プロパガンダだ」と主張しており、客観的な証拠に基づく第三者の証言が示されなければ、信じることはできません。朝日新聞も、「ハマスの性暴力」をめぐる被害の全容があきらかになっていないこと、生存する当事者の証言がほとんどないことを伝えています。また、BBCによると、イスラエル当局は「現場からの法医学的証拠が足りない」と認めているといいます。
戦争のたびにくり返されてきたアメリカお得意のプロパガンダと同じイスラエルのプロパガンダだ、と私は思うのです。
オサーマ・ビンラーデンの「対米ジハード宣言」を読むと、こうしたイスラエルやアメリカの、パレスチナ人をはじめとするアラブ人に対する差別的・非人間的対応が、ハマスやアルカイダの「ジハード主義」を生んだことがわかるのではないかと思います。
特に、イスラームの聖地、マッカとマディーナのあるサウジアラビアに、異教徒であるアメリカの軍隊が駐留したことが、オサーマ・ビンラーデンを過激にし、9・11につながったということは、踏まえておくべきことだと思います。
下記は、「ジハード主義 アルカイダからイスラム国へ」保坂修司(岩波現代全書)から、「2 オサーマの対米ジハード宣言」を抜萃しました。
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第3章 アルカイダの登場
2 オサーマの対米ジハード宣言
オサマ・ビンラーデンはアフガニスタンを離れてから、南イエメン解放のためのジハードに従事していたが、南イエメンにあった社会主義政権は事実上自壊し、1990年に北イエメンと統合した。したって、南イエメンを無神論から解放する戦いは不発に終わる。しかし、オサーマらがスーダンを拠点にジハードを継続していたのは前述のとおりである。このころ、彼らはスーダンでさまざまなプロジェクトを受注し、かつての戦士たちをビジネスに活用していたとされる。
しかし、1994年2月、サウジアラビア各紙はビンラーデン・グループの総帥でオサーマの兄であるバクルの「バクル会長及びビンラーデン一族は会長の弟オサーマのこれまでの行動を遺憾として非難するとともに同入を許すべからざる人物として一族から追放することを決定した」というメッセージを掲載した。
当時の報道によれば、オサーマはスーダンに滞在しながら、アラブ・アルガンたちを指揮し、スーダンやそれぞれの母国でジハード活動に従事させていたという。1992年12月にはイエメンのアデンでホテル爆破事件が発生した。この事件で犠牲になったのはオーストラリア人だったが、実際にはソマリア救援のための「希望回復作戦」に参加するべく、アデンに滞在していた米兵が標的だったといわれている。これは、オサーマ、あるいはアルカイダが関与した対米テロとしてもっとも古い事件である。こうした活動のため、オサーマらはスーダンにもいられなくなり、1996年にはスーダンから、ふたたびアフガニスタンへ移動している。そしてそのアフガニスタンに移った直後に有名な「聖地を占領する米軍に対するジハード宣言を出したのである。
既述のとおり、対ソ連ジハードに従事していたオサーマ・ビンラーデンらアルカイダのメンバーにとって、米軍のサウジアラビア駐留は絶好の機会となった。多くのサウジ人にとって、米軍の サウジ駐留は、米国の軍隊がサウジアラビアにやってきたという、単なる事実以上の意味をもっている。米軍は、彼らからみれば、異教徒のキリスト教徒であり、それに対しサウジアラビアはイスラームの地である。重要なのは、サウジアラビアにはマッカとマディーナというイスラームの二大聖地があるということだ。オサーマらのロジックでは、イスラームの聖地はマッカとラディーナに限定されるということはない。マッカ、ラディーナの聖性は、サウジアラビア全土、アラビア半島全域にまで拡大するのである。サウジアラビア国王は二聖モスクの守護者という称号を有しているが、これは、国王がマッカのハラーム・モスクとマディーナの預言者モスクの守護者であることを示している。したがって、米軍のサウジ駐留は、異教徒たるキリスト教徒の軍隊によるイスラームの聖地占領という構図に変換されてしまう。
ジハード
「ジハード宣言」冒頭でオサーマは、彼なりのイスラーム世界の現状認識を示す。彼によれば、現在のイスラーム世界は「シオニスト・十字軍連合」からの攻撃迫害を受け、塗炭の苦しみを味わっている。なかでも最悪の攻撃は米軍による二聖モスクの地(マッカとマディーナ)の占領である。オサーマは、これが預言者ムハンマド没後、ムスリムが蒙った最大の攻撃であると断言する。彼によれば、これこそが、今日のイスラーム世界を覆う暗闇の原因であり、全てのムスリムはこの諸悪の根源を除去するために立ち上がらねばならないのだ。したがって、聖地を占領する米軍は十字軍にほかならず、彼らに対する攻撃は、ムスリムにとっては、ジハードに他ならないのである。この辺りの論理展開にオサーマはイブン・タイミーヤを利用しているが、米軍=十字軍、サウジアラビア=聖地の脳内変換が、先に紹介した。サファル・ハワーリーの議論の影響を受けているのは明らかだろう。
また、オサーマやのちのジハード主義者たちが好んで引用する「アラビア半島から異教徒を一掃せよ」という預言者ムハンマドの「遺言」も大きな影響を与えている。これはムハンマドが死の床で述べたとされる言葉であるが、実際にはこれをもって、異教徒をアラビア半島から駆逐することはできないという説も強い。というのも、預言者がここで言及した「アラビア半島」とは、現在の地理的な概念としてのアラビア半島とは異なり、実際にはマッカ、マディーナ、ヤマーマ、そしてイエメンを指していたという意見が一般的だからだ。当時、米軍が駐留していたのは、サウジアラビア東部州が中心であり、古典的地理概念としてのアラビア半島から外れているため、彼らは預言者の遺言の対象外だとの見方も強い。といっても、この説は、必ずしも広く受け入れられているわけではなく、宗教エスタブリッシュメントを含め、多くがアラビア半島を現在の地理的概念と同じ枠で考えており、したがって、アラビア半島に異教徒、特に異郷徒の軍隊が駐留すること自体、容認できないということになる。
もちろん、この宣戦布告で中心的なテーマになっているのはアラビア半島である。しかし、アラビア半島以外の地名も言及されている点は忘れてはならない。たとえば、文書で名指しされているのは、パレスチナ、レバノン、タジキスタン、ビルマ(ミャンマー)、カシミール、アッサム、フィリピン、バッターニー、オガデン、ソマリア、エリトリア、チェチェン、ボスニア・ヘルツェゴビナなどである。
いわずもがなだが、パレスチナはイスラエルによって占領されており。レバノンもイスラエルから攻撃を受けている。ミャンマーは仏教国として有名だが、ロヒンギャ族というムスリム住民が多数住んでおり、仏教徒中心の政府から激しく弾圧されている。フィリピンはキリスト教徒が多数派だが、
ミンダナオ島やスールー島になどに多くのムスリムが居住し、古くから独立運動を行っている。バッターニーはタイ南部の県で、人口の大半をムスリムが占め、タイらの独立を目指す運動がつづいている。オガデンとエリトリアは、キリスト教国エチオピアの中のムスリム人口が多い地域で、後者は1993年、独立を達成している。ムスリムのチェチェンはロシアからの独立を目指し、ボスニアでは旧ユーゴスラビアの解体後、ボスニア人(ムスリム)とセルビア人(キリスト教徒)の間の衝突が深刻化していた。アルカイダは、このように名前を挙げることによって、自分たちがそれぞれの地域でムスリムを支援し、異教徒との戦いにおける先導役であることを示そうとしていたのである。
米軍のサウジ駐留は、当初こそ非常事態ということで、サウジ宗教エスタブリッシュメントたちの許可を取り付けることができた。けれども、湾岸戦争でイラクが敗北し、クウェートが解放され、経済制裁によってイラクが弱体化したにもかかわらず、米軍はその後もサウジアラビアに留まっていた。 サウジアラビアでは1995年に首都リアードの国家警備隊施設が爆破され、翌年には東部州ホバルでやはり爆弾テロ事件が発生した。後者は明らかにサウジ駐留米軍を標的にしたものであり、前者も米軍関係者が関与している施設といわれていた。両事件とも、アルカイダが関わっていた証拠はないが、前者の犯人は、オサーマやあとで紹介するアブームハンマド・マクディシーの影響を受けて受けたと自白している。いずれにせよ、1990年代。オサーマ率いるアルカイダが、ソ連に代わって、明確にサウジアラビア駐留米軍を攻撃対象の中心にすえたことに疑問の余地はない。