真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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アルカイダとハマスとイスラエルとアメリカ

2023年12月20日 | 国際・政治

 下記は、「ジハード主義 アルカイダからイスラム国へ」保坂修司(岩波現代全書)から「第3章 アルカイダの登場」の<4 「人間の盾論」>を抜萃しました。
 下記を読むと、ジハード主義を実践する活動家は、ムスリムの一部過激な人たちで、ムスリムがみな同じ考えなのではないことがわかります。
 また、1994年2月、サウジアラビア各紙が、ビンラーデン・グループの総帥でオサーマの兄であるバクルビンラーデン一族が、オサーマの行動を非難し、一族から追放することを決定したとの報道をしたということも、すでに取り上げました。
 それは、強硬な主張をするイスラエルの政党リクードの政治家が、イスラエルのユダヤ人のなかの一部過激な人たちであることと同じであることを示していると思います。
 戦争は、過激な主張をする人たちが権力を手にするから起こるのだということです。

 日本を含む西側諸国では、ムスリムは、次々にテロリストを世に送り出す恐ろしい集団であるかのようにとらえられているように思います。私たち日本人のムスリムやアラブ人に対する理解が不足しているからではないかと思います。
 今まで、人類の文化・文明を牽引してきたのは、欧米だったために、日本を含む西側諸国では、欧米の思想で世界を理解し、問題に対処してきたといえるように思います。だから、ムスリムに関する情報は極めて少ない上に、アメリカが、武力で問題を処理する傾向が強く、敵視する集団や国家の情報を遮断してしまうため、一般市民は、戦争当事国の実態およびハマスやアルカイダの指導者の立場や考えが充分理解できていないように思います。

 さらに言えば、イスラーム教の経典である『コーラン』(アル=クルアーン)の基本的な理解や、ムスリムの思想家の考え方などの理解も不足しているため、話し合いによる問題解決の見通しが立てられない面もあるのだろうと思います。
 でも、世界では、4人に1人がムスリムであるといわれています。イスラーム教の国や組織と共存する道を歩まなければ、国際社会の平和の実現は難しいと思います。イスラエルやアメリカのように、いつまでもムスリム排除ハマス殲滅を掲げていては、人類は破滅に向かうしかないと思います。

 イスラエル軍のガザ爆撃を見ていると 戦争中の非戦闘員に対する姿勢が、アルカイダと同じだと思います。イラク戦争でのアメリカ軍の非戦闘員に対する姿勢もアルカイダと同じだったと思います。
 同書には、アルカイダは、
米国人はユダヤ人と同様、戦争の民であり、彼らがパレスチナでしていることを、われわれが彼らにすることは許される。つまり、彼らがパレスチナの地を占領し、ムスリムを殺しているのであるから、われわれが彼らを攻撃し、殺害するのは当然のことというのである。
 と書かれています。
 また、アルカイダは、
第一に、不信仰者がムスリムの女性・子ども・老人を標的にするなら、それに応じて、不信仰者がやったのと同様なかたちで女性や子どもを殺害することは許される。
 などと、イスラエルやアメリカによる非戦闘員の殺害を受けて、アルカイダにも非戦闘員の殺害が許容される条件をいくつかあげています。
 でも、キリスト教にもユダヤ教にも、イスラーム教にも、そんな報復のための人殺しを正当化する教えはないと思います。
 だから、日常的に理解を深め合う努力をし、一部の過激な政治家や活動家や軍人の暴走にブレーキをかけることができれば、共存できると思います。一部の過激な人たちに引きずられて、お互いに挑発し合い、戦争に至ることがないようにすべきだということです。


 以前にも取り上げましたが、ハマスは、インティファーダが始まった1987年12月、ムスリム同胞団の闘争組織として設立されました。そして、その最初の声明の中で、自ら下記のように説明しています。
一、ハマスはムスリム同胞団の闘争部隊である。
二、シオニストの敵に対して、暴力にはいっそうの暴力で対抗することを示威する。
三、イスラムこそがパレスチナ問題の実際的な解決策である。
四、空虚な平和的解決や国際会議を追い求めて、エネルギーと時間を無駄にすることを拒絶する。
五、敵との闘争は、パレスチナ人民の目標達成までの、信仰・存在・声明(生命?)の闘争である。
六、当面のいくつかの目標──被拘置者の釈放、彼らに対する虐殺の停止、入植の拒絶、国外追放または移動禁止の政策の拒絶 占領と市民に対する暴虐の拒絶、悪徳と堕落を(イスラエルが)広めることを拒絶。不当な重税の拒絶」(小杉泰「現在パレスチナにおけるイスラム運動」『現代の中東』NO17、アジア経済研究所)

 また、翌年1988年8月に出された「ハマス憲章」には、ハマスの目標を「虚偽を失墜させ、真理を優越せしめ、郷土を回復し、モスクの上からイスラム国家の樹立を宣言する呼びかけをなさしめ、人びとと物事のすべてを正しい位置に戻すこと」(九条)とし、さらに「パレスチナの地の一部でも放棄することは、宗教の放棄の一部である。またハマスの愛国主義はその信仰の一部をなす」(13条)として、ハマスが現在のイスラエルを含むパレスチナ全土の解放をめざすことを明言している(前掲)のです。
 
 ハマスは過激だと思いますが、無目的に人殺しをする単なるテロ集団ではないことがわかります。だから、話し合いは十分可能だと思います。イスラエルによるガザ爆撃ハマス殲滅の方針は明らか間違いであり、一部の過激な政治家や軍人の暴走の結果だと思うのです。
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                   第3章 アルカイダの登場

 4 「人間の盾論」
 アルカイダのようなジハード主義組織、そしてジハード主義そのものにとっても、自分たちの大義のためとはいえ、無関係の、無辜の人びとを巻き添えで殺すというのは、重大な意味をもつ。イスラームのためといいながら、場合によってはムスリムを無差別に殺すことになるので、組織としてのイメージを悪化させるだけでなく、イデオロギーそのものに対する信頼性も失わせてしまう。(イスラームそのもののイメージを大きく毀損するのはいうまでもない)。
 そもそもの大前提として、イスラームでは、あるいはどんな宗教でもそうであろうが、無実の人間を殺すことは許されない。クルアーン第17章33節には「正当な理由なくして人を殺してはならぬ」とあり、また第五章32節には「人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は全人類を一度に殺したのと同等に見なされ、反対に誰か他人の生命を一つでも救った者は、あたかも全人類を一度に救ったのと同等に見なされる」とある。また、予言者ムハンマドの言行録であるハディースには「神の使徒(預言者、ムハンマドのこと)の行ったある遠征で一人の女が殺されて見つかったとき、彼は女や子供たちを殺すことを禁じた」(ブハーリーのハディース集)とある。これらにもとづき、イスラームの主流派では、イスラームがたとえ異教徒であれ、無実の人間を殺すことは許されず、戦場にあっても、非戦闘員の女性や子供を殺すことが禁じられると解釈されている。
  9・11事件に関していうと、アルカイダは2002年4月に事件を、そして大量殺人を正当化する文章を公開している。それによると、まず、米国人はユダヤ人と同様、戦争の民であり、彼らがパレスチナでしていることを、われわれが彼らにすることは許される。つまり、彼らがパレスチナの地を占領し、ムスリムを殺しているのであるから、われわれが彼らを攻撃し、殺害するのは当然のことというのである。9・11事件で多くの無関係の女性や子たちが殺されたと非難されているが、この禁忌は絶対的なものではなく、特定の条件では許される。
 第一に、不信仰者がムスリムの女性・子ども・老人を標的にするなら、それに応じて、不信仰者がやったのと同様なかたちで女性や子どもを殺害することは許される。これは、「目には目を歯には歯を」式の、いわゆる同害報復のロジックである。第二に、戦闘員と保護されるべき女性や子どもを区別できない場合、彼ら、彼女たちの殺害は許される。第三に、不信仰者のなかにいる保護されるべきものたちが行為や言葉や心で戦闘を支援した場合、彼らは殺すことは許される。四番目は、敵を弱体化させるため、敵の拠点を焼き払うときに、犠牲者のなかに保護されるべきものがいたとしても許される。さらに、敵がいわゆる「人間の盾」として女性や子どもを使った場合も、盾となった彼らを殺害されることは許される。なお、これらの原理原則は、敵方にいるムスリムにもあてはめることができる。したがって、9・11事件で世界貿易センタービル内にいたムスリムが死んだとしても、それはやむをえないことなのである。
 こうしたロジックには、たとえば、米国に税金を払っているものは誰であれ(米国人ではなくとも)、その税金がイスラエル支援に用いられ、結果的にパレスチナ人を殺すことになるので、殺されるのはやむをえないといったものも含まれる。これらは、外部からみれば単なるこじつけにすぎないのだが、問題はこの程度の杜撰なロジックでも納得してしまう層がいる(さらに問題なのは、こうしたロジックすら、必要とせず、テロに走る絶望的な層さえも存在する)ことだ。アルカイダの二つのファトワーは、中東歴史学の泰斗、バーナード・ルイスが的確に指摘したように、一部のムスリムたちにとっての「殺しのライセンス」となってしまったのである。
 さて、これらのロジックの中で9・11事件後、とりわけ大きな意味をもつようになるのが「人間の盾」論だ。この議論については、アルカイダのイデオローグたちがさまざまなかたちで言及しているが、とりわけアブヤフヤー・リービーの書いた『現在ジハードにおけるタタッルス』が重要である。
 この「タタッルス」が「人間の盾」に相当する。現在の軍事用語でいう「巻き添え被害(コラテラルダメージ)」を指すが、本来の古典的なイスラーム法学では、なるべく被害を最小化すべく、攻撃する側にさまざまな制限がつけられている。しかし、彼はこの書の中で、さまざまなスンナ派イスラーム学者たちの議論を現代の戦闘には適用できないと批判し、事実上、攻撃側に付された制限をすべて撤廃してしまう。それゆえ、彼の議論では、ジハードを戦うもの(ムジャーヒド)は、攻撃対象が、異教徒であろうがムスリムであろうが、ジハードの名目であれば、殺すことが許されることになる。人間の命ですらこうなのだから、当然、ムスリムの所有する建物、文化財、富も攻撃対象となり、これは必然的に大量破壊兵器の使用を容認する議論にもつながっていくだろう。
 これでは、アルカイダによって殺害されたムスリムたちは死に損であるが、リービーによれば、ジハードの巻き添えで殺されたものは、戦死したムジャーヒドと同じであり、したがって殉教者となって、天国にいけるのだという。

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