真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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くり返される内政干渉と武力介入

2023年09月20日 | 国際・政治

 先日、朝日新聞の「天声人語」を読んで、少々驚きました。私は勝手に、「天声人語」は、社説と異なり、アメリカのプロパガンダとは無縁だろうと思っていたからです。でも、先日の 天声人語は 、
ヒラリー・クリントン氏が米国務長官だったとき、2011年のことだ。「アラブの春」と呼ばれた中東の民主化の動きを受け、42年に及んだリビアのカダフィ政権の独裁は崩壊した。直後に軍用機で首都トリポリ入りした彼女はその体験を、感慨深く回想録に記している。彼女に強い印象を与えたのは、民主国家を目指す若者の「思慮深さと決意」だった。「言論の自由を根づかせるために、どのような段階を踏めばいいと思いますか」何人もの学生が真摯な質問をぶつけてきたという。彼女は何と答えたかは回想録に記述がない。おそらく民主化が容易でないと、分かっていたからだろう。「国の将来を形作るのは民兵の兵器だろうか、それとも人々の切望だろうか」。そんな感想だけが書かれている。…”
などと、アメリカの表向きの情勢認識や考え方で書かれていたのです。
 独裁者とはいったいどういう人物をいうのでしょうか。「カダフィ政権の独裁は崩壊した」と断言する根拠は何でしょうか。
 私は、カダフィが独裁者とされているのは、彼が強い反米主義の姿勢を貫いていたからだと思っています。カダフィ政権の時代、欧米の搾取や収奪を断固として拒否し続けたリビアは、豊かであり強い経済力を持っていたといいます。だから、地域での立場は強かったということです。また、「外国では、リビアという国を知らなくても『カダフィ』を知る人は非常に多かった。行く先々で尊敬の念をもって迎えられた」などと、カダフィ政権時代を懐かしむ人もいるということです。

 前回「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)から抜粋した文章の中に、
1998年のベネズエラ大統領選挙で勝ったのは、「貧者の救済」を掲げたウゴ・チャベスだ。元軍人で、陸軍中佐の時にクーデターを起こして失敗し投獄されたが、国民の赦免運動で釈放された。このあたりの経歴は、キューバのカストロに似ている。彼は99年に大統領に就任すると、この国の唯一の収入源の石油から得られた利益を貧しい人々の生活支援に向けた。学校や診療所を建て、貧しい人が無料で治療を受け、学べるようにした。これもキューバ革命と同じだ。
 これはまずいと見た米国は2002年手を出した。CIAがおぜん立てをしてベネズエラの軍部にクーデターを起こさせたのだ。蜂起した軍が大統領官邸を占拠してチャアベス拉致し、経済界の代表が新大統領に就任したことをテレビで宣言した。チャベスは米国が差し回した飛行機で亡命させられるはずだった。
 これまでの中南米なら、これで片が付いたが、この時は違った。ベネズエラの多数の市民が大統領官邸を囲んで抗議行動を起こし、チャベスを支持する軍人が出動してクーデター派を官邸から追い出した。一時は死を覚悟したチャベスは救出され、大統領に返り咲いた。
 とありましたが、カダフィカストロチャベスと同じように、断固として欧米の搾取や収奪を拒否し、国の利益や富は国民に返す指導者であったと思います。だから、アメリカから独裁者呼ばわりされ、敵視され続けたのだと思います。それを無視して、アメリカと同じように、カダフィを独裁者とすることは、アメリカのプロパガンダを広げ深めることであると思います。
 「カダフィ政権崩壊」の経緯、とくにアメリカの介入が無視されてはならないと思います。
 
 カダフィは、1980年代には、反米テロを支援したと疑われました。そのため、アメリカのレーガン大統領は1986年にリビアへの経済制裁を発動したのみならず、リビアを空爆しました。その空爆は「独裁者カダフィ」の殺害が目的であったといわれています。
 だから、いつ政権転覆工作が実施されるか、また、いつカダフィ暗殺計画が実行されるかわからないリビアでは、欧米のような自由は望めないのだと思います。そこが大事なところであり、そこを無視すると、カダフィは酷い独裁者に見えるのだろうと思います。アメリカの巧みな内政干渉に目をつぶると、善悪が逆様に見えるということです。

 2010年末にアラブ世界で始まった民主化要求の波に影響され、リビアでも民主化要求の声が高まります。そしてそれが、反政府デモに発展し、どんどん拡大して、首都トリポリが混乱に陥ります。当然、その拡大にはアメリカの介入があったと思います。
 だから、カダフィ大佐の次男が記者会見で、デモには徹底的に対抗することを宣言したのだと思います。

 その後トリポリで、「政府軍の戦闘機やヘリコプターが、反政府デモに対して上空から攻撃を加えた」との報道がなされるのです。その結果、国連のパン・ギムン事務総長、アメリカのクリントン国務長官EUなどが、それぞれ、市民への攻撃を非難し、攻撃中止を求める声明を発表するに至ります。「民衆に対する武力弾圧」の報道は、カダフィ政権を揺るがし、閣僚が辞任したり、軍幹部が反政府勢力に合流したりすることになるのです。そして反政府勢力は「国民評議会」を結成するに至り、リビアは内戦状態に陥るのです。そのリビア内戦に至るプロセスにアメリカが介入していたことを見逃してはならないと思います。

 また、リビア内戦に関わる「国連安保理決議1973」も、ウクライナ戦争における決議同様、アメリカ主導によるもので問題があったと思います。だから、軍事介入を懸念した中国・ロシア・インド・ブラジルに加えドイツも棄権しています。

 さらに、この時、リビアの反政府勢力に武器を売却することをやめるように、ヒラリークリントン国務長官に訴える声があったことも忘れることができません。その後、ヒラリークリントン国務長官が武器密売に関わっているとの報道さえありました。真実は知りませんが、大量のアメリカ製武器が、反政府勢力にわたっていた事実は見逃してはならないことだと思います。
 「国連決議1973」に基づく、多国籍軍のリビア爆撃、アメリカを中心とする西側諸国の反政府勢力に対する武器提供財政支援がなければ、カダフィ政権が崩壊することはなかったと思います。
 リビアの問題は、法的に解決すべき問題であり、法的に解決できた問題であったと思います。政府と反政府勢力の争いに他国が介入することは、基本的に内政干渉であり、仲裁ならいざ知らず、武力介入など許されることではない、と私は思います。また、「武力介入」が「人道的介入」などと言い換えられてはならないと思います。

キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋(高文研)から抜粋した下記の文章には、 
メキシコゲリラは、それに対して声をあげ武器を取った。彼らのスローガンは「ヤ・バスタ(もう、たくさんだ)」だ。米国の思うままに搾り取られるのはごめんだという叫びが、この一言に含まれている。
 とありました。
 搾取・収奪によって、世界最大の軍事力や経済力を持つに到ったアメリカのやりたい放題を止めることが求められていると思います。
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                 Ⅰ章 キューバを取り巻く新しい世界

                 2米国はなぜ国交回復に踏み切ったのか

                      米州の形成逆転
 蜂起したメキシコのゲリラ
 米国は中南米を巻き込み米州全体にまたがる自由貿易地域を築こうとした。1994年、その先駆けとして北米地域でつくったのが北米自由貿易協定(NAFTA)である。米国、カナダ、メキシコという北米にある三つの国で関税を撤廃するものだ。あからさまに言えばカナダとメキシコを米国経済の支配下に取り込もうとするものである。1994年1月1日に発効した。
 まさにその日、メキシコで蜂起したのがサパティスタ民族解放軍(EZNL)だ。ピラミッドや暦で名高い高度な文明を築いたマヤ民族の血を引く先住民が主体となった左翼ゲリラである。蜂起した理由はまさに、米国との自由貿易協定の拒絶だった。米国との協定がメキシコ人、とりわけ農業で生活する先住民の命を奪うことにつながるという思いからである。
 なぜ自由貿易が農民の生活を破壊するのか。
 メキシコ人の主食はトウモロコシだ。日本人がお米を炊いて御飯にして食べるように、彼らはトウモロコシを粉にしてパンのように焼いたトルティージャを日ごろ食べる。だからメキシコの農民の多くがこのトウモロコシを栽培する。米国との自由貿易によって、それが壊滅的な打撃を受けた。米国産の安いトウモロコシがメキシコに流れ込み、市場からメキシコ産のトウモロコシを排除してしまったのだ。
 自由貿易の反対が保護主義だ。それを精神に沿って、米国は協定を結ぶ相手の国に対して、国内の産業に対する保護をやめるように強要した。例えばTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で米国は日本に対し米農家への補助金を撤廃するように迫った。同じように米国はメキシコに対して、自国のトウモロコシ農民への保護政策を実施しないように迫った。
 このように他国に対しては保護を止めろと言いながら、米国政府は自国の農民は保護しているのだ。産物を他国に輸出するトウモロコシ農家に米国は多額の補助金を出している。このため、米国産のトウモロコシの価格は安くなる。それが他国の市場に流れ込むと、その国の人々は安い米国産を買う。このためにメキシコで生産されたトウモロコシが売れなくなりトウモロコシ農家が廃業に追い込まれた。そうやって他国の農業を破壊したうえで、こんどはトウモロコシの値段をつり上げるのだ。
 米国政府は狡猾だ。彼らは二枚舌を使う。自由貿易で両国ともに利益を得ようといいながら、自分だけがもうかるような仕組みを作る。相手の国は文句を言いそうだが、米国の政府と結びついて、自分の懐を肥やす政治家たちは、自分の国や国民はどうなってもいいと考える。こうして長年つちかってきた経済や文化が破壊される。
 メキシコゲリラは、それに対して声をあげ武器を取った。彼らのスローガンは「ヤ・バスタ(もう、たくさんだ)」だ。米国の思うままに搾り取られるのはごめんだという叫びが、この一言に含まれている。

 米国に対抗する経済同盟
 南米ではこの1994年、大国ブラジルとアルゼンチンが主体となり、四つの国が一緒になって独自の経済共同体を作り上げた。一つの国では米国にのみ込まれるので、共同で米国に対抗しようという戦略だ。南米南部共同市場という。スペイン語の頭文字MERCOSURからメルコスールと呼ばれる。域内では関税を撤廃し、域外の国に対しては共通関税を実施することになった。域外の国とは、米国を頭に置いたものだ。
 発足を進めたのはブラジルとアルゼンチンの官僚だった。この隣り合った両国はそれまでことあるごとに対立してきた。協調のきっかけは両国ともに軍事政権から抜け出したことだ。民主化を進めるために通信、エネルギー政策など、途上国が単独で進めるには難しい政策を協力して行った。これで信頼関係が生まれ、経済の共同体に話が進んだのだ。
 それは戦後の欧州に発足した欧州経済共同体の流れと同じだ。欧州ではドイツとフランスという犬猿の仲の二つの国が競い合って何度も戦争を起こし、そのために両国とも荒廃した。第二次大戦後、フランスの周シューマン外相が提案して両国が主体となって欧州石炭鉄鋼共同体が結成され、まもなく欧州経済共同体につながった。さらに経済から政治の統合をめざし、現在の欧州連合を生んだ。
 メルコスールには、ブラジルとアルゼンチンに挟まれたウルグアイとパラグアイも同調した。翌1995年に正式に発足した。2012年にはベネズエラも加盟した。チリやボリビアなどのアンデス諸国も準加盟した。これが欧州と同様、経済の共同体が政治の共同体を作る動きにつながった。2004年、南米首脳会議は欧州連合並みの南米国家共同体を創設することを宣言した。中でも反米の姿勢を鮮明にしたベネズエラのチャベス政権は2001年、米州ボリバル代替構想(ALBA)という新たな中南米統合の枠組みを提案した。米国による中南米支配の具となった米州機構にとって替わろうとするものだ。だから「代替」なのだ。ボルトはかつて中南米を植民地支配したスペインから中南米を解放した将軍シモン・ボリバルの名に由来する。2010年にはキューバとベネズエラが共同声明で正式に提起し、2009年には米州ボリバル同盟と名を変えた。ボリビア、エクアドル、ニカラグアやカリブ諸国など8カ国が加盟した。

 キューバの孤立から米国の孤立へ
 米国とカナダで構成する北米と中南米を合わせて米州と呼ぶ。アメリカ大陸だ。そこにある35の国がいっしょになって第二大戦後の1951年に創った米州機構(OAS)という国際組織がある。地域の国々の連携を強め、平和や安全保障、紛争の平和解決を目指した。とはいえ。実態は、冷戦の中で米国が身近な国々を自分の陣営に固めるために作った反共同盟である。キューバは1962年に除名された。 米国の権威が続いたのは1994年までだ。その3年前にソ連が崩壊したあと、キューバの崩壊も間近だと考えられた。米国は北米自由貿易協定を発効させた1994年、勝ち誇ったように米州全体の首脳を米国のマイアミに集めた。当時のクリントン大統領が主導した第一回米州首脳会議で彼は勢いに乗り、キューバを除く米州すべてを網羅する米州自由貿易地域(FTAA)の創設を打ち上げた。2015年までにこれを実現しようとした。
 ところが、中南米諸国はいっせいに反発した。 
 それは政治の組織である米州機構に如実に現れた。中南米の国々は経済だけでなく政治でも自立をめざし、米州機構から除名されていたキューバを復帰させようという声が高まった。米国はキューバの復帰を阻止するため、2001年の第31回総会で「加盟国を民主主義国に限定する」という規則を盛り込むことを提案した。キューバは民主主義ではないとして排除できるからだ。しかし、この提案は採択されなかった。これが米国の最初のつまずきである。
 2002年のベネズエラのクーデター騒ぎのさいには、米州機構として米国に敵対するチャベス政権の正当性を認めた。2005年には事務総長選挙で革命が起きた。米国はエルサルバドルの前大統領を事務総長にしようとした。米州で唯一の国としてイラク戦争に派兵した彼への論功行賞だった。しかし、南米諸国は反発してチリのインスルサ元内相を推した。米国の推す候補は出馬を辞退した。その結果、インスルサ氏が就任した。それまでの米州機構の事務総長は、すべて米国が提案した米国べったりの政治家が就任していた。史上初めて米国が支持しない候補が機構のトップに選ばれたのだ。
 

 2009年の総会では、キューバを追放した1962年の決定を無効と決議し、ついにキューバの復帰を認めた。これに対してキューバは「米州機構はごみ溜めであり、消え去る命にある」と冷ややかに述べ、復帰を拒否した。この年に就任したオバマ米大統領は、米朝首脳会議に「米国は中南米諸国と対等な関係にある」と語った。米州に君臨していた米国が、少なくとも対等な関係まで降りたと認めざるを得なくなったのだ。
 米州首脳会議の第6回会議が開かれた2012年、ALBA諸国がキューバも参加させないのはおかしいと主張し、会議をボイコットした。そして、2014年の第7回会議準備会合では、翌年の会議にキューバを招待することを承認した。排除されてきたキューバは、丁寧に招かれることになったのである。
 この間、2011年にはベネズエラの呼びかけにより、中南米諸国すべてえの33カ国を網羅した中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)が発足した。これまでとは反対に、キューバを受け入れ米国を排除するものである。2014年に開かれたその第2回首脳会議は、キューバのハバナで開催された。
 ラウル・カストロ国家評議会議長は開会演説で米国によるキューバへのスパイ活動を国際法違反だと批判するとともに、中南米すべての国が戦争を放棄する「平和地帯宣言」を行うことを提案し、そのとうりに採択された。「武力の行使をおよび武力による威嚇を永久に放棄することをまざし、紛争を平和的に解決する」という、日本人にはなじみの深い文句が宣言に入った。
 こうした背景を受けて2015年の米州首脳会議で、キューバは初めて参加した。その場でラウル・カストロ国家評議会議長とオバマ米大統領は握手し、歴史的な首脳会談に臨んだのだ。オバマ大統領は、米国とキューバとの関係が中南米地域全体の転換点になると演説で語った。
 それは米国にとって、中南米支配の終焉を意味した。直後に登壇したカストロ議長は「相互に尊重した対話と共存」を強調した。キューバにとっては長年の孤立に耐えた勝利宣言である。
 このような流れの結果、米国はキューバを認めざるをえなくなったのだ。米国とキューバの国交回復交渉が再開したのは、この文脈を知って初めて納得できる。 


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