真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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善悪を逆様に見せるプロパガンダ

2024年08月17日 | 国際・政治

 813日、朝日新聞は、日本にある米軍基地に関し、かなり突っ込んだ記事を掲載しました。

”日米 不平等変わらぬまま”とか、

”地位協定の壁「改善」でごまかし”

”公務中 米軍に裁判権 独・伊・韓では改定実現”

”改定求めぬ政府 世論も背景”

”絶えぬ米軍機事故 放置される「異常」”

”規制できない飛行 辺野古移設でもくり返す恐れ”

”沖縄の戦後と主な米軍機事故” 

”沖縄県内で起きた最近20年間の米軍機事故”

”進む軍事一体化 全国にリスク”

 などと題されて、それぞれの問題点が取り上げられていました。しばらく前には、米軍基地と有機フッ素化合物(PFOSPFOA)の問題もかなり詳しくとり上げていました。

 だから朝日新聞は、米軍基地基地問題に関しては、日本人が知っておくべき事実の報道を続けていると思います。でも、朝日新聞は、日常の報道で、それを帳消しにしてしまっていると思います。

 客観的事実の報道を通じて、ウクライナ戦争を止めたり、台湾有事を回避したりするための努力をせず、ロシアを敵視してウクライナを支援し、中国を敵視して自衛隊の南西シフト問題に目をつぶっていると思います。だから、米軍基地問題の報道は、意味のないものになってしまい、「仕方がない」という問題になっていくのだと思います。米軍基地問題を脈絡のない話にせず、下記のような住民の行動と結び付けて報道すべきだと思います。

 日本政府は、アメリカの戦略に基づいて、中国やロシアを敵視し、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では、「力による一方的な現状変更の試みに反対」とか、「自由で開かれたインド太平洋地域を実現」などともっともらしい表現を使って提起した政策に、G7関係国の同意を得たようですが、その内実は、日米同盟の強化(さらなる日本の属国化)であり、緊張を高め、台湾有事をもたらす自衛隊の南西シフトであり、中国を敵とするアメリカを中心とする近隣諸国との軍事的一体化だと思います。

 また、サミットでは、”中国が海洋進出を強める東・南シナ海情勢に深刻な懸念を示し、力や威圧によるいかなる一方的な現状変更の試みにも強く反対すると表明した”ということですが、そうした日本政府の外交を追認する報道ではなく、日本政府に漠然とした表現を改め具体的に指摘して話し合う場をもうけることを提起すべきだと思います。

 そうした努力をせず、武力衝突を前提にして、さまざまな政策が進められている現実に目をつぶっては、米軍基地問題の報道は、意味を失うと思います。

 そしてそれは、アメリカの戦争戦略に手を貸すことだと思います。

 しばらく前、米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が講演で、アメリカの「機密情報」として、中国の習近平国家主席が「2027年までに台湾侵攻を成功させる準備を整えるよう、人民解放軍に指示を出した」との見方を示したことが報道されました。でも私は、それはアメリカの対中戦略上必要なプロパガンダで、「機密情報」というのは、事実ではないと思います。

 それは、何もしないと年々アメリカ離れが進み、衰退していくアメリカが、覇権と搾取や収奪による利益の獲得を維持するために計画した対中戦略の一環なのだと思います。

 なぜなら、中国が、現在、国際社会や台湾の反対を押し切って台湾に侵攻する理由などないと思うからです。

 台湾有事を必要としているのは、覇権や圧倒的な利益の獲得を維持し、やりたい放題をやってきたアメリカだと思います。そういう意味でアメリカは特殊な国だと思います。アメリカは他国となかよく利益を分け合い、民主的な国際関係を維持することができない、特殊な国になっていると思うのです。現在のアメリカ社会を維持するためには、覇権と搾取や収奪といえる圧倒的な利益の獲得が必要であり、他国となかよくし、民主的な国際関係を築くことはできないのだと思います。

 だから、何もしないと年々アメリカ離れが進み、衰退していくアメリカが、覇権と圧倒的な利益の獲得を維持するために計画した戦略として、ウクライナ戦争があり、台湾有事があるのだと思います。

 

 今、中国はさまざまな課題を抱えつつも、着実に国際関係を広げ、発展していると思います。

 先月、上海協力機構(SCO)首脳会議が、カザフスタンで開催されました。SCOの役割を拡大し、世界の平和・安全・安定を固める条件を作り出し、新しい世界秩序を構築するとした「アスタナ宣言」をはじめ、25の文書を採決したといいます。また、ベラルーシの正式加盟が承認され、加盟国が10カ国になったということです。その加盟10カ国の総国土面積は3,500万平方キロメートルを超え、人口35億人以上、世界のGDPの約4分の1を占め、世界貿易のシェアは15%以上だといいます。 

 だから、議長国カザフスタンの大統領は、首脳会議の演説で、SCOが大きな潜在力を持ち、世界的で重要な役割を担う組織に成長したと述べた(カザフスタン大統領府ウェブサイト)ということです。

 さらに、加盟国による非干渉、平等、相互利益を基本としている「BRICS」も、年々拡大しています。中国やロシアを中心とする反米・非米の国々の組織が拡大しているのです。だから、中国が台湾に侵攻する理由はないといってもいいと思います。

 バイデン政権は、14回にわたり、さまざまな武器を台湾に売却したといいます。日本をはじめ、近隣諸国にもさまざまな働きかけをして、軍事的関係を深めています。中国は黙って見過ごすわけにはいかないだろうと思います。だから、東・南シナ海における「中国の海洋進出」というのは、アメリカの戦略抜きに語れることではないと思います。

 善悪を逆様に見せるアメリカの戦略に乗ってはいけないと思います。

 ユネスコ憲章に、”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”とあります。

 今、日本は、戦争の支援や準備ではなく、ロシアや中国と”平和のとりでを築く”努力をすべきだと思います。

 

 下記は、引き続き、「わたしは見たポル・ポト キリング・フィールズを駆けぬけた青春」馬渕直城(集英社)からの抜萃ですが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュに関する客観的事実の報道が蔑ろにされ、善悪を逆様に見せる結果になってしまったといえるように思います。

 ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる粛清や拷問による死者も少なくなかったとは思いますが、”元来保守的で温厚な性格のカンボジア農民を苛烈な反米闘争へと駆り立てたのは、米軍による73年の大々的な無差別爆撃であった”という現実を見逃してはならないと思います。

 事の始まりは、アメリカの反共戦略に基づくベトナム戦争であり、カンボジアに対する大々的な無差別爆撃だと思います。

 アメリカによる爆撃の死者に目をつぶり、”民主カンプチアを懸命に建設するポル・ポト以下、指導部を大虐殺集団に仕立て”るような報道は許されないと思います。 

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                    第三章 民主カンプチアの誕生

 仕立てられた大虐殺

 1978年、日本国政府はすでに民主カンプチアを独立国家として承認し、在北京日本大使がカンボジア大使を兼任していた。その後、一時帰国した私は北京経由で入ってくる民主カンプチア政府の発表を順次翻訳するなどして入国の機会を窺っていた。

 そんな折、カンプチア政府は日本カンボジア友好協会に取材の許可を伝えてきた。当初、私はその訪問にカメラマンとして当然随行させてもらえると思っていた。だが団体は財政の逼迫を理由に、取材権利をNHKと共同通信社に売却してしまった。その額はわずか数百万円だったと言われている。私のプランペン行きこれで流れてしまった。

 解放軍によって行われた大下放により、プノンペンからは市民がまったくなくなってしまったという風説とは異なり、実際にはプノンペンには十万近くの人が住み、ロン・ノル政権時代から続く中小工場はすべて稼働していた。アンコール・ワットの貴重な仏像も、当時はまだベトナム軍に盗み出されておらず、残されていた。

 これらのことは、徐々にさまざまな証言や証拠の映像によって明らかにされていたが、石山さんと泰造さんの消息は、その頃になっても依然不明のままだった。 

 1977年の一回目の侵攻に失敗したベトナム軍は、よく78年のクリスマス、再度、大部隊で国境を破り、カンボジア国内へ武力侵攻を開始した。大量の機甲部隊が一気に領内に雪崩込み、民主カンプチア軍と激しい戦闘を繰り広げた。ポル・ポトが懸念していたベトナムの全面的侵攻が現実として起こったのだ。

 197917日、ベトナム軍がプノンペンに入城し、ポル・ポト以下民主カンプチア政府はタイ国境地帯へとその政治機能を移した。12日には傀儡ヘン・サムリン政権が成立したが、2月にはベトナムの軍事侵攻を見咎めた中国軍が、ベトナムに”懲罰”侵攻を開始。これに対してベトナムは全力で対抗。またしてもインドシナは戦火に見舞われることにとなった。

 ヘン・サムリン政権の誕生と前後して、タイ国境にカンボジア難民が大量にやってきた。その数、1979年、1980年で30万人。1981年にも10万人以上が国境を越えた。

 19791月以後、ヘン・サムリン政権やハノイからのニュースをもとに、日本のマスコミはポル・ポト政権の大量虐殺をセンセーショナルに伝え始めた。マスコミから流された”虐殺”による死者数は、300万から400万人という、とてつもない数だった。しかし不思議なことに、その数字の根拠はどれ一つとっても不明で、ただ虐殺は虐殺だと言い続けるだけなのだ。具体的な証拠など何一つなかった。

 そうしたなかで、197912月、イギリス人東南アジア史研者、京都精華大学教員(当時)デビッド・ポケット氏がこうした数字にいち早く疑義を呈している。

  ポケット氏は、まずカンボジアの人口が、67年当時の640万から79年には820万へ増加していることを指摘し、「全人口の四分の一にあたる200万人以上の死者が出たのなら、なぜ人口減として統計に現われないか。また、在パリ難民側の情報では、75年ポル・ポト政権誕生後の出生率はゼロに近いというが、人口はかなり増加している」(「朝日新聞」1979121日夕刊)と述べている。

 そのほか、77年ポル・ポト政権が20万トンのコメをビルマに輸出しているが、「民衆を虐殺してコメ増産ができるか」と問い、764月に「タイム」誌がビニール袋で窒息死させるイラスト掲載しているが、「石油産業のないカンボジアでは、ビニールは高級輸入品。とても大量虐殺には使えない」とも指摘するなど、欧米のマスコミの”大虐殺”に具体的な反証を挙げている。また、ポル・ポトを悪玉に仕立てることによって、ベトナムがカンボジアに侵攻しやすくなるとも指摘したうえで、こう結論する。

「このように、大国の思惑に反したからポル・ポト政権は袋だたきにあったと私は見る。むろん革命で伴う上層部の処刑はあったと思うが、それと民衆虐殺とは区別しなければならない。真実を究明し、カンボジア革命の背景を正しく位置づけることこそ、難民問題解決の近道となる(前掲「朝日新聞」)」

 1975430日、プノンペンの解放から少し遅れてサイゴンの解放が成った。この時青紅金星の南ベトナム解放軍旗を掲げて入城してきたのは、実は北ベトナム方言を話す北ベトナム正規軍だった。南ベトナム民族解放戦線の主力部隊は1968年の旧正月(テト)に北の指令で仕掛けたテト攻勢で消耗しきって、最終的にはすべての部隊が”北”に呑み込まれてしまった。このことは当時、誰も見抜けなかった。みな南の解放を諸手を挙げて喜んだのだ。

 解放(ジャイホン)の日、戦車部隊を取材したフジテレビと契約していたフリーの井出昭カメラマンは、「我々の戦争は、マレーシア国境に行きつくまで終わらない」という北ベトナムの兵士の言葉に驚いている。

 当時あった中国とソ連の対立を背景に、ソ連を選んだベトナムは、中国革命方式(農業中心)をとらず工業中心のソビエト方式を取った。しかし結果は失敗に終わり、深刻な食糧不足に陥った。その失政は北の忠実な戦士にさえ反発が起きるほどだったと言われる。

 ベトナム労働党は、主導するインドシナ連邦化政策を続行することによって、食糧不足に苦しむ北の住民の反発を抑え、南ベトナムの反北側の人間を処分するという方向へ進んだ。

 華僑系ベトナム人を中心とした住民の多くが、ボートピープルとなって南ベトナムを脱出した。逃げることができずに残った元南ベトナム軍、官吏などは再教育センターへ送られた。最近、そうしたセンターで多数の犠牲者が出たという情報も出てきている。

 日本共産党や新左翼もこの情報をはっきりと見ることができなかった。それはひとえにマスコミのベトナムに対するシンパ報道が目をくらませた結果だった。共産党新左翼とは距離を取りつつ反戦運動を展開していたベー平連関係者もさすがに正しく情報を把握し、対処することができなかった。

 1977年にベトナム軍がカンボジア侵攻する前に、ベトナム側がカンボジア軍の国境侵犯の現場案内するといってジャーナリストを集めたことがある。そこには香港で発行されている「アジアウィーク」の記者フランシス・スターナーやティチアーノ・テルザニも招かれていた。取材許可が出たものの、フランシスはハノイで1ヶ月近く待たされ、ようやくヘリコプターで国境付近の現場に連れて行かれた。

 大砲の音がするのだが、どうも方向がおかしい。カンボジア側ではなく、ベトナム側から発射されている気がする。虐殺された農民たちの服装もどう見てもクメール人のものだ。フランシスは何か胡散臭いものを感じたとバンコクに戻ってから私に話した。その国境近くの村には、もともとクメール人が多く住んでいたところだから服装がクメール風であることは充分ありうる。だからでっち上げとは決めつけられないが、1ヶ月も待たされたというのは、ベトナムに都合のいい事件が起こるまで待っていたとしか思えない。

 事実、それらの記事が発表されてほどなくして、カンボジアへの侵攻が行われた。「蜂起したカンボジア人民を助けるボランティア軍が入った」という大ウソのもとに。

 そうしたプロパガンダに乗っかったかたちの各マスコミは、結果として民主カンプチアを懸命に建設するポル・ポト以下、指導部を大虐殺集団に仕立て、それを退治する正義漢を演じるベトナムに加担したことになる。


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