731部隊で石井四郎の身のまわりの世話をしていたという「渡邊あき」の長男周一氏から、石井四郎直筆の大学ノート2冊を受け取り、その事実や内容を初めて公にした青木冨貴子氏は、また、アメリカのメリーランド州国立公文書館で「亀井貫一郎」のファイルから文書番号57327Secretとある文書を見つけ出し、「731」青木冨貴子(新潮社)で731部隊の戦後の密約に関わる部分を明らかにしている。
この文書ついては、下記のような説明がなされている。
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いちばん目を引いたのは、1950(昭和25)年4月6日付の「亀井貫一郎に関する尋問記録」と題する秘密文書だった。
「この尋問記録は、石井四郎元中将を尋問した後、エージェントHが用意した尋問記録である」
と注が付いている。つまり石井を尋問してきたエージェントが石井本人に代わってエージェントHの質問に応答するというスタイルの調書である。内容は石井本人の尋問と考えて良いように、出来上がった調書を石井に見せ、記載された応答が正しいか確認を取り、末尾に本人の署名を求めている。
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以下はその尋問記録の一部抜粋である。
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「1947年3月から5月、亀井は細菌戦についての事実を確認するため懸命に努力し、米国から来たフェル博士、二世の通訳である吉橋太郎、マックフェール中佐や日本の細菌戦担当者などとともに働いた。はじめ亀井は長い時間をかけて増田大佐に細菌戦研究の結果をフェル博士に話すように説得した。次に彼は大田大佐と人体実験を担当した約20名の部下の研究者を鎌倉に呼び寄せ、正確で非常に貴重な詳細に及ぶ報告書を用意させた。また、石井隊長にはフェル博士の要望により、非常に重要な概要を東京で執筆してもらった。
報告書を用意させるために、亀井は報告書を書く者の安全を保障し、彼らの協力を得るために、米国の意思と思われる以下の条件を提示した。」
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そして、「石井部隊の研究者たちは、以下の九項目の条件をのんで、執筆にかかったことになる」というのである。また、下記の「九ヵ条の密約」が交わされたのが「鎌倉会議」であり、細菌戦実験を担当した20名が鎌倉で記した報告が、現在所在不明の60ページに及ぶ英文の「19人の医者による(人体実験)リポート」だということなのである。
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1.この秘密の調査報告はフェル博士、マックフェール中佐、および吉橋通訳とGHQのアメリカ人、そして石井と約20名の研究者のみに限定されている。
2.日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
3.報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人にのみ提供される。
4.ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
5.報告書は一般に公表されない。
6.研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。
7.主要な研究者は米国へ行くことを許可される。
8.細菌戦実験室が作られ、必要な経費が支給される。しかし、アメリカ人実験室長の下に行われる日本人研究者との共同研究はさらに考慮される。研究に基づく特別実験が予定される。
9.アメリカ人だけによる全面的な共同研究は日本の問題に良い影響を与える。
アメリカ人とこれらの条件を決定するに当たり、8以外はすべてアメリカ人の一般的意図に基づく。
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亀井貫一郎は、東京帝国大学法学部卒で外交官として数年間アメリカで過ごした。サンダースが増田知貞大佐の尋問をしたとき通訳を務めている 。社会民衆党の衆議院議員として活躍したこともあったようであるが、戦時中は大政翼賛会の東亜部長を引き受けたり、東条首相の同意を得て「財団法人聖戦技術協会」を設立したりしたという。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
この文書ついては、下記のような説明がなされている。
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いちばん目を引いたのは、1950(昭和25)年4月6日付の「亀井貫一郎に関する尋問記録」と題する秘密文書だった。
「この尋問記録は、石井四郎元中将を尋問した後、エージェントHが用意した尋問記録である」
と注が付いている。つまり石井を尋問してきたエージェントが石井本人に代わってエージェントHの質問に応答するというスタイルの調書である。内容は石井本人の尋問と考えて良いように、出来上がった調書を石井に見せ、記載された応答が正しいか確認を取り、末尾に本人の署名を求めている。
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以下はその尋問記録の一部抜粋である。
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「1947年3月から5月、亀井は細菌戦についての事実を確認するため懸命に努力し、米国から来たフェル博士、二世の通訳である吉橋太郎、マックフェール中佐や日本の細菌戦担当者などとともに働いた。はじめ亀井は長い時間をかけて増田大佐に細菌戦研究の結果をフェル博士に話すように説得した。次に彼は大田大佐と人体実験を担当した約20名の部下の研究者を鎌倉に呼び寄せ、正確で非常に貴重な詳細に及ぶ報告書を用意させた。また、石井隊長にはフェル博士の要望により、非常に重要な概要を東京で執筆してもらった。
報告書を用意させるために、亀井は報告書を書く者の安全を保障し、彼らの協力を得るために、米国の意思と思われる以下の条件を提示した。」
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そして、「石井部隊の研究者たちは、以下の九項目の条件をのんで、執筆にかかったことになる」というのである。また、下記の「九ヵ条の密約」が交わされたのが「鎌倉会議」であり、細菌戦実験を担当した20名が鎌倉で記した報告が、現在所在不明の60ページに及ぶ英文の「19人の医者による(人体実験)リポート」だということなのである。
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1.この秘密の調査報告はフェル博士、マックフェール中佐、および吉橋通訳とGHQのアメリカ人、そして石井と約20名の研究者のみに限定されている。
2.日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
3.報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人にのみ提供される。
4.ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
5.報告書は一般に公表されない。
6.研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。
7.主要な研究者は米国へ行くことを許可される。
8.細菌戦実験室が作られ、必要な経費が支給される。しかし、アメリカ人実験室長の下に行われる日本人研究者との共同研究はさらに考慮される。研究に基づく特別実験が予定される。
9.アメリカ人だけによる全面的な共同研究は日本の問題に良い影響を与える。
アメリカ人とこれらの条件を決定するに当たり、8以外はすべてアメリカ人の一般的意図に基づく。
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亀井貫一郎は、東京帝国大学法学部卒で外交官として数年間アメリカで過ごした。サンダースが増田知貞大佐の尋問をしたとき通訳を務めている 。社会民衆党の衆議院議員として活躍したこともあったようであるが、戦時中は大政翼賛会の東亜部長を引き受けたり、東条首相の同意を得て「財団法人聖戦技術協会」を設立したりしたという。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
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