真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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731部隊に関するアメリカのトップシークレット

2008年06月03日 | 国際・政治
 下記は、「ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求」が出されて以降のアメリカ軍のやり取りの一部である。(連続したものではなく,、特徴的な文書のみを取り上げている)「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)からの抜粋である。(最初の数字は資料番号である)
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97

連合国軍総司令部

                                       APO500 
                                   1947年3月27日
    参謀長への要約報告
 一、本文書はソ連による旧日本軍の細菌戦専門家の引き渡し要求に関してのものだ。
 二、アメリカは優先権をもっており、その人物の尋問はすでに行い、彼のもたらした情報は米軍化学戦部隊の手にあり、最高機密〔トップシークレット〕となっている。 
 三、
ソ連はこの人物の確保を何度か試みている。我われはかくまってきた。ソ連は日本人専門家が戦犯であると主張し、自分の主張を通そうとしている。
 四、統合参謀本部の指示は、訴追はさせず、連合国軍総司令部の監督下で尋問させよ、それは極東軍にいない専門家の助けがいるかもしれない、である。
 、覚え書は次の通り進言する。
  a、陸軍省に専門家二人を送るよう電報を打つ。
  b、
ソ連に対し日本人専門家の引き渡しを拒否する手紙をだす。
  c、統合参謀本部が承認した尋問へ向けて動くよう、国際検察局に紹介状をだ   す。
                                         C・A・W
                                       〔R・G331〕

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98

                                      1947年4月1日
発信──陸軍省、ワシントン
あて先──極東軍最高司令官
番号──W95265
 1947年3月29日のC51310について
ノバート・H・フェル博士を尋問を行う人物として化学戦部隊〔CWS〕は選んだ。尋問者は1人で十分と考えられる。貴下がとくに2人の必要性を示せば別だが。フェル博士は、4月5日にワシントンを出発する予定である。
                                          サインなし
                                        〔R・G331〕

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99

                                         APO500
                                     1947年4月10日
高級副官部〔AG〕000・5(ソ連)
覚え書、あて先──K・ドレヴヤンコ中将、対日理事会、ソ連代表委員

   主題──覚え書1087,1947年3月7日

 一、〔省略〕
 二、貴下の覚え書1087の第3節について。
日本の石井将軍および太田大佐をソ連に引き渡すことはできない。というのは中国あるいは満州において日本が行ったとされる行為について、ソ連には戦犯訴追の明確な権利がないように思えるからである。
 三、貴下が第3節で言及している人物についてはすでに連合国軍総司令部の国際検察局とも連絡をとり、極東国際軍事裁判所のソ連の次席検察官と協力しての尋問を考慮中である。しかし共同尋問は戦犯調査ではないし、また今回の尋問許可は将来の要求の先例となるものではないことに留意すべきである。
                                    最高司令官に代わって
                                    ジョン・B・クーレイ
                                      大佐、高級副官部
                                          高級副官
                                       〔R・G331〕

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108

SFE188/2
1947年8月1日
国務・陸軍・海軍3省調整委員会極東小委員会

   ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料──SWNCC351/2/D 事務局員による覚え書

 一、同封書類は参考資料への回答として作業グループから三省調整委員会に提出されたレポートであるが、小委員会での審議のため回覧
する
 以下省略

同封書類


    ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

      問題
 、1947年5月6日付の極東軍最高司令官の電報C52423に対する回答作成。同電報は、日本の生物戦情報を情報チャンネル内に留め置き、そうした資料を「戦犯」の証拠として使用しないよう進言している。
      問題となっている事実
 、付録「A」をみよ。

     考察
 、付録「B」をみよ。
 、次のように結論された──
  a、日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。
  、入手したデータは付録「A」の3節にその概要が示されているが、現在のところ石井および彼の協力者を戦犯として訴追するに足る十分な証拠とはならないように思える。

  アメリカにとって、日本の生物戦データの価値は国家の安全に非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である。
  国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない。
  、日本人から得られた生物戦の情報は、情報チャンネルに留め置くべきであり、「戦犯」の証拠として使用すべきでない。
     勧告
 、次のように勧告する──
  、3省調整委員会は前記結論を承認せよ。
  、3省調整委員会の承認後、統合参謀本部は、軍事的な観点から問題がなければ、付録「D」のメッセージを極東軍最高司令官に送
付することとする。
  、本問題について今後の通信はすべて最高機密〔トップシークレット〕に指定すること。

付録「A」

     問題となっている事実
 一、第1節で引用されている電報の第2部は、
日本の生物戦の権威、石井将軍は、彼自身、上官および部下に対して、文書によって「戦犯」免責が与えられるなら、日本の生物戦プログラムを詳細に述べよう、と言っている石井と彼の協力者たちは現在まで文書による免責がなくてもそうした情報を任意に提出してきたし、またしつつある。
 二、日本の細菌戦専門家19人が人間を使った生物戦研究について60ページのレポートを書いている。9年間にわたる穀物の破壊についての20ページのレポートも作成された。獣医学分野の研究も10人の日本人科学者によるレポートが書かれつつある。日本の病理学者1人が、生物戦の実験に使われた人間および動物の解剖から得られた顕微鏡用標本8000枚の顕微鏡写真の収集と作成を行っている。石井将軍は生物戦の全分野についての20年にわたる彼の経験をまとめている。
 三(以下抜粋者が省略)

付録「B」

    考察
 、日本の生物戦情報の価値
  a、石井および彼の仲間からすでに得た情報は、アメリカの生物戦研究のいくつかの面を確認し、補足しそして補充するうえで大きな価値があることがわかったし、また、将来の新しい研究を示唆しているようである。

  、この日本の情報は、生物兵器用病原体の人体への直接効果をみるための科学的にコントロールされた実験から得られた唯一のデータである。これまで、生物兵器用病原体の人体への効果は、動物実験のデータからみつもるしかなかった。そうしたみつもりは不確実であり、一定のやり方での人体実験から得られる結果と比べれば、はるかに不完全なものである。
  、人体実験の結果のほかに、日本の動物および穀物に対しての実験からも非常に重要なデータが得られた。この生物戦情報が任意に提出されていることは他の分野でももっと新しい情報が得られることの前ぶれかもしれない。
 二、「戦犯」訴追を避けることの利点

  ソ連は日本の技術情報のごく一部しか入手しておらず、また「戦犯」裁判はそうしたデータを各国に完全に公表することになるため、そうした公表はアメリカの防衛および安全保障の観点から避けるべきである、と思われる。また石井と彼の協力者を「戦犯」訴追することは、新たな技術的および科学的な情報の流れを止めることになる、と信じられる。
  、この情報を「戦犯」の証拠に使うことは日本占領アメリカ軍への日本の協力を非常にそこなうことになる、と思われる。
  c、実際上、石井と彼の協力者に対して、日本の生物戦についての彼らからの情報は情報チャンネルに留め置かれると約束することは、本政府は生物戦にかかわり、そこで戦争犯罪を行った人物を訴追しない、と約束するのと同じことである。こうした了解はアメリカ国民の安全にとって、石井と彼の協力者がこれまでもたらし、また今後もたらし続けるであろう情報ゆえに、大きな価値をもつであろう。しかし、次のことに留意しておく必要がある。すなわち奉天地区でのソ連の独自の調査は、アメリカ人捕虜が生物戦の実験に使われていて、それら実験の結果として命を落としていた証拠をつかむかもしれない。さらにそうした証拠をソ連検察官が目下の東京裁判の日本のA級戦犯の何人かへの反対尋問の際に、とくに石井生物戦部隊がその一部であった関東軍の1939年から1944年までの司令官、梅津への反対尋問の際にもちだすかもしれない。さらに、
ソ連検察官が梅津への反対尋問で、石井生物戦部隊が人体実験を行っていた証拠をもちだす可能性は強い。彼らの人体実験は、本政府が目下ニュールンベルクでドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とそう違うわないものである。

付録「C」〔省略〕

付録「D」

    極東軍最高司令官へのメッセージ

 以下の電報は2部から成っている。
 第1部。1947年5月6日のC52423について。
三Bと五の進言は承認する。生物戦について石井と彼の協力者から得られた情報は情報チャンネルに留め置かれ、「戦犯」の証拠として使用されることはない。〔以下省略〕
 第2部。
前記問題についての全通信文を最高機密に指定する。
                                    〔R・G153〕

    http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
(赤字は、抜粋者が個人的に重要と考えた部分) 
  

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731部隊関係者のソ連検察官による尋問要求

2008年06月02日 | 国際・政治
 下記は、「ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求」に関わる文書である。この文書を受け取る以前のアメリカによる731部隊の調査報告書(サンダース・レポートおよびトンプソンレポート)には、人体実験や中国への生物兵器による攻撃については、触れられておらず、解明されていなかったのである。このソ連の尋問要求が出されて以降、アメリカの関係機関の間でさまざまな文書のやり取りがあり、右往左往したことが「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)の資料からうかがい知ることができる。資料の一部を抜粋する。
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89

主題──尋問要求
発信──連合国軍総司令部 国際検察局
あて先──GーⅡ
                               日付──1947年1月9日
注一、マッカイル中佐が話し合った結果、ソ連側の国際検察局から調査部を通じてGーⅡに、同封の覚え書が送付された。覚え書についての説明は不要である。覚え書に対する適切な措置について当部に対して助言を求める。
同封書類一通(極東国際軍事裁判 ソ連よりの覚え書)。

      覚え書

あて先──ウィロビー少将、GーⅡ部長、連合国軍総司令部
経由──国際検察局調査部
発信人──ヴァシリエフ少将、極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
 国際検察局のソ連代表部には、関東軍が細菌戦の準備をしていたことを示す材料がある。
 これら材料を証拠として軍事裁判所にだすには、関東軍防疫給水部すなわち満州731部隊でかつて活動していた人物について、数多くの補充的尋問が必要である。
 それら人物は、
 一、石井軍医少将、防疫給水部第731部隊長
 二、菊池斉大佐、防疫給水部第731部隊第一部長
 三、太田大佐、防疫給水部第731部隊第四部長(かつて、第二部長を務めていた)
 これらの人物は、彼らが戦争に細菌を使用する目的で細菌の研究を行っていたこと、またこれらの実験の結果として多くの人びとを殺していることについて証言することとなる。この調査が完了し、材料が裁判所に提出される前に、本調査に関する情報が拡散することのないよう予備的な措置を講じるのは妥当なことと信じる。すなわちこれら証人から、この調査についてだれにも言わないという約束をとりつけ、予備的な尋問は陸軍省の建物内では行わない、ということだ。
 前述のことに関連して、1947年1月13日に前述の尋問ができるよう国際検察局を通じて助力していただきたくお願いする。尋問はとくにこの目的のために用意された場所で、本調査について口外しないという約束をとりつけたうえで行われる。
 このほかに当方は貴下に対し、国際検察局のソ連代表部に防疫給水部第731部隊元第二部長村上隆中佐、および同部隊元総務部長中留め金蔵の所在について文書で知らせるよう要求する。これら文書は彼らを裁判にかけるために必要である。
                               ヴァシリエフ少将         
                  極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
                                  〔R・G331〕

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90

極東軍総司令部
参謀部、情報局
                                  1947年1月17日 
主題──日本の細菌戦実験
あて先──極東軍、GーⅡ参謀副長
 、以下に報告する言明は東京のソ連検察局のメンバー、ソ連軍のスミルノフ大佐から得られたものである。本情報は陸軍省情報局の日本部から陸軍省に生物戦の補遺レポートとして送付するよう勧告する。
 、前記主題についてのソ連の関心がGーⅡに知らされたのは1947年1月7日国際検察局のワルドーフ氏が、ソ連から生物戦についての尋問のため日本人の引き渡しを求められている、と述べたときである。GーⅡから国際検察局に、ソ連に対して要求の理由を覚え書きとして提出させるよう指示した。その結果が添付の覚え書(同封書類一)である。そのときソ連に、マッカイル中佐がこの問題について彼らと会談する用意がある、と告げ、会合は1947年1月15日9時から東京の陸軍省で行うことになった。
 、出席者は以下の通りである。
    R・P・マッカイル中佐 極東軍、GーⅡ
    O・V・ケラー少佐 化学戦将校
    A・J・ヤヴロツキー 極東軍、GーⅡ、通訳
    D・L・ワルドーフ 連合軍総司令部、国際検察局
    レオン・N・スミルノフ大佐
    ニコライ・A・バゼンコ少佐 ソ連軍将校
    アレックス・N・クニフ ソ連通訳
 四、マッカイル中佐はスミルノフ大佐に、ソ連がこの問題で尋問を必要とすることになった材料あるいは情報の説明を求めた。スミルノフ大佐はクフフ氏を通じて次ぎのように述べた。
 「終戦からまもなく満州第731部隊第四部の川島将軍と彼の補佐役柄沢少佐を
 尋問した。彼らは次のように証言した。すなわち日本軍は細菌戦の大規模な研
 究を平房の研究所および安達の野外実験場で、満州人や中国人馬賊を実験材
 料として使って行っていた。実験の結果、合計2000人が死亡した。平房には発
 疹チフスを媒介するノミを大量生産する装置やコレラ菌や発疹チフスの病原体を
 大量に培養するベルトコンベヤー・システムが2基あった。ノミは3ヶ月で45キロ
 グラム生産された。コンベヤー1基で1ヶ月に、コレラなら140キログラム、発疹 
 チフスなら200キログラムの病原体を培養した。」
 「発疹チフスを媒介するノミの生産は次のようにして行われた。発疹チフスに感染
 させたネズミを4500個の特別な缶の中に入れ、ノミに刺させる。しばらくして、缶
 の中の電灯をつけ、感染したノミをネズミから引き離し、着脱できるノミ容器に追
 い込む。ノミを大量に集める。ネズミを刺してから7時間後には、刺したノミは感染
 している。」
 「平房では人間は監房にいれられ、研究室で培養される各種培養菌の効力につ
 いてのデータを得るため、いろいろなやり方で感染させられた。人間はまた囚人
 護送車で安達に送られ、杭に縛りつけられ、実戦におけて細菌を散布する方法、
 主に飛行機からの爆弾投下あるいは噴霧によって細菌を浴びせられた。犠牲者
 は平房に戻され、観察された。」
 「前記情報はソ連にとってあまりにも途方もないことだったので、ソ連の細菌戦専
 門家が呼ばれた。彼らは再尋問を行い、平房の廃墟を調べ、この情報を確認し
 た。(平房施設は日本軍が破壊した。それがどんな具合かについてはっきりさせ
 るため、マッカイル中佐は次のように質問した。問──大佐は『平房の廃墟』と言
 われた。それは爆撃によるのか、それとも戦闘の結果か。)」
 「平房の施設は日本軍の手によって、証拠隠滅のために完全に破壊された。す
 べての文書が破棄され、わが方の専門家は廃墟を写真に撮ろうかと思い悩むこ
 ともないほどひどい破壊状況だった。」
 「日本軍は満州人や中国人2000人を殺すという恐るべき犯罪を行い、それには
 石井将軍、菊池大佐、それに太田大佐が関与している。(ソ連側が尋問を望んで
 いる日本人の名前である。)ノミや細菌の大量生産も非常に重要である。ニュー
 ルンベルク裁判でドイツの専門家は、ノミを使って発疹チフスの病原体を蔓延さ
 せることは細菌戦の方法として最高のものと考えられる、と証言している。日本
 はこの技巧を保有しているように思える。この情報を入手することはソ連にとって
 だけでなく、アメリカにとっても意味があるだろう。これら3人の日本人の尋問を、
 戦犯となることは免れないということは言わずに行い、彼らに尋問について口外
 しないと誓わせることを要求する。」
 、会談で得られる情報は、すでにアメリカが知っていること、あるいは、これまでの調査官が疑っていたことと一致する。生産量についての数字は新しいものだ。人体実験は疑っていた。平房の施設が文書ともども完全に破壊されたという情報は、これまでに得られた情報と一致している。以下の秘密レポートをみよ。
    a、〔サンダース・レポート〕
    b、〔トンプソン・レポート〕
                               ロバート・P・マッカイル
                                     中佐、歩兵
                                    〔R・G・331〕



     http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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731部隊調査報告書”トンプソン・レポート”抜粋

2008年06月01日 | 国際・政治
 下記は、アメリカが日本の731部隊について調査した第2次の報告書である。この時には、まだ731部隊の実態を正確に把握していなかったようである。「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)からの一部抜粋である。
----------------------------------
陸軍補給部隊
キャンプ・デトリック 
フレデリック、メリーランド

        日本の生物戦研究・準備についてのレポー


報告──アーヴォ・T・トンプソン獣医中佐
1946年5月31日

         序文
 本レポートの調査は1946年1月11日から1946年3月11日まで行われた。これは1945年12月26日付のワシントンの高級副官部〔AG〕室から東京のアーヴォ・T・トンプソンへの手紙による行動命令AGPOーAーOー201の第1項にもとづいて行われた。

        目次
  一、要約
  二、結論
  三、日本の生物戦研究・準備についてのレポート
   補遺一、ハルビン地区の見取図
   補遺二、
    a、関東軍防疫給水部の組織図
    b、関東軍防疫給水部の任務の概要
   補遺三、
    a、ハルビン研究所の平面図(石井)
    b、ハルビン研究所の平面図(北野)
    c、平房施設の平面図(石井)
    d、平房施設の平面図(北野)
    e、平房研究所で行われていた業務の概要
   補遺四、 
    a、イ型爆弾の詳細  
    b、ロ型爆弾の詳細  
    c、ハ型爆弾の詳細 
    d、ウ型爆弾の詳細  
    e、旧式宇治型爆弾の詳細
    f、ガ型爆弾の詳細
    g、宇治五〇型爆弾の詳細


        要約
日本の生物戦研究・準備
 一、日本は軍の手で生物戦の攻撃と防御の両面において大規模な研究を行っ
   ていた。日本海軍の生物戦への関心は防御面に限られていたようである。
 二、日本陸軍の生物戦研究・開発は主に石井四郎中将によって支配され動かさ
   れていた。この活動の遂行は正式の命令を受けておらず、軍陣予防医学の
   ひとつとして行われていたと述べているが、研究の進捗状況からみて、生物
   兵器研究・開発がすべての面について大規模に行われていたこと、および陸
   軍最高幹部の公式の認可と支援があったことは明白である。
 三、ソ連や中国による生物兵器の謀略的使用に対し防御手段を開発する必要が
   あったという申し立ては、石井が日本において生物戦研究・準備を行うために
   展開した論理であった。攻撃的武器としての生物兵器の開発はまったく考え
   ていなかった、と彼は強調した。
 四、満州ハルビン近郊の平房の施設は主要な生物戦の研究と開発のセンターだ
   った。同じ分野の研究は東京の陸軍軍医学校で行われていた。生物戦は軍
   事上の問題で極秘事項のため、民間の科学者および研究施設は動員されな
   かった。
 五、生物兵器用病原体として考えられていたのは、ウィルスやリケッチアのほか
   に、腸ーパラチフス、コレラ、赤痢、炭疽、鼻疽、ペスト、破傷風それにガス壊
   疽の病原体であった。野外実験に使われたのは病原性のない菌と、人獣共
   通の病原体、すなわち炭疽菌と鼻疽菌の二種類に限られていた。
 六、日本が研究していた生物兵器用病原体の散布方法には、爆弾、砲弾、飛行
   機からの噴霧、および謀略的手段があった。病原体の効果的な散布手段開
   発の中心が爆弾の開発であったことは明らかである。そのため1940年まで
   に飛行機から投下する爆弾が9種類開発され、試験された。その中には地面
   を汚染するもの細菌の雲を作るもの、それと破片による傷口から感染を起こ
   すための破片爆弾などが含まれていた。

 七、砲弾は多目的用の砲弾を生物兵器散布用に改造したものについて予備的
   な実験が行われただけである。砲弾による散布は実用的ではなかった。飛行
   機からの噴霧も数回の予備的実験の結果同じ結論に到達した。
 八、ハ型爆弾と宇治五〇型爆弾は平房で開発された散布手段の中で最も有効
    なものと考えられていた。両方ともいくつかの大きな欠点があったが、石井
   は爆弾専門家の手でこれらの欠点を直し改良を加えれば、どちらも有効な生
   物兵器となりえた、と信じている。
 九、防疫と濾水の強化が生物戦に対する最も有効な防御策である、と日本は考
   えていた。防疫給水部の各本部、および支部が戦場での伝染病の発見、予
   防、それに流行の制圧の仕事を受け持っていた。憲兵は生物戦発生の可能
   性の調査、証拠の収集、それに謀略工作員の逮捕といった補助的な仕事を
   行った。
 十、日本は生物戦の攻撃面の研究・開発で大きなシンポを達成しているが、結局
   実用的な武器として生物兵器を使用するまでにはいたらなかった。


        結論
 調査担当者の意見は次の通りである──
 一、日本の生物戦研究・準備について、おのおの別個とされる情報源から得られ
   た情報は見事に首尾一貫しており、情報提供者は尋問において明らかにして
   よい情報の量と質を指示されていたように思える。
 二、情報のすべてが記憶にもとづくものとされているのは、すべての記録は陸軍
   省の命令で破棄されたと言われているためである。しかしいくつかの情報、と
   くに爆弾の図面は非常に詳細で、証拠書類が破棄されたという説明には疑問
   がある。
 三、尋問全体を通じて、生物戦における日本の研究・準備、とくに攻撃面の研究・
   開発の規模を小さくみせたいというのが彼らの願望であることは明白である。
 四、軍だけで生物兵器の研究・開発をし、民間の科学力を全面的に動員しなかっ
   たことは、軍の各部門との協力を欠いたことと相まって、生物兵器を実用的な
   武器として開発するうえで障害となった。
 五、生物兵器が実用化されていても、日本がそれを使ったとは思えない。すなわ
   ち彼らは化学兵器による報復を恐れていた。知りえたかぎりでは、日本はアメ
   リカの生物戦研究・準備についてなんの情報ももっていなかった。

 
    http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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