先週、誕生日を迎えました。
当日は早い時間から、Facebook友達からのメッセージをいただきました。
Facebookでは、当日誕生日の方のお知らせが毎日届きます。
友達と言っても、仕事関係の方や一度会ったきりの方もいらっしゃって、御祝のメッセージ送りたいなと思っても、相手のタイムラインに私のメッセージが載って迷惑じゃないかな~なんて迷って、結局御祝を言えないままになったりします。
それで、自分が受け取る番になると・・やはりメッセージをもらうと嬉しい。
あんまり深く考えないで、気持ちを伝えればいいかな~と・・・そうは思ってもやっぱり気になる。
いろいろ考えてしまう私にはFacebookは向かないのかな?
さて、誕生日、上の娘からは小銭入れをもらいました。
申し訳ないけれど、記録していないと何をもらったか忘れてしまうので画像アップ(正確にはもちろんもらったことは覚えているけれど、いつもらったかを忘れてしまう)。
下の娘からはケーキを買ってもらいました。こちらは写真撮る前に食べちゃいましたので、写真なし。
モンブランとフロマージュ。誕生日が平日だったので、当日は小さいモンブランを、そしてあとからフロマージュのホール。
どちらもとってもおいしくいただきました。
さてさて、この週末は敬老の日があって、三連休。
初日の土曜日はいつものように実家に帰って両親の様子を見てきました。
父親の様子がだいぶ悪い。痴呆がものすごい速さで進んでいます。
母親が一人で奮闘していますが、そろそろ限界かな・・・
2年ほど前に父親の異変に気付いてから、できるだけ進まないような方法、身体や頭を使うことを実家に帰るたびにアドバイスしてきたけれど、ぜんぜん聞いてくれなかった。
医者や薬に頼って、自分たちで努力してない様子を情けなくみていました。
特に母親が自分の考えに固執していて、父親がこんなふうになったのは母親のせいだと思ってしまう自分が悲しいです。
もう施設を考えた方がいいんじゃないかと強く主張して、絶対自宅で頑張る派の母を悲しませて帰ってきました。
子どもの側は親と同じ経験がないので、本人の気持ちがなかなか理解できず、きついことを言っているだろうとぼんやり想像できても、本当の痛みはぜんぜんわかっていないだろうとは思っています。
冷たいこと言っているんだろうなとも思います。
でもやはり言ってしまう。
こういう時って、昔の親との嫌な思い出。自分のこと親身に考えてくれてなかったとか、子どものことより夫婦の都合を優先したとか、そんなことばかりが思い出されます。
自分を正当化するためにそんなことばかり思い出すのかもしれないですね。
私は昔話に出てくる自分をとことん犠牲にして親孝行をするような孝行娘にはなれないんだなあと、寂しくもなります。
でも、高齢になってからって、まさに自分の生き方が問われるとも思います。
いずれ弱って、最期は誰でも死ぬので、その時自分がどうするのか。
自分の人生だから、自分は子どもに迷惑をかけたくありません。
そのためには、いまから身体と頭をちゃんと使っておかないといけないなあと思いますし、自分で生活ができなくなった時の施設も考えないといけないです。
できれば、ピンピンコロリ。でも自分の死に方が選べないので、これから先、自分の死をはっきり意識する年齢になった時のことを考えると怖いですね。
その時になった時、自分の真価が問われるだろうと思っています。
案外バタバタしそうです。
いまは偉そうに言ってても、最期はちゃんと他人様から評価されます。
それにしても、いま親不孝しているので、自分はろくな死に方しないんじゃないかな~と恐ろしくなります。
次回は明るい話題にします!
当日は早い時間から、Facebook友達からのメッセージをいただきました。
Facebookでは、当日誕生日の方のお知らせが毎日届きます。
友達と言っても、仕事関係の方や一度会ったきりの方もいらっしゃって、御祝のメッセージ送りたいなと思っても、相手のタイムラインに私のメッセージが載って迷惑じゃないかな~なんて迷って、結局御祝を言えないままになったりします。
それで、自分が受け取る番になると・・やはりメッセージをもらうと嬉しい。
あんまり深く考えないで、気持ちを伝えればいいかな~と・・・そうは思ってもやっぱり気になる。
いろいろ考えてしまう私にはFacebookは向かないのかな?
さて、誕生日、上の娘からは小銭入れをもらいました。
申し訳ないけれど、記録していないと何をもらったか忘れてしまうので画像アップ(正確にはもちろんもらったことは覚えているけれど、いつもらったかを忘れてしまう)。
下の娘からはケーキを買ってもらいました。こちらは写真撮る前に食べちゃいましたので、写真なし。
モンブランとフロマージュ。誕生日が平日だったので、当日は小さいモンブランを、そしてあとからフロマージュのホール。
どちらもとってもおいしくいただきました。
さてさて、この週末は敬老の日があって、三連休。
初日の土曜日はいつものように実家に帰って両親の様子を見てきました。
父親の様子がだいぶ悪い。痴呆がものすごい速さで進んでいます。
母親が一人で奮闘していますが、そろそろ限界かな・・・
2年ほど前に父親の異変に気付いてから、できるだけ進まないような方法、身体や頭を使うことを実家に帰るたびにアドバイスしてきたけれど、ぜんぜん聞いてくれなかった。
医者や薬に頼って、自分たちで努力してない様子を情けなくみていました。
特に母親が自分の考えに固執していて、父親がこんなふうになったのは母親のせいだと思ってしまう自分が悲しいです。
もう施設を考えた方がいいんじゃないかと強く主張して、絶対自宅で頑張る派の母を悲しませて帰ってきました。
子どもの側は親と同じ経験がないので、本人の気持ちがなかなか理解できず、きついことを言っているだろうとぼんやり想像できても、本当の痛みはぜんぜんわかっていないだろうとは思っています。
冷たいこと言っているんだろうなとも思います。
でもやはり言ってしまう。
こういう時って、昔の親との嫌な思い出。自分のこと親身に考えてくれてなかったとか、子どものことより夫婦の都合を優先したとか、そんなことばかりが思い出されます。
自分を正当化するためにそんなことばかり思い出すのかもしれないですね。
私は昔話に出てくる自分をとことん犠牲にして親孝行をするような孝行娘にはなれないんだなあと、寂しくもなります。
でも、高齢になってからって、まさに自分の生き方が問われるとも思います。
いずれ弱って、最期は誰でも死ぬので、その時自分がどうするのか。
自分の人生だから、自分は子どもに迷惑をかけたくありません。
そのためには、いまから身体と頭をちゃんと使っておかないといけないなあと思いますし、自分で生活ができなくなった時の施設も考えないといけないです。
できれば、ピンピンコロリ。でも自分の死に方が選べないので、これから先、自分の死をはっきり意識する年齢になった時のことを考えると怖いですね。
その時になった時、自分の真価が問われるだろうと思っています。
案外バタバタしそうです。
いまは偉そうに言ってても、最期はちゃんと他人様から評価されます。
それにしても、いま親不孝しているので、自分はろくな死に方しないんじゃないかな~と恐ろしくなります。
次回は明るい話題にします!