福岡、朝方は雲が多く雨が降るのかなっという天気でしたが、カラッと晴れました。空気が澄んだ気持ちいい一日です。
洗濯物を洗って干していたら思った以上に時間がかかり、いつもは8時半頃出発するウォーキングが9時の出発になりました。
しばらく薄手の長袖シャツで大丈夫だったのが、あっという間に寒くなり、今日はウインドブレーカーを羽織り出かけました。
寒くはなりましたが、紅葉はまだまだ。
顔周りが寒いのと乾燥していたので、マスクをつけて出かけたら、ちょっと息苦しくて歩きがゆっくり目になって、イメージ的にはちょっと早歩きの散歩。朝の気持ちよい空気を楽しみつつ、周りに目をやって紅葉を探しました。
結局写真になりそうな秋景色に巡り合わず、木々の間から朝の光が漏れていた場所を立ち止まって撮影いたしました。
さて、仕事を辞めて特にしなければならないこともなく、毎日の決まり事を作っておかないとこれから年を取るに従って衰えてしまうと主に健康維持を目的にジム通いを始め、ジムに行かない日はウォーキングをして、その後母が入院して実家通いをしたり、毎日仕事に行くことはなくなったけれど、何かとしなければならないことが予定として入ってきます。
それで最近はその『しなければならないことがある』が気になって気になってストレスを感じていました。
仕事をしていた時はそもそも毎日仕事に行くということがあったし、仕事で期限があってそれまでにしなければならないとか、出張に出かけて初対面の方と話をしないといけないとか、今考えるとストレスだったろうなという場面も淡々とこなしていた。
じゃあ、そもそもなんで仕事を続けられていたのか?
仕事をしていた時はやりがいだとか、自分を活かすとか考えないでもなかったけれど、当たり前過ぎて忘れてしまっていたこと・・・お金のために働いていた。
働かないとお金が入らず生活ができない。将来年を取って働けなくなる時のためにお金を貯めないといけない。
ずっとそう考えてきて、働き続けることが当たり前で、自分にできるわけないっていう業務があってもがんばって乗り切ってきた。辞めるって選択肢はなかった。
仕事を辞めてほっとした途端忘れていたけれど、
最近、いまはちょっしたやらなければならないこともストレスを感じていイライラしているのに、家のことや親族のこと、地域のこと等々、不定期にいろんなことが発生する中で、よくぞ仕事をしてきたなあと考えた時に、「生きて行くために働かざるをえなくてがんばれてたんだなあ」と思い出した。
そして、今、年を取って仕事をしなくなって、それでも年金を受け取るだとか今まで準備してきたものでどうにか経済的にはやっていけそうかなとお金のことはどうにかなりそうになった時に、じゃあこれで何にも義務はなくなったかというと、ああそうじゃないんだと気がついた。
これから年齢を重ねるに従い、できないことが増えていく。でも生きて行かないといけない。
人間としてこれからも生きていかなければならないから、衰えて行く身体をできるだけ長持ちさせるために動いて維持していく。
自分一人で生きているわけではないので、周りで起こるいろいろなことで自分が動いた方がいいこと、動かなければいけないことは関わらないといけない。
そんなことを考えていると自分の場合はたまたま仕事から無職という生き方だけれど、仕事があってもなくても、人間生まれてから死ぬまでずっと何かをしなければならない。
学校に行かないといけないし、家族の面倒を見なければいけないし、地域のこともほっとくわけにはいかないし‥‥
自分が理解できてなかったので、ぐたぐた書いておりますが、人生死ぬまでいろいろやらなければならないことはある。
なので、いろいろやらなければならない予定が入ってきても、「それは当たり前です。しなければいけないことです。」と割り切ればいい。
訳のわからんことを何言っているんだと思われそうですが、
『死ぬまでやらなければならないことがあるのが人間』と整理ができまして、対応しなければならない雑事が増えても「仕方ないか・・・」と流せるようになって、ストレスが減っているようです。
見方を変えれば気持ちが変わる・・・なんて思っていますが、私が単純なだけかもしれませんね。
そうそう、こういうことを考えてはいますが、今を楽しんで過ごすっていうことを大切にしたいと思っております。